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【夏の恋は夜に咲く】ノッキ@乃木のき
群青に染まった空の下、波の音が足元で砕けた。
砂浜を歩きながら、桐ケ谷 司(きりがや つかさ)はいまにも触れそうに近い小野田 恭(おのだ きょう)をチラリと横目で見る。
司より年下だというのにガッシリと逞しい体躯は男らしく、切れ長の瞳に意志の強さを感じる。それに比べると司の柔らかな雰囲気はどこか頼りなく見えてしまう。ちょっとだけ自己嫌悪にうつむく。
「カップルばかりっすね」
突然話しかけられて、司は顔を上げた。見ると面白くなさそうに唇を尖らせた恭が司に視線を流した。
「暗いし、こんな中にいる生徒を見つけるって難しすぎ」
「ですよね」
弓なりに歪曲する海辺では、お祭りで盛り上がっているカップルたちが適度な間隔をあけてイチャついている。世界は二人だけのもの、と、甘い空気の中で自分たちは異質だ。
「ちょっといたたまれない気分です」
ことの発端は学校でのことだ。
「では海方面は小野田先生、桐ケ谷先生のペアでお願いします」
『浮足立つ夏の始まりは非行の第一歩を踏みやすい』というのはいつの時代も変わらないのだろう。
司の勤める高校だって例外ではない。ただでさえ大人の階段を上りやすい夏休み中の花火大会といえば、非行もそうだが不順異性交遊も盛んになる。
勝手にイチャイチャさせとけばいいとは思いつつ、そうもいかないのが教育活動。毎年恒例、花火大会の見回りに教師たちは駆り出される。
なにかあった時の対応のため、必ず2人以上で組むことになる。司と恭はお互い20代後半と言うことで何かと行動を共にすることが多く、今回もその流れでペアになった。
「よろしくお願いします」と頭を下げあうと、コソっと恭が囁いた。
「せっかくだから浴衣とか着ちゃいません?」
きっと昔はヤンチャ小僧だったのだろうと思わせる茶目っ気のある笑顔を浮かべられて司は思わず吹き出してしまった。
「見つかったら怒られますよ」
「暗いし大丈夫ですよ。見つかったら紛れ込むのに浴衣の方が自然でしょって言い張ればいい」
子供じみた言い訳に苦笑いしながら「いいですよ」と答える。
おおらかに笑う恭の笑顔が眩しい。初めて会った時から惹かれてしまった気持ちがあふれ出ないようにギュっと胸を押さえた。
恭の浴衣姿なんて絶対カッコいいに決まってる。ドキドキが止まらない司に気がつかず、恭は楽しそうに笑う。
「せっかくだから楽しまなきゃ、ね」
こうして迎えた花火大会当日。
気持ちのいいお天気で、夕方まだ明るいうちから露店に人があふれ出した。何度も試着をして新調した浴衣を着つけてもらって、慣れない下駄をはいて待ち合わせの場所へと向かう。カランコロンと明るい音が自分の気持ちを表しているようだと司は頬を染めた。
ほんの少し派手な外見で遊んでいると思われがちだが、全然違う。奥手すぎて恋をしたのは恭が初めてだ。だから思いを伝えたいとか、どうにかなりたいなんて考えたこともない。ただ同僚として仲良くしてもらっているだけで十分幸せだ。
「こっち!」
深い藍色の浴衣を着て手を振る恭を目にした瞬間、バクンと心臓が高鳴った。かっこいい。嬉しい。恥ずかしい。様々な想いが交差するけど顔には絶対に出せない。
「お待たせしちゃって」
平然と笑みを浮かべてみせると恭はじっと司を眺めニコっと笑った。
「浴衣似合いますね」
「えっ、や、そんなことはないと思いますけど……でもありがとございます」
真っ赤になりそうな顔を必死に抑えながら何でもないように受け止める。幸いあまり顔に出る方ではないので恭はそんな司に気がつかないで先を歩き出した。
「天気もいいし、ビールを飲みながら歩きたいところだけど我慢っすね」
「お酒はさすがにダメですよ」
ちぇ、と愛嬌たっぷりにふくれっ面を浮かべる恭に見惚れてしまう。仕事とはいえこんな風に一緒にお祭りに来れたなんて。普段と違う姿が見れる幸せに思わず頬が緩む。
ふざけていながらもしっかり仕事をするのが恭のいいところだった。目ざとく生徒がビールを買おうとしているのを見つけ、走り出した。
「こら!未成年者発見」
「うわ。小野田だよ。見逃して」
手を合わせて拝むように懇願する生徒たちに首を振り「アウトー」と両手でバツを作った。
「ダメです。見つけたのが俺だからいいけど、ほかの先生たちだと退学もありだぞ。諦めろ」
「ちぇー」
「ほら。可愛らしくタピオカでも飲んどけ。流行りだろ」
シッシと追いやるしぐさをしながら、生徒を大切にしているのが伝わる。彼らもそれがわかっているからすぐに聞き入れ、じゃあねと手を振ってどこかへと消えていった。
「よく見つけましたね」
