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第198話(最終章)

「オレを寝室に送り届けたら、帰る積りだろう」  まさにそう考えて居た。彼の察しの良さは脱帽ものだ。 「本当は寝室でゆっくりしたいが……黙って屋敷を出てきた手前、余り留守をするとシズさんが迷惑する。実は俺も睡眠不足だから、寝台に上がったら朝まで寝てしまいそうだ」  寝る前にしたい事を敢えて隠した。本当はしたいのだが、彼の身体が心配だった。 「……そうか……なら、もう少しこのままで居ても良いか」  一瞬少し不満そうな雰囲気を感じ取ったが、その後の彼は静謐な雰囲気を漂わせている。 「ああ、何時まででも」  そう言うと、片桐は吐息を零してから、肩口に頭を預けた。手は握り合ったままだった。  髪を撫でながら来る途中考えていた事を思い出した。 「シズさんの件なのだが……彼女はとても良くしてくれた。お礼の意味を込めて、本人に結婚の意志があるのなら、縁付いて欲しい。心当りは無いだろうか」  片桐は暫く考えて、口を開いた。 「オレの家と同じく、今の明治政府軍に最後まで戦った藩が有る。そこの藩医を代々勤め、御一新後は町医者となった人の跡取り息子にしっかりした花嫁を探して居ると聞いた事が有る。何ならそちらに聞いてみるが」 「有り難い。宜しく頼む」 「いや、オレもシズさんには随分世話になった。だから構わない」  彼の髪を梳いているとこちらの気分も落ち着く。このまま夜が明けなければ良いのにと思った。  夜のしじまの中、片桐邸の庭園の東屋に二人きりで居ると、あたかもこの世界には二人しか居ない様な錯覚を覚えてしまう。  懸念材料が消えた今、安らかな気持ちになる。  触れ合いたい、もっと深い処で彼と繋がりたいという欲望は無論存在するが、こういう何もせずに一緒に居るのも悪くないと思ってしまう。  それは彼も同じ様に考えているらしく、肩に凭れた彼の顔は満ち足りた様に微笑んで居た。  繋いだ手の力を強くしたり、弱くしたりして二人して笑みを深くした。常夜灯は暗いが、それでも彼の横顔は見る事が出来た。長い睫毛が影に成って彼の顔を彩って居る。 「御父上の御容態はどうだ」  気に成っていたので聞いた。 「ああ、今日は流石にお疲れの様だったが、お医者様の言うことには、病状がこれ以上悪化する可能性は極めて低いそうだ」 「それは何よりだ。今日、宮城でお目にかかったが、しっかりしてらっしゃった。お前が英吉利に行っても家長は務めることが出来そうだな」 「ああ、オレもその点では気を楽にして留学出来る」  暫くは、居心地の良い沈黙が続いた。 「もう少しで出発だ。それまでお互い忙しいが、それでも出来るだけ、逢おう」 「ああ、三條が送別会をして呉れると言って呉れたから、そのついでと言っては何だが、帝国ホテルに宿泊する時には……」  言外に含みを持たせて言うと、彼もはにかんだ表情を浮かべて嬉しそうに頷く。 「日程は決まっていないが、出発直前ということは無いだろう。それよりも、招待客の選定をして早く招待状を出さなければいけないな」 「晃彦が一旦屋敷に戻ってからオレなりに付け加えるべき人を数人加えた。鮎川公爵も招待したいと思っているが、晃彦はどう思う」  自然と囁くような声で会話をしてしまう。誰かに見咎められないように、そして何より、二人の世界を維持して置きたくて。

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