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act.2 目を逸らした先にあるもの

「……ッン、良かったの? ホントに……」 「……何が」 「渉」 「…………えぇよそんなもん。アイツと飯くらいいつでも食える」 「……ふぅん?」 「…………えぇから、集中せぇて」 「ん、ふ……ッぁン」  うるさいクセに柔らかくて形のいい唇を乱暴に塞いだのは、これ以上聞かれたらたぶん、この後の行為に差し支えが出ると思ったからだ。  無邪気が過ぎる童貞なんか、好きになるもんじゃない。まして同性相手だなんて不毛にも程がある。  組敷いたエミは、どこかしこも柔らかくて温かくて、まぁるい。太っているという意味じゃなくて、角がないという意味だ。男にありがちな、どこもかしこも固そうでゴツゴツした体とは違う、何もかも受け入れてくれそうなこの丸みが素晴らしい。  あんな無邪気で無防備でやたらと食い意地ばっかりはってるような童貞男なんか目じゃないくらいにソソる体を前にして、息子はちゃんと元気に固くなってきた。  胸に顔を埋めたら、パラダイスが広がっている。そう、この柔らかさだ。女の子の胸には夢と希望が詰まってるって高校の修学旅行でも喋ってたけど、本当だったと思う。  既に何もかもを脱ぎ捨てた体は、吸い付くようなしっとりとした肌触りでオレの男の本能を刺激してくれる。  オレは女の子が好きだし、一人でヌく時だって女優が喘ぐAVをオカズにする。例えそれが最後の最後であの童貞の顔に変わろうとも──オレはとにかく女の子が好きなのだ。  熱くなった股間をエミに押し付けたら、エミの唇から艶かしい吐息が漏れて、快感が背中を走った。  こんな風にうっとりした溜め息で男を煽る術など、アイツは持っていないに違いない。だからあんな童貞相手にこんな気持ちは不毛なのだと、言い聞かせるように胸の中で呟く。 「……みのる」  優しい声に名前を呼ばれて、ゴム越しに熱を感じながら(なか)侵入(はい)っていく。蕩けたそこは適度に締め付けたり緩んだりと、ただそこにいるだけで甘い快楽を与えてくれる。  腰に巻き付けられた細くて(すべ)らかな足。胸を滑っていく細い指先。オレを呼び甘い吐息を溢す唇。──あぁ、全てがこんなにも気持ちいいのに。  どうして、心だけが満たされないんだろう。 (…………わたる……)  *** (くそっ……なんでこんなことに……ッ)  持て余す痛いほどの熱。前屈みになって駆け込んだトイレの個室で、ぐったりと溜め息を吐いた。  何かの間違いであって欲しかった。  こんな情けないほどに怒張した息子のこうなった理由が、まさか(親友)の匂いを嗅いだせいだなんて信じたくもなかった。  ドクドクと脈打つそこの熱さと言ったら火傷しそうなほどで、初めて自分で触ることを覚えてから今までで一番熱くて一番大きい。 (勘弁してくれ……)  頭を抱えていきり立ったそこから目を逸らしても、腹の底をくすぐる快楽からは逃れられない。こうまでなってしまっては、ヌくよりほかないことは分かっている。  恐る恐る触れた何時にないほどの熱に呻きながら右手を動かす。思い浮かべるのは、こないだAVで見たナイスなバディの薫子(かおるこ)ちゃんだ。  そうだ。こんな時一番に思い浮かべるのは、女の子だ。オレはなんにもおかしくない。きっと、疲れが溜まっていたんだ。たまたまアイツが、女の子が使うシャンプーのような花みたいな香りを纏っていたから。だから、女の子を連想してしまっただけだ。  誰があんな、固そうな男に……でもアイツ、あんまりゴツゴツしてなくて、しなやかなんだよな。体も小さいし。抱き抱えたらちょうどいいサイズで……髪もふわふわだし、顔もどっちかっていうとかわい…… (違う違う違う違う違う……っ!)  