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第214話(最終章)

 父と言って仕舞ってから、病床に伏していらっしゃる片桐の父上の事を思い起こす。 「御父上の御容態はその後どうだ」  ずっと気に掛かって居たが、中々聞けずに居た質問だった。  片桐は明るい声で言った。 「オレの留学が決まってからは、『オレの留学中は自分がしっかりと片桐家を守って行かねば』と仰って、家長の務めを少しずつだがこなしてらっしゃる。オレは時々補佐をする程度で済むので助かって居る」  自分は留学の手配だけで忙しいのに、片桐は家の事もして居る事に気付いた、今更だが。 「無理だけはするなよ」 「ああ、別に無理はしていない。晃彦と逢えないのは寂しいが、そういう時は鎖骨の上を見る事にして居る」  最後の方は呟く様な声だった。  鎖骨の上、それは自分の付けた情痕だった。一つだけと言うのも物足りなくて、もっと彼の身体中に付けたいのは山々だったが、お互いに如何せん時間が無い。 「次に逢えるのは……矢張り、帝国ホテルか」  暫く沈黙が続いた。彼も算段をして居るのだろう。 「……誠に残念だが、ゆっくり逢えるのはその時だな……。ただ、出来るだけ逢いたいので時間が有れば、屋敷に来て欲しいのだが……」  吐息交じりの声だった。 「ああ、また忍んで行く。僅かな時間しか取れないのは残念だが」 「何時でも待って居るから…」  そう言ってから語調が変わる。 「シズさんの件は、先方に伝えて置く。彼女が縁付くのを見る事が出来ないのはとても残念だが、これで殆ど心残りが無くなった。英吉利に行っても心配は無い」 「それはそうと、お前はどの学問を専攻する積りなのだ。夏目先生の様に英吉利文学か」  電話での長話は忌まれる事だったが、少しでも彼と話して居たいという願望が抑えられない。 「それも考えたのだが……、昨今の世界情勢を考慮に入れれば各地で戦争が起りそうな雰囲気だ。だから国際関係を学ぶ方が半ば国費で留学させて貰って居る以上、有益だと思うのだが、晃彦はどう思う。今は文学に耽溺して居る場合では無いと思うのだが・・・」  確かに彼の言う通りだった。各国は各々の国益の為に何時戦争が起るかも知れないというのは知識人が盛んに主張して居る。 「お前が、特に文学を特に学びたいと思わないのなら、その方が実効性の有る学問だろうな……俺には向いて居ないが」 「そうか、ならば、矢張りそちらを学ぶ事にする。また、屋敷に来て欲しい。時間があれば…だが」  そう言って電話が切れた。  何時もの彼女と違い、部屋で落ち着き無くシズさんに片桐の電話の内容を話すと、彼女の顔が輝いた。  挙式が何時になるのか分からないが、自分達が帰国する頃には彼女は縁付いてきっと良い医師の妻と成っているに違いない。彼女なら良妻賢母に成るだろう。  自分の屋敷の家令は高齢過ぎて当てに成らないので、事実上の家令の仕事をして居る心効いた者を呼んで、シズさんの結婚を告げて「くれぐれも加藤家として恥ずかしくない様な支度をする様に」と命令した。この男は次期当主である自分に敬意を払って呉れている人間なので、よもや命令に背く事は有るまい。

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