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第178話(第7章)
「お前が元気になって本当に良かったと思って居る。御前がその様な事を言って呉れるだけで本懐だ。
それに留学ともなると、外国で一緒に居る時間が増える。周囲の目も気にしなくて良くなる。暫くは準備などで忙しいだろうが、日本に居る間も出来るだけ二人の時間を共有したいと思うのは我が儘だろうか」
運転手の耳目を憚って小さな声で告げた。
片桐は、ほんのり笑い頷いた。
話をして居ると、見慣れた道に入り、学校が近いのだと知る。自分達の学校は菊の御紋章の付いた車が良く来るので、校門を入っても誰も不審な顔はしなかった。
二人して院長室に向かって歩いていると、三條が笑顔で近付いて来た。
「たまたま廊下から窓の外を眺めていると、皇后陛下の御車が見えた。だから二人が来たのかと思った。予想通りで嬉しい」
一旦言葉を切ると辺りを見回し、言葉を続ける。
「その様子では問題は片付いたという事か」
自分も片桐もそんなに嬉しそうな顔をして居るのだろうかと思ったが、片桐の顔を見て納得した。
以前、自分を眺める時に見せた、柔らかい笑みを浮かべている。
「ああ、ただ、残念な事にお前とは大学が違ってしまうと思う」
「何だ、それはどういう事だ」
三條もそこまでは知らなかったのだろう。今日の皇后陛下と絢子様との内々の謁見の事をかいつまんで話す。
「そうか、留学か。絢子様辺りの御考えだろうが、皇后陛下も外国文学に造詣が深いと伺って居る。御二人で相談してお決めになったということだろうな。同じ大学で学べないのはいささか残念だが、仕方が無い事だ。これからも両家とは縁の有る身、送別会は任せておけ」
口調に暖かさと親身さが混じって居た。三條には随分世話になった。御礼をしなければと思う。
片桐にその事を耳打ちすると、彼も笑顔で同意した。
話している内に院長室の前に着いた。三條は別れの挨拶をして廊下を歩き出す。
院長室の扉を叩いて、入出の許可を求める。
留学という抽象的な言葉しか皇后陛下は仰らなかった。自分達はどんな大学に入学するのだろうかとの少し不安だった。
「失礼致します」
そう言って院長室に二人して入り、執務室に座って居た院長に礼をする。
柔和な顔つきをした院長は直ぐに立ち上がり、自分達を応接室の方に招いた。
院長先生の応接室は先程拝見した皇后陛下の御部屋とは異なり、独逸風の質実剛健たる構えだ。これも設計を担当した乃木大将の趣味だろう。
直立不動で椅子の前に立っていると、直ぐに院長は秘書に書類を持たせて入室して来た。
「まあ、掛けたまえ」
「はい」
おのおの一礼し二人が並んで座ると、院長先生は秘書に書類を卓の上に置き部屋を出るように命じた。本来ならば、お茶とお菓子が出るところだが、自分達はまだこの学校の生徒の身だ。
「身体の調子は如何かね、片桐君」
院長先生の声が気遣わしげだ。片桐の病状については詳しくご存知らしい。
「お陰様で、快癒致しました」
微笑して片桐は言った。
「そうか、それは何よりだ。案じていた」
院長先生は片桐の姿を見て、少しは安堵したらしい。
「だが、だいぶ痩せたな。これからは滋養の有る物を沢山食べなさい。それが一番の薬だからね」
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