ブンブン首を振ったのに、止める間もなく白濁が噴き出してくる。──アイツの顔と体を思い出した瞬間だった。 (勘弁してくれってホンマに……っ)  泣き出したい気持ちのまま、飛び散ってしまった白濁をトイレットペーパーで拭き取る情けなさといったらなかった。  打ちのめされたままゆらりとトイレから出る。 「あれ、稔? どうしたの? 体育じゃなかった?」  廊下の向こうから歩いてきたのは、エミだった。 「あぁ、うん……ちょっとな……」 「なぁに? 暗い顔しちゃって」  キョトンとした顔が近付いてくる。 「あほ。無防備に近寄んなて」 「なぁによ、拗ねてんの? 誰にでもこんな距離で近付いたりしないわよ」 「あほが」 「ッ、ちょっ!?」  顔を逸らしたのに追いかけてきた。だからエミが悪い。そんな風に言い訳をして、細いのに柔らかくて、温かくていい匂いのするエミを腕の中に閉じ込めて 「なに……」 「……」 「ちょっと、稔?」  肩にすがるように顔を埋めたのが間違いだった。 (この、におい……)  香ったのは、さっき渉から香ったのと同じ匂いだ。  渉とエミに何かあったのだろうか。──あの渉と?  そう思った瞬間に身体中の血が沸騰して、一点に集中した。強烈で最悪な自覚だったのに、まだ信じたくなかった。 「ちょっ……稔!?」  嘘でしょ、とさすがにたじろいだエミが腕の中で身を捩る。 「無防備に近付くなて言うたやんけ」  吐き捨てるように呟いて強引に唇を塞ごうとしたのに、寸でのところで顔をそらしたエミが燃えるような目で睨み付けてくる。 「ちょっと……!」 「……なんで……」 「なに」 「なんで、お前……」  渉の匂いすんねん、と呟きかけて唇を噛んだ。 「……くそっ……なんやねん……」 「……何……? あんたなんか変……」 「うるさい黙れ」 「ちょっとあんたねぇ……──嘘でしょなんで……」  文句を言おうとしたらしいエミが、目を見張って絶句する。  一瞬で我に返ったらしいエミは、緩んでいたオレの腕の中からすり抜けた後で、こっち、とオレの腕を引いて人気(ひとけ)のなかった教室に匿ってくれる。 「なんなのよもう……」  どうしたの、と優しくなった声に耳を撫でられて、ふるふると首を振るのに合わせてパタパタと雫が床に落ちた。  遠慮がちな手のひらがそっと頭を撫でてくる。 「なぁ……」 「何よ……」 「シたらアカン?」 「……あんたそれ、誰でも良くて言ってるのモロバレだからね?」 「……すまん」 「あまつさえ認めるんじゃないわよ、ホントに。嘘でも否定しなさいよね、全く……」  ぷりぷり怒ってみせる口振りとは裏腹に、優しい手のひらは頭を撫で続けてくれている。それに甘えることにした。 「なぁ……アカンか……」 「…………ここで?」 「……」  黙りこんだオレの返答を数秒待ったエミは、諦めたように溜め息を吐いて苦笑いする。 「さすがにあたしも教室ですんのは初めてだわ。……最中に誰か来たら、責任取ってよね」 「……すまん」  強引に合意を取り付けて、エミのスカートの中に性急に手を入れる。  予想外に濡れそぼったそこは、既に柔らかい。  ギクリと胸が跳ねたのは、やっぱり渉とシていたのだろうかと疑ったからだけれど。 「……ねぇ、分かったかもしんないけどさ。……あたし、淋しいと誰とでもシちゃうタイプなのね。……でもさ、同じ学校とかだと面倒臭いことになったりするじゃない? だからずっと避けてたんだよね」 「……すまん」 「いいよ別に。まぁ稔ならいっかなって。……でさ。……時々さ、あたしから誘ってもいい?」 「…………それは……」 「稔がさ。シたい時、誘ってくれたらいいし。あたしがシたい時、あたしから誘うし。……ギブアンドテイクってことで、どう?」  見つめてくる目は、こんな状況にあってさえ真っ直ぐだ。 