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act.6 切れたはずの糸を君が結びにきた(1)
なるべく渉のいそうな場所には行かないようにして、渉も出席する授業にはとにかく目立たない後ろの隅っこに座って出るようになって1ヶ月近く経った。
季節は夏目前で、期末のテストもさることながら、大学生特有の長い休みを前にしてあちこちで浮かれ始めている。
急に山ほどカップルが出来る中で、渉の噂もちらほら流れてきていた。いわく、脱童貞したらしい渉は、手当たり次第女子に手を出しては一夜限りのつまみぐいをしているらしい。散々オレに文句を言ったくせにだ。
こちらはといえば、あれ以来すっかり食欲も性欲も落ち込んで、持っていたズボンが全てゆるゆるになって買い替えるはめになっているというのに。
「おっきい溜め息だね」
「……おはようさん」
溜め息を吐いていた所に声を掛けてきたのは、いつ頃からか左手の薬指に指輪をつけ始めた颯真だ。こっちは完全に玉砕したのになぁ、と溜め息が増える。
「大丈夫? なんか痩せたね」
「あぁ……まぁ、大丈夫や」
「食べてる?」
「食べとる」
「ホントに?」
「……ホンマに」
じぃっと目の奥を見つめてくる颯真の視線からぎこちなく目を逸らして、もぐもぐと口ごもりながら呟く。
お見通しだろうけれど、実際にはほとんど食べられていない。
渉にこっぴどく拒絶されて以来、料理が苦痛になった。食事をするのが苦痛と言っていい。最近は渉と一緒に食べることが多かったこともあって、食べることが渉との記憶に直結しているせいもあるのだと思う。
食べなければと思うのに、ついこの間まで二人で笑って食事をしていたのだと思うと、今の状況が苦しくて仕方なくなるのだ。
食べれば食べるだけ楽しかった記憶に押し潰されて、途中で箸が止まったらどれだけたくさん残っていても、もう箸を上げる気にならなくなってしまう。
最低限だけ食べたら、後はラップして翌日に持ち越し。そうして今までなら1食で食べきっていた量を3食くらいに分けなければ食べ切れなくなった。
自分はこんなにも弱かっただろうか。
たかが恋1つでこんなにも打ちのめされていただろうか。
過去の自分は、いったいどうやって苦い恋を乗り越えてきたのだったか。
(──ちゃうな)
こんな恋は初めてだったのだ。
自覚した当初から、苦しくて仕方なかった。
男同士で、親友と呼べる間柄で。そんな相手に叶わぬ恋心を抱いて、男女の距離とは違う同性同士だからこその距離感がいつも自分を追い詰めていた。
ノリでつっこむ時だって普通にどつき合いできて、酒の勢いがなくたって肩が組めて。触れ合う機会が多くて錯覚しそうになったり。
飯を作れと尊大に笑っては、頬張りすぎてリスかハムスターにしか見えない無邪気な顔で、ウマイウマイと笑う。
家の行き来だって自由だし、急に押し掛けてきて無防備に雑魚寝してオレを煽るくせに、オレが眠れずにいたら眠い目を擦りながら健気にオレの夜更かしに付き合ったりして。
本当に幸せで楽しくて、なのに苦しくて哀しくて。
こんな恋は初めてだった。
あんな風に完全に拒絶されて終わった恋も初めてで、初めて尽くしの恋だから仕方無い。
そんな風に自分を甘やかすのは、確かにそろそろ終わりにしたい。
「忘れななぁ……」
呟いたオレをちらりと見た颯真が、別にいいんじゃない、と諭すように笑う。
「忘れられないことってあるでしょ。しかもずっと相手が目の前にいるんだしさ。……無理に忘れようとしなくていいんじゃない?」
「……そういうもんかぁ?」
「じゃない? ホントに好きな相手なんだったらさ、たぶん……一生忘れられないんだよ」
「……」
「別にいいじゃん、忘れなくても。大事な人ってさ、何人いてもいいんだよ、きっと」
