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第197話(最終章)

 シズさんに手紙を運んで貰う事も考えたが、時間が時間だ。女性の1人歩きはいくらこの辺りが自分達のような身分や豪商が住んで居る地域だと言っても、危険が大きいと判断した。  彼女は良く自分や片桐の為に動いて呉れた。出来れば良い配偶者を見つけて上げる事が望ましいが、御一新前は武家の出と言っても、良縁には恵まれる立場ではないし、自分の知り合いにも彼女と釣り合う男性は居ない。そう考えて歩いていると、ふと片桐が以前、老婦人を助けた事を思い出した。元武士階級へのつながりは彼の事だからきっと有ると思った。 「片桐に相談してみるか」  そう思っていると彼の屋敷に着いた。  片桐邸も明かりが殆ど落とされている。特に片桐の父上は病人でいらっしゃる。屋敷の電灯を早く消すのは当然だろう。  期待を込めて、片桐の部屋を見ると明かりが点いて居る。点いて居るからと言って就寝していないとは限らないが……片桐の部屋の窓を目掛けて、柔らかめの石を投げた。  無事に窓に的中した。すると、直ぐにカーテンが開き、部屋着姿の片桐が立っているのが見えた。  逆光で良く見えないが、彼の様子は何処となく物憂げだった。こちらの姿を認めると、微笑を浮かべたが、以前、学校で自分を見下ろして呉れていた表情とは全く異なるような感じだった、あくまでも逆光なので良くは分からないが。  きっと、心配して待っていたのだろうと思い、満面の笑顔で片桐を見た。  彼は待ちきれないとでも言う様に、二階の自室から器用にベランダと木を伝って降りてきた。 「晃彦、来て呉れて嬉しい。こちらだと……誰にも見咎められずに話しをする事が出来る」  彼はそう言って、庭園の中を先導してくれた。どちらからともなく、手を繋いだ。彼の手は冷たかったが、精神衰弱的な震えは出て居なかった。先程の微笑みで安堵したのだろうか。 「……御父上や、御母上は納得された……のだろうか」  複雑な気持ちをはらんだ声で確認して来る。 「ああ、父にはお会い出来なかったが、あの後、屋敷に戻ると、母は『自分達が悪かった』と言って呉れた。俺達が留学しても、母は片桐夫人に嫌がらせはしないと約束してくれた。  だから、もう大丈夫だ。」  自分の手を握った片桐の力が強く成る。 「そうか……。それは良かった。本当に」  彼の口調が安堵を物語って居る。きっと、心配の余り無理に起きていたに違いないと思った。  二人してほの暗い庭園で手を握って歩いて居る。梅雨の中休みなのだろうか。月が出ていて時々、片桐の顔がおぼろげに見える。横顔なので睫毛の長さが際立って居る。そして安心したように弛んだ唇も。  殆どの問題が解決した今、彼の顔を無心で眺める事が出来る事が幸せだと感じる。 「ここだと誰も来ない」  片桐はそう言って、常夜灯の有る東屋に案内して呉れた。  東屋はほんのりと明かりが灯っている程度の暗さだった。  並んで腰を下ろした。手は繋いだままだった。どちらも手を離そうとはしなかった。 「……今日は色々な事が有って、流石に疲れた」 「オレも疲れたが、晃彦の方がより一層疲れて居るのではないか。屋敷に戻ったり、母上とお話したりで……」  懸念の色を滲ませた口調だった。 「いや、終わり良ければ全て良しと言うだろう…母上が折れて下さった事で心配してもらう程に疲れは感じて居ない」   正直に言うと、幽かな明かりに照らされた片桐の顔が安堵の表情を浮かべる。彼は太陽の下も似合うが、影の有る場所だと繊細な顔が、はかなく見える。今となっては悪くはない眺めだった。 「そうか……。では肩を借りて良いか」 「ああ」  そう言うと片桐は頭を肩に凭せ掛けて来た。彼の髪から香る石鹸の清潔な匂いが鼻腔をくすぐる。 「正直、オレは疲れた。晃彦の方がもっと大変な思いをしているのに、疲れたなどと言っては悪いかもしれないが…」  呟くように言う。 「いや、お前は病み上がりだし、父上の件も有る。俺とは比べ物にならない苦労をしてきたのだから」  空いている方の手で髪を撫でた。片桐は気持ち良さそうに目を瞑って居る。 「睡眠不足は身体に悪い。部屋に戻って寝たらどうだ」  心配して声を掛けると、即座に目を開いて自分の顔を凝視して来た。

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