「……えぇんか、ホンマに……」 「いいよ。あたしのこと好きじゃない人がいいんだもん」 「……オレが言えた義理ちゃうけど……自分のこと、」 「大事にしろとか言ったら殴る」 「……」 「いいのよ。あたしは、こうすることで自分を守ってるんだもん」  するりと片袖を脱いだその二の腕の内側に、消えかけの傷がたくさんある。 「お前……」 「抱く気失せたなら言ってよ。何もなかったことにして帰るから」  毅然としながらも、揺れた目。 「きっとさ……似てるんだよ、たぶん、あたし達」 「……どこが」 「こんなことしたって満たされないって分かってるのに、一瞬だけでも目を逸らしたくて、逃げちゃうの」 「……」 「だって、一瞬だけでも楽になりたいんだもん」  ふい、と顔をそらして声だけで微笑(わら)ったエミを抱き寄せて 「……大事に抱く。えぇか」 「いいよ」  振り向いて笑った顔は、いつものエミの笑顔だった。  ***  大学2年の梅雨明けのあの日以来、お互い淋しい夜に一番に連絡する仲になった。  今日のように学食で堂々と声をかけられたのは初めてだったけれど、廊下ですれ違い様に視線を送りあって夜にエミが家の前で待っていることも多々あった。周囲にはなんとなく付き合っているように見えているらしい。ただの友達と訂正することもあれば、想像に任せることもある。 「ねぇ……」 「んー……?」 「渉ってさ、可愛いね」 「…………なんや急に……」 「今日、凄く一生懸命稔のお好み焼き褒めてたから」 「……アイツ、食い意地張っとるからな」  そっと視線を外して布団に潜り込む。 「そんな風に思ってないくせに」 「……」 「ねぇ、稔。気付いてた?」 「何がぁ?」 「あたし、最近、傷減ったでしょ」 「…………あぁ、確かに」  ひょこ、と布団から顔を出して二の腕や太股をしげしげと見つめる。 「だからねぇ、もしかしたらもう、稔に連絡しないかもしれない」 「…………そうか……。……えぇ奴か?」 「そうだね。凄く優しい人」 「……そうか」  にこり、といつもよりも幸せそうな顔で華やかに笑ったエミが、ちょん、とオレの頬をつつく。 「ねぇ、聞いていい?」 「……なんや」 「あの日さ、なんで泣いたの」 「……」 「渉となんかあったの」 「…………なんで」 「だって渉のこと好きでしょ」  ズバリと言い当てた声にはからかう音色はなくて、ただ静かにオレの心に染みていく。 「…………お前……アイツと(おんな)じ匂いしたんや……」 「……におい?」 「……アイツとなんかあったんか思って、ちょっと動揺した」 「…………あぁ、そっか。そりゃそうだよ。だって同じシャンプー使ってるはずだもん」 「──はぁ?」  種が分かって面白くなったのか、ふふふ、と弾んだ笑い声の後 「渉ってさ、猫っ毛の癖っ毛じゃない? あたしも実はそうでさ。毎朝めちゃくちゃ大変なんだけどね。渉とたまたま二人きりになった時に髪の毛の話になって。『シャンプー何使ってんの?』って聞かれて教えてあげたんだよね。そしたら次の日興奮しながらあたしのとこまで走ってきてさ、『あのシャンプー超いいな! 教えてくれてサンキュー!』って。……仔犬みたいで可愛かったなぁ」 「…………なんじゃそら」 「渉とは何もしてないよ。大学の人とは稔としかしたことない。最初に言ったでしょ」 「…………そうか……」 「安心した?」  慈愛に満ちた笑顔を向けられてモソモソと頷く。 「ねぇ。渉には言わないの?」 「……言うたら終わりやろ。……ちゅうか、気持ち悪ぅないんか、こんな話」 「別に? 誰が誰を好きになっても自由じゃない? まぁ、女子の方がその辺は柔軟かもしれないけどね」 「……さよか」  ははは、と漏れた乾いた笑いの後、不意に涙が込み上げてきて堪える間もなく頬を伝った。 「みのる……」 「あほ。そっとしとけ。……くそ。