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第109話(第4章)
「ああ、では俺は此処で」
寂しさを押し隠して笑顔を取り繕う。
「ノォト取って呉れて有り難い。大事にするから」
そう言って上着を羽織って居る。釦を掛けてやるとくすぐったそうに微笑した。
「では、此処で明日」
そう言って別れた後、三條の車で帰って行った。
通常通り、自分の屋敷に帰った。使用人なら、全ての会話を聞いて居なくても断片だけを耳にする事も有る可能性が高い。その上、使用人同士の噂話には主人の事も含まれる。
自分付きにして貰った女中の静さんはあまり噂話をする事はないが使用人部屋で何かを聞いているかも知れない。無駄と思いつつも聞いてみた。
「何か、俺の事や片桐君の事で父上達が話題にしていた事は無かっただろうか。使用人はどうだろう」
彼女は暫く考えていた。
「特には有りません。分家の加藤様の事は耳に致しましたが」
「そうか、有り難う。もし、俺や片桐君の事を父上達が話題にしていたならば、直ぐに教えて呉れれば有り難い」
「畏まりました。そう致します」
そう言って彼女は静かに自分の仕事をこなすと部屋を出て行った。
話題に上って居ないということは、片桐が見た婦人が単なる通りすがりの知人で、我が家には関係の無い人間か、それとも……加藤家の縁者で、父上達と親しい人物で極秘に動ける立場の人間かのどちらかだと推察出来る。
用心に越した事はないが、幸いな事に宮中での催し物に両親の心は占められて居る様だ。まだ大丈夫だと自分に言い聞かせた。
彼の立場を思うと、自分が出来る事は限られて来る。今日の様にゆっくり寝かしつけるくらいしか思い浮かばない。手紙だと、彼は「大丈夫」と返事が来るばかりで、本音を明かそうとしない。彼の性格を考えると無理の無いことだとは思うが、正直もっと本音を吐露して欲しかった。その為には矢張り直接逢って本音を自分の眼で確かめるしか無さそうだ。
ただ、彼を見ると欲望を感じる事も否めない。彼の身体に自分の魂が紛れ込む様な抱き方をしたいと心の底から思う。
彼の様子を窺う限り、彼も同じような欲望は持っては居そうだ。ただ、自分ほどの欲求の深さは持って無いのかも知れないと思うと、居ても立っても居られなくなる。
両親が不在の時に自分の部屋に招き入れる危険性は高いが、在宅の時は不可能に近い。だとすればやはり、両親が宮城に参る日に彼を招き入れるしかない。
部屋は静さんが綺麗に掃除をし、適度に花などを生けてあるが、彼が来るのかと思うと、もう少し居心地が良いようにしたいと、色々工夫を考えて居た。そういう事を考えるのがこれ程楽しい事だとは思ってもみなかったが。
彼の切れ長で大きな瞳が輝く様を切実に見たかった。
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