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第143話(第6章)

「そうだ。もうこれで思い残す事は無いと思った。片桐家は弟が継げば良い。廃嫡されても何とか生きて行く位の目途はついた。しかし、晃彦は加藤家を継いでくれ」  ゆっくりと話す片桐の言葉を聞いて居たが。  ――思い残すことは無い――  その不吉な言葉は看過する事は出来なかった。 「お前、眠れないと言っていたな。医師から睡眠薬の類は貰っているのか」  髪を梳く手を止めて聞いた。息を詰めて彼の返事を待つ。 「いや、医師は処方しようとしたが、断った。まどろんだ時に見る悪夢に魘されて起きた時、発作的に全部飲む自分が容易に想像出来て、睡眠薬は多量に服用すると命に関わるのだろう……」  思わず安堵の吐息を漏らす。彼は弱ってはいるが、自ら命を絶とうとは思って居ないことが確認出来たのだから。  睡眠薬を飲んでの自死が体力の弱っている今の片桐に取っては一番容易な方法だろう。   その方法を自分から断って居てくれていた。  髪を梳く事を再開して、今度は自分の話をすることにした。 「俺も屋敷に謹慎させられてから、お前を救うべく、色々な方に協力を頼んだ。華子嬢は元からの味方だが、それだけではお前を救うことにはならない。それで柳原伯爵令嬢に、華子嬢から話しを繋いで貰った」  片桐は驚いた様に身動きをした。その様子はまだ気だるげだったが。 「柳原嬢は確かに華子の学友だ。二三回屋敷で拝見したことが有る。三つ編みの良く似合う小柄で子猫のような円らな瞳の持ち主だった。一度挨拶した事があるから覚えて居るが、柳原家と言えば国母をお出しになった家柄だ。何故そのような方が御協力を」  本当の事を明かしても構わなかったが、柳原嬢は口外しない恋だと仰っていた。それならばこちらも黙っておくのがマナァだろう。  それ以上に、片桐の鈍感さが妙に可笑しい。  絢子様の御求愛も有ったというのに、自分の魅力に気付いて居ないところが彼らしい。 「華子嬢と婚約者の三條の頼みでは断れなかったのではないか」 「そう……なのか」 「そうだろうきっと」 「晃彦、髪を梳いて呉れるのはとても気持ちがいい。しかし、晃彦の体温と重みが感じられる方がもっといい」  黙って彼の身体を抱き締めた。  まだ青っぽい色の唇をして居る片桐からの頼みに、靴を脱いでベッドに上がる。ふと思いついて、片桐の室内用の靴も脱がせた。身体を締め付ける物が有っては片桐も窮屈だろう。少し華奢になってしまった首筋に唇を押し付け、彼の身体に手を回す。彼も身体を寝台から身体を浮かせて協力してくれた。  幾分か肉は落ちたとは言え男性の身体だ。筋肉の硬さが抱き締めるのに丁度良い。片桐の耳元に自分の口を近付け、重大な事を囁く。

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