切なそうに笑う颯真の無意識らしい指先は、薬指の指輪を撫でている。
「まぁ……そうかもしれんな」
お前のことも大事やもんな、とはさすがに照れが勝って言えなかったけれど、色んな『大事』があるという意味では確かにそうだ。きっといつまで経っても渉は大事な人に分類されてしまうと思うし、仕方のないことなのかもしれない。
自分にとっては色んな意味で特別な人なのだから。
「……今度また、お好み焼き食べさせてよ。……ついでに作り方も教えて」
「……高いで」
「なんだよ、友達じゃん」
「しゃあない。ほんならご祝儀代わりで負けといたるわ」
「──ありがと」
はにかんだ颯真のふんにゃりした幸せそうな笑顔に、ごちそうさん、と笑い返した。
久しぶりだし一緒にお昼行こ、と颯真に誘われてウニャウニャと断り文句を呟いたのに、やけに強引に腕を引かれて渋々食堂に足を運ぶ。
「……渉がおったら困るんやけど……」
「なんで」
「二度と近づくなって言われた」
「律儀に守ってんの? 凄いね」
凄ないわ、とぼやいたのに、颯真は力を緩めることなくずんずん歩いていく。
「一人だとさ、美味しくないでしょ」
「……」
「誰かとさ。一緒に食べるとつられて食べれるかもじゃん」
「……」
「甘いものでもなんでもいいからさ、一緒に食べよ。何時間でも付き合うから」
「……何時間もかけへんわ」
そっと笑ったタイミングで目尻に滲んだ涙をそっと拭う。
覚悟を決めて食堂に一歩足を踏み入れたタイミングで心臓が止まったと思ったのは、不幸にも錯覚だった。
*****
「ねぇ! なんで最近連絡くれないの?」
うるさく詰め寄られてゴニョゴニョ言葉を濁す。
いつの間にか童貞じゃなくなったあの日以来、手当たり次第女子に声をかけるようになった。一晩温め合う関係なんて不毛だし女の子が可哀想だなんて思ってたはずなのに、タガが外れたらなんてことなかった。
「ねぇってば! ちゃんと答えてよ」
こんな人が集まる食堂で、隅っことはいえ詰問してくる無神経さに溜め息を吐きながら視線を逸らした先
「──ッ」
アイツが食堂の入り口からこっちを見て固まっていることに気づいて、こっちも息を飲んだ。アイツの後ろには颯真もいて、時間的にも昼飯だろうことは分かったけれど、どうしようもなく心が揺れる。
「ちょっと、聞いてるの!?」
「……聞いてるって」
うんざりしながら上の空で吐き捨てたら、キッと睨み付けてきた女がぐぃっと迫ってくる。
「じゃあ答えてよ!!」
「だから、ごめんて。……なんでもするから」
アイツが視界の端に入っていることには、気づいていた。気付いていて無理やり目の前の女に集中しているフリをするのは正直難しい。
「──なんでもしてくれるの?」
適当に濁して適当に切り上げようと思っていたのに
「いいよ? 何して欲しいの?」
「じゃあここでキスして」
目の前の女がニッコリと綺麗に唇の端を引き上げた。
「き、す……?」
「なんでもしてくれるんでしょ?」
にっこり笑う唇。なのに笑ってない挑むみたいに強い目。
それより何より、目の端に映るアイツに煽られたのはどうしてなんだろう。
「──いいよ」
別にそんくらい、と呟いて、そっと肩に手を添えたら優しく触れるだけのキスをした。
アイツの顔は、見えない。
「──ッ」
意識が逸れた隙を突いて舌が入ってくる。無意識に相手の舌を噛みそうになったけれど、寸前で踏み止まって体を突き放した。
「ん、……ッ、ちょっ、何する」
「いいじゃない別にこれくらい」
「……っ」
ぐいっと無意識で唇を拭きながら睨み付けたら、目の前にあったのは傷付いて潤んだ瞳だ。
「バカにしないで。誰のこと見てたの、今」
「なに……」
「ここにいるのはあたしなのに……誰のこと想ってキスしたの」
