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第146話(第6章)

「先程、加藤様を案内した女中はこの辺りの抜け道にも通じております。一番の近道も存じておりますので、直ぐに呼びますわ」  そっと片桐の寝台に近寄り、安らかな表情に安堵してから、彼のこめかみに接吻した。良く眠れる様に祈りを込めて。そして彼の寝顔を目蓋の奥に焼き付けて、断腸の思いで扉をそっと閉めた。  片桐の部屋を出ると、先程案内してくれた女中がひっそりと佇んでいた。 「こちらでございます」  頷きで返し、彼女の後に続く。普段自分が通った事も無い小道を彼女は迷いの無い早足で歩く。早足といっても女性の足だ。自分も易々と付いて行く事が出来た。 「こちらが御屋敷でございます」  予想以上の早さで自分の屋敷の裏門が見えた。こういった近道が有ったのかと意外に思ったが、普段大きな通りしか歩いて居ない自分などでは気が付かないだろう。 「今夜は有り難う。これは少ないが……」  華子嬢が女中を差し向けると手紙に書いて来た時から用意していた包みを渡す。 「いえ、この様な物を頂戴するわけには参りません」 「それでは次が頼めない。心配しなくてもそんなに入っていないから」  そう言いながら、裏門の番人が居ない事を幸いに――多分、主人夫妻が外出中なので骨休みをしているのだろう――裏門を抜け、木に登って自分の部屋に帰りつく。屋敷の様子を窺ったがひっそりと静まり返って居る。 (どうやら間に合ったらしい)  冷や汗を拭いながら、室内着に着替えているとシズさんの扉を叩く音がした。 「入っても構わない」  そう声を掛けると、彼女は安堵の笑みをひっそりと浮かべた。 「大丈夫ですわ。晃彦様が抜け出された事に気付いた人間は誰も居りません」 「そうか……それは良かった。この目で片桐を見て安心出来た。協力有り難う」 「いえ、それは宜しいのですが、わたくし、家令様に筆跡を認められて、家令様の仕事を手伝う事になりましたの。今日その御用でお部屋に参りましたら、片桐伯爵に宛てた旦那様の書簡がございました」  一気に血の気が引いた。今、父に片桐家へ抗議の書簡を出されては大変困る。  家令とは英吉利で言うバトラーの様な地位だ。主人の手紙を公式に届ける役割もする。

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