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【紳士と野獣】圭琴子

 身体が、夏になる。昔、そんな歌い出しの曲があったっけ。夏は、『恋をする』には打って付けの季節で。バイト先の居酒屋のデキる社員さんに、俺は恋をした。俺はパンセクシュアルで、男も女も、ゲイもストレートも、もっと言えばレズビアンでさえが恋愛対象になる。こう言うと誰でも良いみたいに思われることが多いけど、こっちにだって選ぶ権利ってものがある。仕事の出来るひとが好きな俺は、梅雨に入る前から三ヶ月間、この男性社員に恋してた。  俺たちみたいのの恋愛は、まず『好きになっても良いひと』を探す所から始まることが多い。だけど俺は、まず好きになってから、『好きになっても良いひと』かどうか見極めることにしてる。目の前に美味そうなケーキがあって、「美味しそうだな」と思わずにいることは難しい。恋愛って、そんな窮屈なものじゃないと思うんだ。だから俺は、まず好きになる。  今日の店じまい後の清掃担当シフトは、俺と(くだん)鴨居(かもい)さん。みんなからは、カモさんと呼ばれてる。午前三時、仕事中に私語をしない真面目なカモさんは、黙々と慣れた手付きでフライヤーの油を入れ替えたり、換気扇を拭いたりする。俺もこのバイトに入ってもうすぐ一年だったから、特に確認事項はなくやはり黙々と作業する。床をモップで磨きながら、カモさんの真剣な横顔を眺めてた。  大人の男って感じで、カッコいいなあ。  ふっと、カモさんが笑った。ん? 思い出し笑い? 「そんな風に思ってたんだ。嬉しいけど、取り敢えず仕事中だから、話はまたあとで」 「え!?」 「ひょっとして心の声だったか?」 「俺、何か言いました!?」 「カッコいいなあって」 「わ! わー! すみません、思いっきり心の声です!」  なかったことにするように、両掌をクロスしてブンブン振る俺の慌てぶりを笑ってから、再びカモさんは表情を引き締めた。 「仕事終わってから、な」     *    *    *  カモさんは人当たりが良くて、誘導尋問が上手い。言うつもりがなくても、上手にバイトに対する愚痴を引き出されてしまう。そして、角が立たないように解決してくれる。そのあたりもデキる社員さんなのだったが、まさか告白まで引き出されてしまうとは思わなかった。俺は墓穴を掘って、またバイト変えるのかなと覚悟をしてた。だけどまさかの、カモさんの返事はOKで。マジですかと何度も訊き返す俺に、カモさんが穏やかに笑う。みんなには内緒でな、と。恋人が出来るのは一年ぶりだった。その夜は喜びに興奮して、なかなか眠れないのだった。  ――それが、十日前のこと。  互いの家で一回ずつ呑んだし、遊園地にも行った。ところがカモさんは、手すら握ってこない。話も仕事のことや、良くて思い出話で、カモさんの過去が知れたのは嬉しいけれど、こんな予定ではないのだった。こうなったら、多少強引な手段だ。 「カモさん、花火、行きません? 浴衣持ってます?」  また清掃シフトが被った日、家まで送って貰いながら提案する。 「ああ、良いね。浴衣は、もう何年も着てないけど、一応持ってるよ。メルカらなくて、良かった」  浴衣で花火。それは魔性のシチュエーション。うなじに胸元、漂う色気。俺が意中の相手を落とす時の、常套手段だった。もっとも、カモさんはすでに俺の恋人なんだけど……奥手な彼氏にも有効か。  果たして、待ち合わせ場所に、渋い藍色の浴衣姿でカモさんは現れた。うなじに胸元、漂う色気。俺の方が当てられて、クラクラする。俺は、えんじ色の浴衣だった。 「渡辺くん、浴衣似合うね」 「ありがとうございます。カモさんも、すっごく大人の色気って感じ」  一歩……いや、半歩くらいの前進か。そんな会話を交しながら、花火が始まるまで階段に座って場所取りをする。俺は目一杯、仕草で悩殺してやった。暑い、と少し胸元もはだけて。だけどカモさんは見てるのか見てないのか、いつもの調子だった。大丈夫! 今日こそカモさんを落としてみせる! 俺はそう決めていた。  やがて、花火大会の開会を告げる煙玉が上がる。みんなが一斉に、わあっと声を上げて天を仰いだ。次々と上がる、夜空の華。自然、気分は高揚する。花火大会では、誰もが夜空を見上げてはしゃいでる。そこで俺は、取って置きの誘惑を仕掛けた。カモさんの袖を引いて、耳元で囁きかける。 