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第106話(第4章)
「まあぁ、晃彦さんのお敏い事。実は分家の加藤子爵家で少し騒ぎがありましたのよ。それで、本家の私共に仲裁をお願いにいらしたのですわ。晃彦さんにはまだ早いお話しですわ。ね、マサ」
母は平静な顔と口調で言った。マサも無表情で応えた。
「左様でございます。晃彦様を御悩ませする話ではございません」
三人の表情を伺うが、何時も通りだった。
「そうですか。それなら結構です」
(秘密を抱えているので疑心暗鬼を生じているのかもしれないな)
そう思って、食事を済ませた。通学の支度をしてから屋敷を出た。
昨日の片桐の言葉が頭から離れない。今日か明日にでも聞いてみようと決意しながら学校へ急いだ。
考え事をしていたせいか、早足になってしまっていたらしい。級友達は殆どが登校しては居なかった。昨日のノォトを貸してくれる友達が居たので自分の机に座り、書き写した。あとで片桐にも見せようと思いながら。
三條が登校して来たが、自分はノォトと格闘していたので手が離せない。挨拶だけして、筆写を続けた。その後、片桐が教室に入って来た。昨日よりもかなり顔色は良くなっているのを確認して安堵した。
片桐は扉を開けるな否や、自分に視線を当てそっと辺りを見回し、誰も自分に注目して居ないことを確かめると、優しげな微笑を向けてきた。
彼は真っ直ぐに三條の席に行き、何かを言った後、封筒を渡している。遠目だからはっきりとは分からなかったが、竹下夢二の封筒らしい。三條の顔が輝いた。
(竹下夢二が描く美人画よりも片桐の方が綺麗だ)
そう思っていると、三條が自分の席にやって来た。
「正式に華子嬢との結婚が決まった。まぁ、両家の内諾を取り付けたという程度だが。片桐君が早めてくれたらしい。華子嬢も僕の事を憎からず想っていてくれているので話は決まったな。宮内省でもこの婚礼には文句はないだろう……それと、片桐君……ああ、もう義兄様と呼ばないといけないのか……は一時間程今日、うちの屋敷に来られるそうだ」
三條の屈託の無い笑顔が羨ましくないと言えば、嘘になる。
嘘にはなるが、片桐を好きになった時点で「誰からも祝福される恋愛や結婚」は諦めて仕舞っていた。三條が話したのだろう、級友達は三條と華子嬢の婚約話は殆どが知っていた。黒田を始め片桐にも祝福の声を掛ける級友の姿が目立った。
彼は笑顔を作って応対していたが、矢張り疲れているようだった。妹君の婚約のお祝いには嬉しそうに礼を返しているが、目に何時もの光が無かった。ノォトを二人分……もちろん、もう1人分は片桐様だ……の筆写をしながら彼の姿を追っていた。
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