「なに、言って……」
「バカにしないで」
睨み付けてふぃっと去っていく颯爽とした後ろ姿。
目の端にあったはずのアイツは、いつの間にかいなくなっていた。
「くそっ、なんなんだよ……っ」
どいつもこいつも、と毒づきながら床を蹴りつける。
なんでもいいからキスしろと言ったくせにキスしたら怒る女の不可解さと、やたら傷付いた顔してオレをじっと見つめたアイツの視線に──責められて惑う。
オレは悪くない。だってアイツは友達だったのに裏切った。だってキスしろって言ったくせに、誰のこと考えてんだなんて、そんなこと。
「……知らねぇよ」
アイツ、を。
遠く目の端に入っただけで、そうだと分かるほどに見つめているだなんて。
「知るか」
何かの間違いだ。
だってアイツは、男同士なのに、友達なのに、オレを好きだなんて言って。心を掻き乱されて、せっかくの大切な友情も壊されて、オレにとってなんの良いこともなくて。
二度とオレの前に現れるなと言ったのはオレなのに。
あの日以来本当に徹底してオレの視界に入らないようにしていたアイツを、いつもどこかに探していただなんて。
「……っ、んなんだよ……ッ」
苦しくて苦しくて息が出来ない。
頭を抱えてしゃがみこんだら、床にパタパタと水滴が落ちて困惑する。
「…………渉?」
聞こえた呼び掛けにノロノロと顔を上げたら、目を見張った今藤が慌てて駆け寄ってきた。
「おまっ、……どうしたんだよ? 腹でも痛ぇのか?」
「ぇ?」
「なんで泣いてんだよ?」
「泣い、て……?」
今藤の言葉に驚いて頬に触れたら、確かにそこを伝う雫がオレの指を濡らして。
「ぁ……な、んで、オレ……」
「おいおい、大丈夫かよ、お前。最近おかしいぞ?」
「……おかしくなんか」
「おかしいっつの。女子が噂してんぞ」
「なんて……」
「可愛い紳士だったのに、最近手当たり次第女子に手ぇ出しまくってるって」
「……そ、んなこと……」
してない、とは言い切れずに黙りこむ。
「なんかあったのか?」
ん? と優しく覗き込まれて言葉に詰まる。
「なんもない……」
「ホントかよ」
「……ホント」
「稔は」
「ッ」
不意に聞かされた名前に跳ねた肩が「何かあった」ことを示していていることに、気付いたからこそ何も言えなくなった。
「…………稔な」
「……なに」
「謝ってたよ。お前らに何があったか知んねぇけど。……珍しくベロッベロに酔っ払いながら、お前に謝ってた」
「……んなこと……」
聞かされたって嬉しくねぇよ、と呻きながら、新たな涙が頬を伝う。
稔は酒に強い。いつだって最後まで素面でいて、酔い潰れた仲間を介抱するような面倒見の良いお兄ちゃん的立ち位置にいたのに。
見境もなく酔っ払うだなんて、そんなにも後悔していると言うのだろうか。
オレが吐き捨てて、恐らくは傷付けたであろう二度と近付くなというその一言を律儀に胸に抱えて。
あれから今日まで、本当に一度もオレの視界に入らなかったアイツは、酔っ払ったというその日、いったいどんな想いを抱えていたんだろう。
「稔さ、何があったか全然言わねぇから、どっちが悪いのかオレには分かんねぇけどさ……許してやれよ、稔のこと。あんなボロボロのアイツ、正直見てらんねぇわ」
「ボロボロ……?」
「オレの顔見るなり、アイツ、逃げたんだよな」
「逃げた?」
「お前が近くにいるんじゃねぇかって、思って逃げたらしい。顔合わせ辛いからって」
「……」
「追っかけて捕まえたら、めっちゃ痩せてた」
「……痩せてた?」
「ロクに食ってなかったみたいでさ。久しぶりだし飯行こって無理やり居酒屋連れてったのに、ほとんど食わねぇで酒ばっか飲んでやんの。しばらく飯食ってなかったから胃が縮んだとか、訳わかんねぇこと言ってたけど。アイツ、このままいったらいつか倒れんぞ」
