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第160話(第6章)

「いえ、どなたもこのお部屋には近付いてらっしゃいませんので大丈夫で御座います」 「母上はまだお帰りではないのだろうな」 「はい」  シズさんは信頼の置ける人間だ。今日有った事をかいつまんで報告する。  彼女は静かに、しかし心底喜ばしそうに聞いていた。 「それは宜しゅうございましたね。後は、こちらの旦那様と奥様だけで御座いますね」  シズさんが珈琲を入れ替えていると、母の帰邸を知らせる声が聞こえて来た。 やがて、外出着から室内着に着替えた母が部屋を訪れた。シズさんはそっと部屋から下がった。 「ただ今帰って参りましたわ。それはそうと、留守中に皇后陛下からの内々の御手紙が届いたのでございますわ。光栄な事ですけど……何やら解せませんの」 「どういうことなのでしょうか?」  皇后陛下が自分達のために畏れ多くも御動きになられていらっしゃる事は知っている。 しかし、部外者でこれをご存知なのは絢子様と柳原嬢くらいのものだ。母の不審も尤もだと思った。 「わたくしが留守中に父上宛てに来た御文なのですが、内々の謁見に嫡男も連れてくるようにとのことで御座います。晃彦さんにも一緒に行って貰いますので、その御積りでいらして下さいね」 「しかし、私は、廃嫡の可能性が有りますので……」  戸惑った顔を装って聞いてみた。 「いえ、皇后陛下は晃彦さんを連れて来るようにとの御指図で御座います。何が何だか良く分かりませんが、二日後は三人で内々の謁見だと思われます」  母も流石に困惑顔だ。しかし、片桐があのように衰弱した直接の原因は――間接の原因は自分だが――母に有る。もっと困れば良いと内心で思って居た。  内々の謁見、しかも自分の家ではそれが類を見ないものであるので、両親は知り合いに問い合わせたり、相談したりと忙しそうだった。  部屋に居ても、母の興奮した声や女中達の走り回る音でそれが分かる。  夕食の時間になって、シズさんが食事を運んで来た。 「例の手紙はどうなっているだろうか」  ――両親が片桐家に宛てた抗議の書簡だ―― 「はい、上手くすり替えて置きました。その後は、参内の準備で旦那様も奥様も御手紙の事はお忘れになったようですわ。参内が済むまでは恐らくは思い出されないのではないかと拝察致します」  今日、片桐伯爵と会って抗弁しては来たが、抗議の書簡にはどんな事が書かれているかは分からない。そのようなものを片桐伯爵や、まして片桐には見せたくなかったので安堵した。 「そうか…それは有り難い。シズさんには随分協力してもらった。申し訳なく思う」  頭を下げると、彼女は恐縮したように一礼した。 「片桐邸に訪問出来るようになった。母に気付かれないように外出出来る機会が有れば教えて欲しい」 「承りました」  彼女も満足そうに笑みを返した。扉が叩かれた。シズさんが開けるとマサが立っていた。 「柳原伯爵令嬢からのお電話で御座います」 「分かった。すぐに電話室に行く」  マサに親切にする気は全く無かった。無表情で返事をし、電話室に向かう。

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