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第151話(第6章)
幸甚な出来事だ。母は、皇后陛下に内内とは言え、親しく招かれたのだから、失礼の無い着物を選ぶ為に信頼出来る使用人――つまり、心得の有る使用人を全て連れて行ったに違いない――
自分も柳原嬢との縁談が進んで居ると勘違いしている母なので、こちらの監視は一先ずは緩んだ様だ。
制服に着替え、シズさんに後を頼んでから、誰にも見つからない様に屋敷を出た。書状も袱紗に包んで鞄の中に入れた。幸い、使用人は女主人が留守なので気が緩んでいるのか、廊下には人影が無かった。裏門も門番は居眠りをしていた。矢張り女主人が不在だと監視が緩い。
案の定、誰にも見つからずに屋敷を出る事が出来た。
昨日、華子嬢が紹介してくれた女中が通った道を歩く。何時も歩く大通りでは無いので、制服姿でも見咎める人は居なかった。
片桐家の屋敷の裏門に回ると、昨日の女中が人待ち顔で佇んで居た。
彼女は丁寧な一礼をした後で質問して来た。
「華子様から伺って居ります。どちらに先にお通しいたせば宜しいですか」
「申し訳ないが、片桐君の部屋から頼む」
「承りました」
そう言うと、裏庭を抜けて使用人様の階段に案内して呉れた。裏門には門番が居たが、制服を見ると通してくれた。流石に門番までは、自分の顔を知られてないのだろう。学友の見舞いだとでも思ったに違いない。学友の見舞いならば正門から入るのが普通なのだろうが、彼にはその辺りの事まで考えが及ばなかった様だ。
片桐の部屋には幸いにも誰にも見つからないでたどり着く事が出来た。彼も病気なので使用人も遠慮しているのだろう。それに主人が病気、奥方が外出では使用人の気も緩んでいるのだろう。どこの屋敷でも同じだと苦笑が込み上げて来た。
彼女が遠慮気味に扉を叩いて、言った。
「昨日の方がいらっしゃいました」
今回は、応じる片桐の声が昨日とは違って居た。心持ち明るい声で返答が有った。あくまでも多少だけではあるが…。
直ぐに扉が開けられる。
「悪いが、二人きりで話したい事が有るので下がって欲しい。飲み物なども、こちらが呼ぶまで運んで来ないで欲しい」
片桐がそう言うと女中は控えめに一礼した後立ち去った。
片桐の顔を見ると、昨日よりは幾分かは元気そうだった。まだ、白皙の顔に血の気が充分では無いと思ったが。
彼は自分の顔を見ると、少し言葉を探すように視線を彷徨わせたが、幸せそうにほんのり微笑した。
「晃彦が今日も来て呉れるとは思わなかった……」
そう言いながら、唇に指を当てている。
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