「そんなに……?」
オロオロと視線をさまよわせて見つめた先で、今藤がほろりと笑う。
「何があったのか知んねぇけどさ。……そんな心配そうな顔するくらいなら、ちゃんと向き合ってやれよ。稔と」
「…………」
な、と優しく笑ってぽふぽふと頭を撫でられて、子供じゃねぇんだよ、なんて騒ぎながら。
大人びていたはずの稔の弱い姿を思い浮かべられずに、困惑するしかなかった。
*****
「……ごめん」
「……あほ、謝んな」
「……ごめん」
しょんぼりと肩を落とす颯真に、ヨレた笑みを見せてやる。
「お前が悪い訳ちゃうやろ」
「でもまさか……」
あんな場面に出くわすなんてと、申し訳なさそうに謝る颯真に首を振って見せる。
「しゃあない。……まぁ、あんな場所でキスするとか誰も想像せんし。あれはアイツらがバカップル過ぎやな」
敢えてなんでもないことのように笑い飛ばして、心配すんなと颯真の肩を叩く。
「飯はまた今度行こう。……なんやったら、恋人連れてお好み焼き食いに来たらえぇよ」
「……稔……」
「確かに、誰かにつられて食うかもしれん。……まぁ、今藤と行った時は食えんかったけど……さすがにあんなとこ見たら……もう吹っ切らんとな」
そっと笑って颯真に手を振ったら、午後の講義を諦めて大学を出た。
*****
「──颯真」
教室の前の方で次の講義の準備をしていた颯真を見つけて、乱れた息を整えることもなく駆け寄る。
「……渉。……どしたの」
「さっき……。…………稔は?」
「……帰るって」
何を弁解したってしょうがないし、きっと弁解すべきは颯真じゃない。そんな風に割り切って放った問いに、颯真は一瞬迷った後で応えてくれた。
「ありがと」
これ以上長々と話しても仕方ないからと背を向けようとした時に、初めて颯真の左手の薬指に気がついた。
「……颯真……」
「ん? 何?」
「指輪……」
「あぁ……うん、そっか。渉と全然会ってなかったもんね」
「それって……あの時言ってた……?」
「そう」
ほんの少し照れ臭そうなのは、きっとあの時晒した醜態が恥ずかしかったんだろうなと思い出したら自然と頬が緩んだ。
「そっか、良かったな」
「ありがと。……渉もさ、……難しく考えなくていいと思うよ」
「……」
「……結局、突き詰めたら人間同士だから」
「そうま……?」
「ちゃんと大事にして、自分の気持ち」
トンと腹を叩きに来た拳の、指とは違う固さが羨ましい。大事にしたい誰かを、迷うことなく大切にする固い決意の現れ。
今の自分には、決して持てないモノだ。
「…………色々ごめん」
「お好み焼きパーティー1回で勘弁したげる」
それは、稔との仲直りなしでは実現出来ない。
自分がまだ、いったい稔とどうなりたいのかも分からない今は、なんの返事も出来ないのがもどかしくて悔しい。きっと稔のお好み焼きを誰よりも食べたいのは自分なのに。
「……行ってくる」
インターホンを鳴らす指が震えたのは2回目だ。
嫌われたのかもしれないと思ったあの時は、純粋に友情を信じていた。
今はただ混乱している。
どうなりたいのか、どうすればいいのか。
だけど、1つだけハッキリしていることがある。
『……はい』
「……オレ……」
ぶっきらぼうな声に、返す声が震えて掠れた。
向こう側で息を飲む気配の後、ことさら平坦な声が返ってくる。
『……なんや』
「……ちゃんと、話したくて」
『……』
「頼む。開けて」
稔が側にいないことがずっとずっと淋しかったのだと、今なら解る。
手当たり次第に声をかけた女の子の柔らかい体に包んでもらいながら、それでも満たされない何かにずっと心が寒かった。
どれだけ温まっても、すぐに冷たくて淋しい時間がやって来る。
耐えられなくて誘ってを繰り返したのに、結局今日みたいに誰かを傷つけただけだ。