「キスして」  普通なら、これで落ちる。だけどカモさんは変な顔をして、俺の手首を掴んで立ち上がった。へ? 何処行くの? まさか……帰る? 見物客が集まっているエリアから少し離れた木陰で、カモさんは立ち止まった。  ――ヒュー……パンパンッ。  花火の大音量は、まだ間近にあって、俺はその音を縫うようにして話す。 「カモさん……嫌いになった? でも俺だって男だし、つき合ってるんだから、キスしたり色々したいです。俺に魅力がないのかなって、落ち込んじゃう」  カモさんはジッと俺を見下ろして、静かに言った。視線が、いつもより真剣な気がする。 「じゃ、目を閉じて」  お? おお!? ついに初キス!? 俺はまつ毛を伏せた。でも待ち侘びた感触はなくて。衣擦れの音がする。 「カモさん……?」 「良いって言うまで、開けないで」 「は、はい」  こんな据え膳にすぐ手を出さないとか、カモさんは本当に俺が好きなのだろうかと不安になる。 「手を前に出して。目は閉じたまま」 「は? はい」  おずおずと手首を合わせて前に出すと、不意に布の感触で締まり上がった。 「え!?」  言われたことも忘れて、目を開けると。カモさんの藍色の帯で、両手が(いまし)められていた。え? え? 何コレ? 混乱して見上げると、いつもは穏やかなカモさんの切れ長の瞳が、冴え冴えとした危険な光に満ちていた。普段は草食なのに、急に肉食獣になったような。 「カモさん?」 「(たかし)、と呼んでくれ」 「え……」 「大事にしようと思ってたのに。こんな所でキスを強請(ねだ)るなんて、悪い子だな、キヨ」  き、キヨ? 俺の名前は清行(きよゆき)で、下の名前でなんて、呼んだことないのに。もしかしてカモさん……豹変(デアゴス)系?  戸惑ってたら、不意打ちで唇が合わされた。待ち望んでた筈なのに、何だか心が追い付かなくて。普段の優しさからは嘘みたいに、荒々しく口内を掻き回される。え、ちょ、幾ら花火中とはいえ……それ、マズいよ、カモさん。カモさんは浴衣の上半身をはだけ、俺の上半身もはだけさせ、少し膝を折って下から突き上げるように、俺を木の幹に押し付け腰を使う。え……おっきくなってる。素肌の胸板同士も触れ合って、戸惑う心とは裏腹に、否応なしに鼓動が共鳴した。 「ふ……んん……」  器用な舌が丹念に、俺の口内を蹂躙(じゅうりん)してく。そう。それはまさに、蹂躙だった。圧倒的な力で、縮こまる俺の舌を追い詰める。違う、俺、ただキスがしたかった訳じゃない。いつもの優しいカモさんの、優しいキスが欲しかったんだ。言いたくても、後頭部をしっかりホールドされて、深く口付けられて叶わない。好きなひととキスしてるのに、こんな気持ちになる俺は、変なのだろうか。だけど想いが、閉じた瞼から透明な雫となって溢れてた。 「キヨ?」 「ふっ……ふえぇ、カモさん、恐い……」  思わず泣き声を漏らしたら、カモさんはふうっと息を吐いて片手で半顔を覆った。 「……すまない。これは僕の……フェティシズムなんだ。好きになればなるほど、乱暴に扱いたくなってしまう」  そう言ったカモさんは、いつもの優しいカモさんだった。 「え……つまり……ベッドではドSってこと?」 「そうだ。だから嫌われないように、すぐには手を出さない。君に魅力がないわけじゃないんだよ。本当にすまない……」  それを聞いて、何だか安心した。カモさんも悩んでたんだ。俺がもどかしかったみたいに。何度も謝りながら、カモさんは手首の帯を(ほど)いてくれた。  ――ドンッパンッ……サアアアア……。  花火はフィナーレを迎えるところで、夜空に大輪の紅い華を添えている。歓声が上がった。カモさんは慌てて、俺の浴衣を直してくれる。自分も袖を通して、懇願するように眉尻を下げた。 「渡辺くん。君が好きなんだ。別れないでくれ」  さっきまでとは打って変わって弱気なカモさんに、俺は悪戯っぽく笑ってみせた。 「もちろん。ドSは嫌いじゃないから……なるべく優しく愛して。崇!」  カモさんの表情がぱあっと明るくなって、俺たちは帰り道、初めて手を繋いでそぞろ歩いた。恋人繋ぎから、溢れる想いが行き交う。昼は紳士で、夜は野獣? そう思うと、心臓がトクトクと騒いで、静かに興奮してくるのだった。案外俺も、豹変(デアゴス)系の素質があるのかもしれない。ふふ。 End.

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