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第196話(最終章)

「有り難うございます。勉強に励んで来たいと思います。片桐君の件ですが、それだけは認めて戴きたく思います」 「……それは……理性では分かっている積りです…しかし、今の今は到底無理ですわ。その件だけは、学業を終えて無事帰国なさってからの事と致しましょう」  激怒していると伝えられた母がこう低姿勢なのは、皇后陛下や鮎川公爵の諭しが効果的だったのだろうかと思う。  母ははっきりと仰らなかったが、鮎川公爵なら、「社交の場所から締め出す」という事を言外にでもほのめかした筈だ。三條の頼みも有ったとは言え、世間的に見ればなら唾棄すべき筈の二人の関係をご存知になられても、味方に立って下さった御方だ。御礼をしなければならない。そうかと言って、三條が計画して居る送別会に出席を促すというのもどうかと思われる。何しろ、招待客は自分達の友人が中心なので年上の公爵を御呼びして良いものであろうか。 「皇后陛下が仰った様に、私が嫡子に決定したのは事実ですか」  搦め手から質問してみる。 「ええ、事実でございますわ」 「では、電話や登校や外出などは自由に出来ますか」 「勿論です。謹慎は昨日限りという事で父上とも御話が付いております」  母は疲れ切った表情で仰った。  今日は参内、息子の留学話、そして鮎川公爵の訪問と精神的にも疲労が多かった筈だ。本当に精神的にもお疲れなのだろう。 「では、留学準備の為に色々と動き回りますし、出来れば学校にも顔を出します。ではお休みなさい」 「お休みなさいませ、晃彦さん」  そう言うと母は立ち上がり、御自分寝室の扉を開けた。自分の帰邸を待って居てくれたのだろう。足元が少しふらついていた。かなりのお疲れなのだろうと思うそして、認めて二人の仲を認めてくれた母の後ろ姿に感謝の気持ちを込めて一礼した。  母が激怒して居ると聞いた時はどんな方法で宥めようかと頭を悩まして居たが、杞憂に終って安堵した。あの場所に父が居なかったのも良い兆しだ。  もし、父が反対しているなら二人掛りで説得する様に計らうだろう。父は黙認の形を取るのでは無いかと予想した。  この恋が自分の家と片桐家の確執が正面上でも取り除かれたので有れば嬉しい誤算だ。  早くこの事を片桐に知らせたかったが、今日は驚く程時間が早く過ぎて、もう10時だ。このような時間に電話を掛けることは出来ないが……、ただ彼は自分の事を大層案じて呉れている。  屋敷に行って見ようかと思いついた。片桐の部屋の電気が消えているならば、引き返して来るだけの事だと思った。  今日は主人夫婦の参内が有ったせいか、何時もより屋敷の使用人も早く休んでいる様だったので、誰にも見つけられずに抜け出すことが出来た。  以前、片桐家の女中から教えて貰った近道を足早に歩く。  片桐が起きているかは自信が無かった。母の様に精神的な疲労で就寝している可能性は高い。其れに彼は数日前まで不眠を訴えて居た。そう考えると起きている方が可能性としては低い。  しかし、「母が折れた旨」を一刻も早く直接伝えたい。無駄足を承知で人影疎らな小道私服で歩く歩調がどんどんと早くなるのを自覚した。

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