インターホンの向こう側で稔が大きな溜め息を吐いた音だけが届いて、ガチャリと通話が切れた。
「ちょっ、稔!」
開けてくれよとドアを叩こうと腕を挙げたタイミングでドアがそっと開く。行き場をなくして腕を振り上げたまま固まっていたら、随分やつれた稔が思わずといった表情で吹き出す。
「お前何しとんねん……」
「ぁ、いや……だって、開けてくんないのかと思って……」
「ドアは叩くな。近所迷惑や」
「…………ごめん」
「入れ」
「ぁ……うん……」
顎をしゃくって先に中へ入った稔の背中を追いかけて、久しぶりに玄関に足を踏み入れる。変わらないはずの場所なのに空気がやけにトゲトゲしているような気がして、落ち着かない気持ちで辺りを見回す。
「で。何しにきたんや」
「……ぇっと……」
「話ってなんやねん」
「あの……」
勢いに任せて来たものの、何をどう伝えるかまでは考えていなかったなと、モジモジしながら稔へと視線を向ける。一緒に晩ごはんを食べていた頃と比べて随分と痩せてほっそりした体に、頭が真っ白になった。
ボロボロになってるなんて、そんなのただの大袈裟な比喩表現だと思ってたのに。なんでそんな、たかだかオレにフラれたくらいでこんなに──。
「──オレのこと抱けよ」
「……お前、意味分かってんねやろな?」
なんでそんなことを口走ったのかなんて、自分が一番知りたい。それでも。
今さら何もかもなかったことにして側にいて欲しいだなんて、こんなに痩せるまで思い詰めてしまった稔に、口が裂けても言えるわけがない。だけど、この冷えた胸を温められるのは稔以外にいないことは、たぶんもう疑いようもない事実だ。──だったらもう女の子扱いされたってどうなったっていいから、一瞬だけでもいいから側にいて欲しいのだ。
あの日と同じように肉食獣じみた目で睨み付けられて竦み上がりながら、だけど後には引けずに吐き捨てる。
「知らねぇよ」
「っ、おまえ、」
「知るかよッ」
悲鳴みたいな声だなと自分でも思いながら、稔を必死で見つめた。
「きもちわりぃって……意味分かんねぇって思ってんのに……お前がっ! お前がボロボロになってるとか言われてっ……放っとけばいいって思ってたのに……っ」
「わた……」
「放っとけねぇんだよ! お前のそんな顔見たら! 放っとけねぇんだよ!!」
「……渉……」
「な、んなんだよ、シャンとしろよ! お前はいつだって飄々として、いつだって大人ぶってて……こんなことで! 落ち込んでんじゃねぇよっ」
和解したくて来たはずなのに、なんでこんな言い方しか出来ないんだろう。だけど、稔はある意味でオレの憧れだったのだ。
それなりに女の子にモテて、背が高くてイマドキの男らしさも持っていて、料理上手で話していて面白くて。
本当は、本当にずっと自慢の親友だったのだ。
「ぉ、まぇはホンマに……無自覚に誘う天才かっ」
「ンッ、ふ……っぁ、は」
苦しげに吐き捨てた稔に強引に唇を奪われる。経験したことのない、舌で舌を愛撫するかのような酷く官能的なキスに頭がクラクラする。
数秒だったのか数分だったのかさえ分からないほどの濃厚なキスが唐突に終わって、ばつの悪い顔で視線をそらした稔が呻く。
「……知らんぞ、ホンマに」
「るせぇ。いいから、──抱けよ」
胸ぐらを掴んで睨み付けながら、これじゃ喧嘩じゃないかと自分で自分に呆れるけれど。
もしかしたら今、自分達は出会って初めての大喧嘩の最中なんじゃないだろうかと、思い浮かべて苦い笑いを噛む。
(ンな訳あるかよ)
これが、最後かもしれない。
今からすることは、きっとそういうことだと薄々感じているけれど、もう後には引けないのだ。
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