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第170話(第7章)
「よくいらして下さいました。お茶とお菓子を用意しましたので召し上がれ」
皇后陛下が仰った。皆、卓に座り、用意された和菓子を見た。皇后陛下は和菓子がお好きな事は仄聞していたが、大きめに切ってある餡入りのカステラを全部食べられるだろうかと思った。特に片桐は、食欲不振だ。彼がこれだけのお菓子を食べられるのだろうか……と思って彼の皿を見ると、小ぶりに切ってある。といっても飽く迄、自分達との比較でしかないが。
絢子様も何でも無い顔を無さって部屋にいらっしゃるのは、自分達の援護に回られるお積りだろう。
率先して、お菓子と御茶を召し上がっていらっしゃった。皇后陛下も本当に美味しそうに召し上がっていらっしゃる。この流れでは、食べないと不敬に当る。御茶でお菓子を流し込んだ。片桐の様子を窺っていると、彼も同じようにしたようだ。視線が逢うと透明な微笑を送って来た。
彼は、最早、覚悟を決めているな…と思った。
片桐伯爵だけはお菓子が少なかったのだが、これも病中に有る伯爵を思いやっての御英慮だろう。しかも伯爵には看護婦が付き添って居る。
「さて、集まって戴いたのは他でもありません。加藤家・片桐家の確執をまだ引き摺っていると、絢子さんから聞きました。皇室の藩屏たる貴方達が、仲良くとまでは申しませんが、普通の付き合いをする事をわたくしは、望んでいます」
「畏れ多くも、先帝陛下は……
片桐伯爵は座ったままで結構ですわ」
この御言葉が出ると、一斉に立つ決まりだ。
皆が立った時に皇后陛下は厳かに仰った。
「『四海の海、皆同胞』と口癖になさっている先帝陛下の御意に逆らうお積りですか」
「いえ、わたくしどもにはそんな気持ちは毛頭御座いませんません」
母が冷や汗をハンケチで拭きながら言った。片桐家の人達は皆無言だった。
「もう、大正の新時代です。幕末の確執はもう乗り越えてしまっては如何ですか」
外国人の様な美貌と、聡明さが噂される陛下だけの事は有る。自分達に有利に進めて下さっているのが分かった。
片桐の方を見ると、彼もほんのり微笑んで居た。
これは、自分達に取って悪い方向に御話しは進まないと判断した。ようやく室内をさり気無く窺う余裕が出てきた。
こちらは陛下の書斎なのかと思う程の本棚が有った。背表紙をざっと拝見すると、英語の古典が並んでいた。全て読み込まれた痕が有る。
自分も片桐も同じ趣味を持っている。畏れ多い事では有るが、親近感を覚える。
室内に居る人間――勿論陛下と絢子様と片桐伯爵は除いてだが――は、着席の機会を逸し、立ったまま御言葉を賜る。
陛下に反論など思いも寄らない事だ。皆、陛下の御言葉を拝聴して居る。
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