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第219話(最終章)

 それを潮に、鮎川公爵の下に近付く。 「この度はご出席忝く思っております」  そう声を掛けると、公爵は磊落な笑みを浮かべた。 「いやいや、いつもは年が同じ位の集まりしか出席する機会が無いのでワシは満足しておるよ。若い人間……特に若い令嬢を多数拝見する機縁となってワシも若返った気がする。新鮮で目新しく思って居る。この様な集まりに招待して呉れた事を光栄に思う」  公爵は楽しそうに仰った。  自分達の席に帰る時も、友人達が祝福の言葉を掛けて呉れる。  三條がやって来て、人目に付かない所に誘った。 「こんな感じの送別会で良かったか。支配人に聞くと、ジャズの演奏も出来るとの事だったが、絢子様から出席するという御意向を伺って、クラシックにしてもらったのだが」 「派手過ぎるかと思っていたのだが、皆楽しそうなのでこれで良かったと考えて居る。片桐もそうだろう」  視線を彼に向けると彼も頷いて居た。 「ここは丁度死角に成って居る。暫くは二人きりで休んで居るといい」  そう言って慌しく立ち去った。主催者として色々な用事があるのだろうと思い、見送った。 「こんなに人数が集まるとは思って居なかった……。お前は疲れて居ないか」 「オレは大丈夫だ……と思う……」  笑顔で返される。そっと周囲を見回すと、死角に成って居るせいもあり自分達に注意を払っている人間は居ない様だった。  一瞬、掠めるだけの接吻をした。彼も周囲を見渡し、口付けを深めた。  彼の目蓋がほんのりと紅に染まっていた。目蓋の上気は、人混みに当てられた様にも見えるのでそうそうは気づかれない筈だ。 「そろそろ席に戻ろう」  片桐は我に返ったように頷いた。  二人して席に戻ると、次次に祝いの言葉を述べに来る人達で列が出来る程溢れかえって居た。  まずは恩人を優先したいので、片桐の耳に囁いた。不自然に成らない様に気を付けて、それでも出来るだけ彼の皮膚に触れる位の近さで。 「列の中ほどに華子嬢が柳原嬢が並んでいらっしゃる。お前の妹なのだから、名指しで呼んでも構わないだろう」  片桐は頷くと妹を手招きした。案の定華子嬢は柳原嬢と一緒に自分達の近くに寄って来る。  華子嬢は暫く見ない間に随分と大人びた美しさを備えて居た。これも三條との婚約が決まり、恋愛中だからに違いない。大人びた彼女を見て、「これならシズさんの結婚の件も安心して任せられる」と思った。 「片桐、柳原嬢だ。この度の件でとてもお世話に成った方だ」  かつて一応知らせて置いたのだが念押しの為に敢えて言った。 「お力に成って戴いて有り難う御座います」  片桐が満面の笑顔で言うと、彼女は頬を上気させ、恥ずかしそうに袖で顔を覆った。その後、淑やかな声で返事をした。顔は袖に隠れたままだった。 「いえ、片桐様のお役に立てて光栄で御座います。わたくしなどの力は本当に微力で御座いますわ。それよりも、慣れない英吉利暮らしでお体にはくれぐれもお気をつけ下さいませ。もし、お暇が有りましたら絵葉書を送って戴ければとても嬉しいですわ」 「はい、必ず送らせて戴きます」  律儀な片桐の返事に袖から顔を上げた柳原嬢は頬を上気させ片桐の顔を見詰めた。片桐も笑顔で彼女を見詰めて居る。嫉妬心が無い訳ではないが、片桐の愛情が自分だけに注がれて居るのを知っているだけに、ここは自分の笑顔で居るべきだろうと判断した。本心は自分以外の人間に笑いかける彼を見たくは無いが、片桐は「恩人への感謝の笑顔」を浮かべているだけに過ぎないと理性で感情をねじ伏せた。 「お兄様、お父様とお母様の伝言で御座います。横浜港には見送りに行く予定ですが、御車はこちらのホテルから出して貰えるかどうか確認して、もし出して戴けないのでしたら、我が家の御車を回すとの事ですが……」 「多分、このホテルからの車に乗って行くと思う。後で支配人に聞いてみて、もし無理なら電話をすると母上に伝えて欲しい」  その会話を聞いて、島田支配人に頼んでみようと思って居る時――出来るだけ二人で居たかったので――  柳原嬢が真剣な表情で華子嬢に仰って居た。

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