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第100話(第4章)

「兄として、華子嬢が嫁入りするのは寂しくはないのか」  自分には妹が居ないので良くは分からないが、華子嬢を可愛がっている片桐の事だ。寂しいと思うのが普通の反応の様な気がした。 「正直、寂しいが……、華子の幸せを考えるとこれ以上の良縁は無いと思える。それに婚約は早くても、実際の嫁入りは三條君が大学を卒業してからという事で、まだまだ時間は有るからな」  片桐の言葉を聞きながら黙って歩いた。仲の良い妹の兄としての複雑な気持ちなのだろう。 「ところで、何処に向かって歩いているのだ」  片桐がふと我に返ったように言った。いつもの通学路とは違う事に気付いた様だった。 「今日、屋敷に帰らねばならない時間は」 「今日は、8時から屋敷に人が来る予定だからそれまでは大丈夫だ」 「そうならば、一緒に食事をして帰らないか」  片桐が驚いたように呟く。 「そんな目立つ事をして良いのか」 「ロクに食べても居ない最愛の人間の事を放って置けるか」  頬を上気させ絶句した片桐の顔を、優しく笑いながら見詰めた。 「……で、何が食べたい。西洋料理か」 「いや、出来れば和食が良い。」 「鰻はどうだ」 「ああ、大好物だ。滅多に食べないが」 「それでは決まりだな」  いつもなら市電を使うが片桐の体調を慮ってタクシーを止めた。一キロ50銭の車だ。  運転手に「池之端の『伊豆栄』まで」と告げる。 「晃彦、お前昼御飯は食べたのか」  ふと気付いたように片桐が聞いて来た。 「いや、食べてない」 「それは悪い事をしたな。食べてくれても構わなかったのに」 「病人の前で食べるのは遠慮した」  ……それにお前の寝顔の方がもっとご馳走だ……と続けたかったが、運転手の手前、言えなかった。    片桐が腕時計を見て呟いた。 「食事が終わっても時間は有るな」 「どこか行きたい所でも有るのか」 「ああ、華子が恋文を書くために竹下夢二の絵の付いた便箋と封筒を欲しがって居たのを思い出した」 「三條も幸せな人間だな。俺への恋文は普通のノォトだったぞ」  笑って冷やかす。 「お前は、絵つきの便箋で欲しかったのか」  片桐も苦笑している。 「いや、最愛の人間からならどんな紙でも嬉しいものだ」 「オレもだ。あれで随分心が軽くなった」 「そうなら、もっと自分の悩みや考えを書いて呉れるともっと嬉しいが」 「分かった」  そう言って車窓から帝都を眺めている。  その端整な横顔に見入りながらも、目の下が青い事に気付いた。今日は良く寝たとはいえ、片桐の睡眠時間が足りて居ない事は明らかだ。

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