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第117話(第5章)

 片桐の事を想うと、食欲など感じなかったが、自分が此処で倒れる訳には行かない。無理やり食事をした。  学校へは行けないので、自分で勉強していると、母が靴音の高く部屋を訪れた。勿論マサを伴って居る。 「おはようございます。晃彦さん。頭は冷えましたか」 「おはようございます。生憎、昨日の言葉は頭に血が上って申し上げたことでは無いので、冷える筈はございません」  母は怒った口調で言った。 「それ程、片桐家の子息の事が大切ですの。晃彦さんは、次期加藤家の当主として、人格や識見に優れていると存じておりましたが、どうやらそうでは無いようですね。でも、片桐家の子息から、お手紙が参っておりますのよ。勿論父上宛ですが」  片桐からの手紙……。 「その手紙はお持ちですか」  母は勝ち誇った様に言った。 「勿論ですわ。でもこの書簡で晃彦さんに非が無い事は明らかです。晃彦さんも謹慎が早く解けるのではありませんかしら」 「拝見しても宜しいですか」  母は上機嫌で手紙を差し出した。  何時もの彼の手紙と違って、毛筆で書いて有る。毛筆の方が正式とされる為、父宛の手紙には筆を使ったのだろう。何時もの彼の筆跡はペンでしか見た事が無いが、間違いなく彼の筆跡だった。  破らない様に気を付けて、文面を読む。  要点を把握して絶句した。 「全ては、私の陰謀です。貴家と我が家の確執はご存知の通りです。たまたま加藤君が私に興味を持って近付いて来た。それを私が利用したのです。加藤君と逢って居たのも、彼が私との関係のせいで彼が、加藤家から廃嫡されれば良いと思って居たからです。全ては貴家を貶める為でした。こうなったからには、私も片桐家の嫡子を遠慮し、市井の人間として生きて行く所存です。加藤君には全く落ち度が有りません。その旨を貴家に伝える為にこの書簡をしたためました。全ての責任は私に有ります。下世話な言葉ですが、加藤君の私への気持ちを弄んだのです。罪は私が一身に背負います」    恐らく片桐は自分の為にこの手紙を書いたのだろう。積極的に近付いて行ったのは自分だ。しかも逢瀬を望んだのも自分だ。片桐は敢えて自分が悪者になり、自分を廃嫡の危機から救おうとこの書簡をしたためたに違いない。

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