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第176話(第7章)

 笑いを含んだ声だったが、口調は威厳に満ちていた。  母は狼狽し「いえ、そんな事は……」と小さな声で申し上げている。  絢子様が何故この瞬間にこちらへいらしたかを考えてみる。 ――絢子様は、片桐に対して、諦めたと仰っては居たが、片恋をなさっていた。だから片桐の顔を気付かれないようにそっと見つめていらっしゃったのだろうか。そのせいで自分と片桐が視線を合わせたの御気づきになったのだろう。それで母に釘を刺しにいらっしゃったのだろうか――  そう思った。片桐は自分に向けられる恋愛感情が絡まった視線は無頓着な方なので気付いては居ないだろう。  それに、絢子様は片桐の事は諦めると仰った。事実、自分と片桐の為に皇后陛下への取り成しをして下さった。片桐に対しては――片恋の対象かもしれないが――自分には手に入らない男性だと御思いになって居るに違いないと思った。 「ここだけの話ですが、加藤さんは自宅謹慎を申し渡されているそうですね」  絢子様が仰った。 「いえ、病気でして……」  父が慌てたように申し上げる。 「存じてますのよ。わたくしの後輩の屋敷には元気な姿でいらっしゃったとか」 「いえ、たまたま快方に向かったので伺わせただけで御座います」  署名を書き終わった父は冷や汗をかきながら申し上げて居る。 「今も元気そうではありませんか。もう学校には明日にでも登校しても良い頃だと思いますわ」  言葉は丁寧だが、有無を言わせない迫力で仰った。 「左様で御座います。もうすっかり回復いたしましたので、通学させたいと思って居りました」  母は顔に冷や汗を浮かべて申し上げた。 「では、早速御二人で学校に行かれたらいかがかしら」  皇后陛下が仰って下さった。 「しかし、それは余りにも唐突な…」  母は小さな声で反論を試みる。 「いえ、授業には間に合いませんが、この度の事は院長も心配しておりました。御礼の言葉を申し上げるべきですわ、絢子さんもそうお思いになりませんか」 「そうで御座いますね。御礼は早いに越した事が有りませんもの。御都合の良い事に今御二人は制服です。今から院長にお詫びを兼ねて、留学の件を伝える事が最善の方法だと思いますわ」  にこやかに御話しになるお二方を拝見し、母は慌てた様に申し上げる。 「では、父兄も同伴で……」 「まぁ、絢子さんから聞きましたよ。学校に行かせない様になさったのはどこのどなたであるか。その上でそんな事が良く言えた事ですわね」  冷笑に似た笑いで母の言葉をあしらうと、皇后陛下は卓の上に置いて有った扇子を取り上げ、おもむろに開かれた。

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