お前の前やとユルユルやなオレ」  ぷいっとエミから顔を背けたのに、エミの相変わらず柔らかい手のひらが頭を撫でにくる。 「……そんなに好きなのに、よく我慢出来るね。……晩ごはん、よく一緒に食べてるんでしょ?」 「……我慢するしかないやろ、こんなん……自分でも気持ち悪いのに」 「あのねぇ。あたしに自分のこと大事にしろとか説教しようとした奴が何言ってんの。気持ち悪いとか否定してるから、こんなことしちゃってるんでしょ? しかも、あたし以外にも山ほど手ぇ出してるでしょ。知ってるんだからね」 「……」 「あんた、たぶんあたしよりタチ悪いわよ。一瞬楽になっても全然満たされないって、もう分かってるくせにいつまで自分のこと認めないつもりなの?」  抉る言葉のわりには、声が優しい。  だって、だの、そんなん、だのモゴモゴと口の中で呟いていたら、頭に乗せられたままだった手がぽむ、と優しく叩いてくる。 「って、言われたんだぁ。……あたしねぇ、中高で苛められてたの」  突然の告白に虚を突かれて、エミの方を思わず振り返る。へへ、と照れ臭いと悲しいが混じったような複雑な顔で笑ったエミが、もぞもぞとこっちへすり寄ってきて肩に顔を埋めた。 「大学では絶対苛められる側にならないようにって、凄く……ものすっっっごく無理してた。……明るくて、サバサバしてて、ぶりっ子しないけど愛されるキャラ、みたいな? ……でもさ、すーごい疲れるの。で、気付くと色んなトコが血だらけになってた。……無意識なんだよね、ほとんど。でも、一瞬だけ凄く楽なの。……一瞬なんだよ、一瞬。でもその一瞬が欲しくていっぱい傷つけてね。もう痛いのヤダなって思うのにやっちゃって」  遠くを見つめる淋しそうな目が不意にこっちを向いて、きゅっと下がった眉毛の下で淋しく笑う。 「……そんな時にね、コイツ絶対あたしのカラダ目当てだなってあからさまに分かる奴に声かけられて……でもまぁいっかなぁって。断るのも面倒だったし、なんかもう、全部どうでもよくって。……そいつはそんなに上手くも下手でもなかったんだけど……なんていうか、人肌? 体温ていうの? あったかくってさぁ……なんか、満たされたんだよね、ちょっとだけ」 「…………そうやな……」 「でしょ。……でも、ダメなことって言うのもさ、分かってるわけ。だから、定期的に爆発しちゃうみたいに傷つけちゃうの。……そういう変なループにハマってた時に、稔とシちゃったんだよね。稔が泣くからさぁ……しょうがないなぁって思っちゃって。……でもね、初めてだったんだよねぇ。……必要とされてるかもって思ったの。稔に呼ばれて会うたびにさ、今の一瞬だけはあたしが支えてるのかもなって、初めて思ったの」  へへへ、と笑ったエミがオレの前で初めて鼻を啜り上げた。 「初めてだったんだよ。……自分もそんなに捨てたもんじゃないのかもなって、思ったの。……それからね、なんていうか……まぁ、その……今の人に出会ってさ? なんか……やっと信じられたんだよね、人の言葉。ホントにあたしのこと、心から大事にしてくれてるんだなって信じられた」  稔のお陰だよ、と泣きながら笑ったエミの頬を指先で拭う。 「あほ。えぇ話にすんな。オレはヤりたいようにヤッとっただけや」 「うん知ってる。でもそれはおあいこだもん」  イタズラが見つかった子供のように無邪気な照れ笑いを浮かべたエミが、真っ直ぐにオレを見つめた。 「ねぇ。渉に伝えなくても別にいいけどさ。自分の気持ち否定すんのはもうやめたげなよ。……好きな気持ちはさ、大事にしていいと思うよ」 「あほ。自分が幸せやからって説教すんな」 「説教じゃないもん忠告だもん。渉の前で爆発しても知らないからね」 「……フラグ立てんな」

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