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第174話(第7章)

「お、畏れ多いことで御座います。皇后陛下の宸襟を悩ませるのみならず、陛下にまで。わたくしどもも愚息の留学に賛成で御座います」  ハンケチで汗を拭きながら母は申し上げた。父も頷いて居る。  これで自分と片桐の英吉利留学は決まった…と思うと、安堵の余り脱力しそうになった。  それを目敏く見つけたのが片桐だった。素早く近付くと、身体を支えて呉れる。  その様子を皇后陛下と絢子様は唇を笑みの形にして見守って居られた。  久しぶりに、俊敏に動く片桐の腕の中に居たい気持ちは有ったが、此処は宮城の中だ。それは出来ないと、ゆっくりと彼の腕を押し戻した。感謝の微笑を込めて微笑みつつだったが。それを察したのか微かに微笑んで片桐も直ぐに支えていた腕を解く。  その様子を皇后陛下や絢子様、そして片桐夫妻は暖かい目つきで見守って下さって居た。  しかし、自分の両親の瞳は冷たかった。  それを目敏く御覧になったのか、絢子様が皇后陛下に促すような視線を送られる。 「そうでしたわ。危うく失念しかけておりましたが、此処にわたくしの書類が有ります。これに署名と捺印…無ければ拇印でも構いませんが…を家長に書いて戴きます」  そう仰って、一葉の書類を卓の上に広げられた。皆が卓の廻りに集まった。  拝見して驚いた。皇后陛下の御紋も入った正式な文書だった。勿論、菊の御紋章も入っている。それも、各宮家で使用する菊の御紋章と異なり、天皇陛下しか使う事の出来ない花びらの数だった。宮家では花びらの数が違ったり、花びらを裏返しに使用したりするのが普通である。つまりは、「天皇陛下が内々に許可して居る」というお墨付きの文書だ。  御家紋を確認して、母は、「まあぁ」と絶句して居る。  父が拝読して、顔を引き攣らせて居る。片桐夫妻は淡々とされていらっしゃる。  内容は「加藤家と片桐家は過去の確執を乗り越えて、親戚の様に付き合いをする事を約束する。また嫡子は今まで通りとする」  おおよそこの様な文面が御家流の筆跡で書かれて居た。  両家の確執は恐らくは陛下もそれ程深くご存知ではいらっしゃらないだろう。何しろ明治の初め…50年も前の事なのだから。  跡取りの事で自分が廃嫡の動きが有る事もさり気無く触れていらっしゃるのは…絢子様に三條が申し上げた結果では無いだろうかと推量した。  三條は自分と片桐の件を全て知っている人間だ。片桐の妹の華子嬢という婚約者も居て、片桐家との縁も深く成った。  それで絢子様に、廃嫡の恐れありと報告したのに違いない。

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