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第154話(第6章)
「旦那様はお会いになるとの事で御座います。ただ、支度が有りますので30分後で宜しければとのご伝言で御座います」
30分の間に考えるという事なのかと思った。片桐家では加藤家の名前は禁忌の筈だ。それなのに会って戴けるだけでも良しと考えなければならない。
しかし、最悪の事態は想定して置かなければならない。自分が罵倒されるのは覚悟の上だったが、片桐の精神状態が不安定な今、片桐の精神と体が心配だった。
彼も同じと見えて、卓に置かれた両手が震えて居る。手を取って立たせ、思い切り抱き締めた。彼を安堵させるように唇を塞ぐ。
少しは彼の不安が解消されるのを祈るようにと願いながら。
彼の背中をゆっくりと撫でる。先日も気付いて居たが、彼の腰廻りの肉が削げているのがとても切なかった。彼は目を開いていた。彼の瞳には自分の姿しか映って居ない事が、こんな状況にも関わらず少し嬉しいと思ってしまう。
「そろそろ、着替えないと」
片桐は室内着を着ていたので、部屋を出る事は出来ない。ましてや、この状況だ。少しは改まった服装の方が良いだろう。
着替えを手伝って居ると、彼の身体のやつれ具合が嫌でも目に入る。これも自分の不注意から引き起こした事だと思うと居たたまれない気持ちになって来る。
着替えが終ると、見計らった様に扉の向こうでさっきの老女中の声がした。袱紗に包んだ手紙を捧げ持ち、鞄は片桐の部屋に置いたまま老女中の前を歩く片桐の後ろに着いて行った。こめかみの辺りで血管が脈打っているのを自覚した。
人払いがされているのか、廊下には使用人が居なかった。
主人の趣味だろうか、日本間に案内された。案内してきた女中は一礼して引き下がった。
障子の前に正座した片桐に倣い、自分も正座する。
「父上、参りました」
片桐が硬い声で言った。
「入れ」と言う声は、少しは呂律が回って居なかったが、十分意味は取れる言葉だった。
片桐は作法通りに障子を開けている。その指がまた震えて居た。
主人の病間なので布団が敷いてあるのかと思っていたが、布団は無く畳に正座した端整な男性が居た。どこと無く片桐に似ているが、もっと芯の強そうな感じの父上だった。
「初めてお目通り致します。片桐君の友人で加藤晃彦と申します」
礼を失することの無いように、障子を開いても入らず、室外から挨拶をした。日本間だと分かって居れば、扇子も持って来たのにと思いながら。
「御存知だとは思うが、今は病気のせいで口が回らない。それだけは許して欲しい。部屋に入って障子を閉めてくれ」
挨拶を鷹揚に聞くと、片桐伯爵は自分の事を説明した後に、視線を片桐の方に向けて指図した。
許しを得て室内に入り、言葉を続ける
「存じ上げて居ります。病床に伏していらっしゃる最中に前触れなしの訪問をお許し下さい」
正座をして頭を下げながら申し上げた。座布団は敷いて有ったが、それには座らなかった。それが和室での作法だ。
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