194 / 221

第195話(最終章)

 母の部屋に入ると、部屋着の母は苛苛した様子で自分を出迎えた。マサも当然、入室しようとする。 「母上、今から大事なお話があるので、マサを下がらせて下さい」  決然と言い切ると、母は呆気に取られた顔はしたものの、視線でマサを下がらせた。 「随分遅いご帰宅ですわね、晃彦さん。学校に行ってから、片桐邸にいらっしゃったのでしょうね」  その口調に違和感を覚える。激怒しているかと思っていたが、疲れ切った声だった。 「陛下や絢子様の前では取り乱しました。それは謝りますわ。そして、突然の留学話……その時は頭の中が混乱して『片桐伯爵家の全てが憎い』と思いましたのよ。晃彦さんは、今まで非の打ち所の無い自慢の息子でした。それがよりにもよって、片桐伯爵のご子息と道ならぬ恋をしているとお伺いして……。きっと精神が一時的に錯乱してしまったでしょうね。 全ては片桐家の御子息のせいだと思う事で精神の均衡を取り戻そうとしていたのかも知れません。喩えは悪いですが、花嫁御寮に嫉妬する姑根性と同じではないかと思うようになりました。  以前は、何でもわたくし達の申し上げる事もお聞きになって、その上加藤家の嫡子として非の打ち所の無い晃彦さんでしたのに、片桐家の令息との事ではわたくしどもの申し上げる事はお聞きにならず、あまつさえ、私達に反抗されるではありませんか。それできっと頭に血が上ったのでございましょうね。片桐家への中傷をしたのも私の大切な晃彦さんを取ってしまう片桐家の子息が妬ましかったのだと、本日、鮎川公爵に諭されて思いました」  母の独白を遮る事無く聞いていた。このまま、話が変わらなければ自分にも片桐にも良い方向に行きそうな気がした。 「ですから、留学をなさい。皇后陛下の仰せになった通り、英吉利で学んで立派な加藤家の当主となられるように頑張っていらっしゃい。  わたくしはもう、片桐夫人にも嫌がらせは致しません。本日、片桐家の皆様のご立派な振る舞いには心の底から感服いたしました。わたくしは心の底から自分の事が恥ずかしくなりましたのよ」  母のしみじみとした述懐に、母にも葛藤が有った事を知って少しは理解出来る気がした。  それよりも、留守中の片桐家への風当たりが無くなる事を心の底から安堵した。 「申し訳ありません。我が家には愛着を持っております。ただ、それよりも片桐君への想いが上回って仕舞った事はお詫びしますが、この想いだけは手放す事は考えられません。その点をご理解戴きたく思います」  そう言って頭を下げた。心の底からの感謝の気持ちだった。  母は嘘を付いておられないと表情から分かった。これで両家の確執は取り除かれるだろう。  自分が頭を下げた後も、母の述懐は続いた。 「鮎川公爵にも諭されました。今、わたくしが逆上しても良い事は何も無い。この社会で爪弾きにされるのが関の山だと、確かにそうですわね。  考えて見れば、晃彦さんは片桐家の子息を園遊会に招待したいとわたくしにお願いにいらっしゃった時から、ご子息の事を気になさっていました。こうなるのも必然という感じが致しますわ。次期加藤家当主として恥ずかしくない教養を身に付けて無事帰国なさい。それだけが母の願いです」  母は疲れたように口を閉ざす。

ともだちにシェアしよう!