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第204話(最終章)
「絢子様からのご紹介で、留学の案内をして下さる人がいらっしゃったそうだ。一緒に話を聞こう」
頷いて先ほどの安楽椅子に座った。片桐は使用人にお茶とお菓子の用意を言いつけていた。その男は丁寧な物腰で自己紹介をしている。何でも、自分達の様な階級の留学の世話をして居る会社を経営しているそうだった。英吉利にも支店が有って、様々な相談に乗るという。絢子様は何処までも心配りの行き届いた方だと思った。
「倫敦滞在中は住む場所が必要ですから。ただ、今からですと寮には入れないので御座います。衣食住の面倒を見てくれる下宿屋が有りますので、そちらでは如何ですか」
衣食住とは、つまりは食べ物を出してくれて、洗濯や掃除をしてくれると言う意味なのだろう。自分も……多分片桐も……料理などはしたことが無い。それならそれで助かる話だ。
「そういった下宿でお願いします」
「ただですね……、時期が時期なだけに今ご用意させて戴けるのは御二人様用のお部屋しか御座いません。つまり、二部屋用意するとなると時間が掛かってしまうので御座います」
「つまりは、一部屋で一緒に住むという事ですか」
片桐が言った。
「左様で御座います。勿論、二部屋用意する事も可能な限り努めさせて頂きますが……」
男は頭を下げて言う。
――片桐と同じ部屋で寝起き出来る――
そちらの方が嬉しかったが、片桐の気持ちを優先させたかった。自分も片桐も1人の部屋に慣れて育っている。
「どうする。俺は一部屋で構わないが……」
彼の顔を真っ直ぐに見つめて尋ねた。片桐は自分にちらりと目を向け静かな声で言った。
「一部屋でお願いします」
「片桐、本当に良いのか」
急き込んで言った。
幾ら異国での不自由な生活ではあるが、自分も片桐も1人の部屋で育って来た人間だ。その習慣が変えられるのだろうか。自分には大歓迎ではあったが。
その口調を片桐は別の意味で取ったに違いない。視線を下に向ける。
「矢張り、1人部屋の方が良いと、あ……加藤は思うのか」
他人が居る事に気付いたのか名前で呼びかけて居た口調を若干変えて苗字で呼んだ。相変わらず視線は床に落としたままだ。長い睫毛が頬に影を作る。
「いや、片桐が嫌で無ければ、一つの部屋が良いと俺は思って居る」
強い口調で言い切ると、やっとこちらの方に視線が動いた。その瞳には明るさが戻って居た。
「それでは、一部屋の手配をお願いします」
そう言って、絢子様が紹介された男に二人で頭を下げた。
男は書類に何かを書き込んだ後、
「船の手配や荷物の梱包も承って居ります。出国のご準備など、公的な事も代行させて頂きます。御皇族方も良く弊社をお使い下さっておられますので、その点はご心配なさいません様に・・・…、十全に手配をさせて戴きます。
ただし、8月末には倫敦ご到着となりますと7月2日に横浜港出港の船しか空いて居りません」
この言葉に慌てて片桐の方を見ると彼も予想外だと言った表情を浮かべて居る。もう少し余裕が有ると思っていたのだが……現実はこの様なものらしい。
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