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第164話(第7章)
電話は用件だけを伝えるのが普通だ。電話は一部の家にしかないのだから、回線が混み合って混線の可能性すら有る。違う番号の人間が偶然聞いてしまう可能性も捨てきれない。
片桐は、待っていて呉れると言ったのだ。それだけで充分だった。
明日、皇后陛下の御内意で全てが決まるのかと思うとある程度は把握して居る自分でも落ち着かない。もし、御味方になって下さらなかったら、全ては元通りになってしまう。噂で聞き申し上げている御聡明さに賭けてみるしかない。もし、引き離す様な御内意が出たとしたら、その時はその時だと腹を括るしかない。
屋敷の雰囲気を感じ取ろうとする。矢張り父母が出掛け、実質的に屋敷を取り仕切っているマサも不在なので、何処と無く使用人や書生は緊張感に欠けている気がする。絶好の機会だと思った。今日、自分が屋敷を抜け出した事が父母やマサの耳に入れば、元の木阿弥に戻ってしまう。監視ももっと強化されるだろう。
失敗は絶対に許されない。片桐伯爵は、少しはご理解を戴けた様だが、片桐伯爵夫人はどうお考えになっているのかも分からない。――お耳に届いていたらの話だが――
シズさんがお茶とお菓子を持って部屋にやって来た。
彼女も良く働いて呉れている。それも自分が廃嫡されれば、彼女には何の利益をもたらさないばかりか、解雇の可能性も有る中で献身的に自分と片桐の為に心を砕いてくれている。もし、廃嫡の憂き目に遭っても、彼女は三條の屋敷に自分の口利きで紹介するか、それとも良い伴侶を見つけるように考えなければと思った。
「お屋敷では、使用人部屋で寛いでいる使用人が多いようです。晃彦様のお部屋の監視を命令された使用人も居ないようで御座います」
作法通りに紅茶を注ぎながら、彼女が使用人部屋の様子を報告して呉れる。自分が感じて居た事と同じだったので安堵した。
「そうか、では屋敷を抜け出しても露呈はしない可能性が高いと・・・」
「左様で御座いますね。使用人用の出入り口からお顔を隠しておいでになれば、よもや気付く者は居りませんでしょう」
「そうか・・・…。では、そのようにしよう」
「差し出がましい様ですが、この帽子を被って顔を隠しては如何で御座いますか」
そう言って彼女は平民が使うような鳥打帽を差し出した。以前、彼女が縫って呉れたシャツとズボンに相応しい帽子だった。
夕方に成るまで焦燥感を募らせながら待った。万が一、父母が帰邸すると厄介な事に成る。
幸いな事に父母は屋敷には戻らず、夕食の時間前には屋敷を抜け出す事に成功した。
シズさんには、後の事をくれぐれも頼んで屋敷を後にする。彼女は機転もきき、頭も良い。留守を任せるには絶好の人間だ。
顔を見せない様に片桐邸への最短距離を早足で歩く。最短距離は小路が多いので自分の顔を知っている人間は通らないだろうとは思ったが、それでも用心するに越した事は無い。
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