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第103話(第4章)
当代一の人気画家の絵を印刷したものを売って居るだけあって、売り場は大混雑していた。特に女性は目を輝かせて品物を選んで居る。
周りを見回すが知っている人間が居ない事を確認する。
自分は「綺麗な絵だ」とは思うものの、それ以上の感想は浮かんで来ない。片桐が必死に選んで居た時に忠告した程度だった。片桐が今日初めて自分の財布からお金を出した。
二人して、売り場を少し離れたが、女性を中心に混雑している。普段は、女性の視線が自分や片桐に集まる事も多いのだが、此処では違うらしい。皆、竹下夢二の絵の付いた品物を買おうと来ているので、他の物は目に入らないらしい。
これ幸いと片桐に言った。
「随分熱心に選んでいたではないか。竹下夢二が好きなのか」
片桐が少し呆れた顔をする。
「いや、綺麗だとは思うがそれだけだ。ただ、華子を喜ばせたいのでどんな絵柄が良いのか迷って居た。それに三條君に届けられる筈の封筒と便箋だろう…。彼にはお世話になっているから、せめてもの心づくしだ」
そう言う片桐の顔は少し青白くなっている。救護室で休んだものの、こんな混雑している所に来てしまったせいか、疲れたらしい。
自分も、竹下夢二の品物を売って居る場所がこんなに混雑しているとは全く知らなかった。聞けば、片桐も初めて来たのだと言う。
あらかじめ、こんなに混雑していると知っていたのなら、連れて来なかったのにと思っても後の祭りだ。
体調の事を聞きたかったのだが、返って来る言葉は容易に察しが付く。「大丈夫」と言うだろう。
早く帰宅させて休ませてやるべきだ。
車を止め、片桐邸までの道順を説明する。車が走り出して直ぐに聞いた。
「顔が青い様だが大丈夫か」
片桐は淡い笑みを見せた。
「実はあまり大丈夫ではない」
「では、俺に寄りかかって居ろ」
そう言うと、片桐は素直に肩に頭を預けてきた。運転手に気付かれない様にそっと手を握ると、片桐は顔を上げ、幸せそうな笑顔を見せた。しかし、その笑顔は心なしか、儚いように見えた。彼がどこかに行ってしまうような予感のする笑顔だった。
彼が遠くに行くのは絶対に嫌だとの思いを込めて、手を握る力を強くした。
肩に凭れたまま、片桐は寝入ってしまった。
このまま、運転手に指示して、二人でどこまでも行ってしまいたい――そんな夢物語のような気持ちに襲われる。
彼の規則正しい寝息が自分の首筋に当るのを、心地よく感じていた。
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