「なんだかね。わかんないけど見つけちゃうんです」
司にはあまり差が分からないあの年代の子供たちも、恭にとっては一人一人違って見えるらしい。教師になるべくしてなったんだなと思う。
その後も数人の生徒を見つけては注意し見逃していた。
あたりは次第に暗くなり、花火大会開催のアナウンスが風の音に乗って流れてきた。人の流れが本会場へと向かうと、2人はそこから外れ海辺へと向かった。
本会場に向かう子供たちは他の教師が目を光らせている。ここからは会場から近い海辺のチェックに回る。
柔らかな砂浜に足を取られ、転びかけた司をたくましい腕がグっと掴んだ。触れられた手のひらの大きさに一気に血が巡り始める。
「すみません」
「砂浜に下駄は危ないよな。脱いじゃいますか」
「そうですね」
自分で脱ごうとしたけれど鼻緒が固くくっついてうまく脱げない。モタモタとする司の前にしゃがみこむと恭は自分の肩につかまるようにと言った。
「バランスくずすと危ないから」
恐る恐る肩に手を置くと自分とは全く違う硬さの体がそこにはあった。鍛えているのか筋肉質さが浴衣越しでもわかる。
裸足の足首を押さえられ、スっと下駄を脱がされる刺激に司はドキドキが止まらなくなる。意識をそらさないとどうにかなってしまいそうだ。
「何かスポーツでもしてるんですか?」
慌てて誤魔化す様に問いかけると見上げられてニコリと微笑まれた。さらにドクンと心臓が跳ね上がる。
「今は忙しいから何も。昔はそれなりに鍛えていたんですけど」
「あ、そう、ですか」
しゃがみこみ司の足を支える恭から目が離せない。頭に血が上っていく。そんな司の苦悶をわからない恭は反対の足も同じように脱がせ始めた。
「そういう桐ケ谷先生は……あまりしてなさそうですね」
真っ白くて日焼けの一つもしていない司の肌を「綺麗だからすぐわかる」と恭は褒めた。
「運動してたやつってだいたいどこか怪我の痕があるけど、桐ケ谷先生の肌って綺麗だから運動苦手なんでしょ」
やましさの欠片もない笑顔を浮かべられて司は泣きそうになる。自分ばっかり動揺して恥ずかしい。こんなにいやらしい人間だったんだろうか。
「運動は苦手です」
どこまで誤魔化しきれるのか自信がなくなってきた。
ズっと鼻をすするとすぐに「寒い?」と声がかかる。もし自分が恋人だったらいつもこの優しさをむけられるのだろうか。司には叶わない存在が羨ましくて仕方がない。
「大丈夫です」
「そう? もし寒かったら言って。というか海辺の担当なのに浴衣とか着させてしまって申し訳ありません」
立ち上がり申し訳なさそうに頭を下げる司にフルフルと首を振った。
「謝る必要はありません。お祭り気分も味わえて楽しいですし」
「それならよかったけど」
司の言葉に安心したように恭は笑顔を浮かべた。ああ、やっぱり好きだ。
脱がされた下駄を受け取ると司は砂浜を歩き始めた。
これは仕事なんだと言い聞かせなきゃ勘違いして口を滑らせてしまいそうだ。好き、なんて言ったら困らせてしまう。仕事仕事と何度も唱えた。
足元まで波が届いて裸足を濡らしていく。
ふいに頭上が明るく照らされ、続いて轟音が地面を揺らした。大きな火の花が咲いている。
「始まった」
赤や緑に輝く大輪の花をあっけにとられたように見上げている恭の横顔に釘付けになる。どんな綺麗なものより心を惹かれてしまう彼の姿に司は唇を噛んだ。ずっと隣で見つめていたい。そんなささやかな願いは今だけでも許されるのだろうか。
が、その瞬間バチリと視線が合ってしまった。見つめていたのがばれると慌てて視線をそらそうとしたが、恭がそれを許さなかった。
「桐ケ谷先生」
強い力で腕を掴まれ、真正面に向かい合わされる。その表情は怒っているように見えて司は思わず肩をすくめた。
「ごめんなさい」
小さな声で謝ると恭は首を傾げた。
「何を謝っているんですか?」
わかっていて聞いていると思った。自分をじっと見つめる男なんて気持ち悪いだろう。問い詰められていると思ってもう一度謝る。
「小野田先生を、ずっと見ていて……ごめんなさい」
気持ち悪い。やめてくれ。近寄るな。変態。
嫌悪を露わに罵倒されると思うと今すぐにでも逃げだしたい。
「もうしませんから」
「何を?」
上がっては消えていく花火が恭の姿を照らしては闇に沈む。わっと起こる歓声に続けざまに光が点滅した。そこに不機嫌そうな恭の顔を見つけ、我慢できない涙がポロリと砂の上に黒い染みを作る。
チっと舌打ちをした恭は無言のまま司の腕をつかみ、強い力で引っ張っていく。このまま警察に突き出すつもりなのかと怯えた司に「泣かないでよ」と呟きが届く。
「ちょっと人気のない場所に行くだけだから」
殴られる。司は恐怖に身をすくませた。
嫌がられても仕方のない気持ちを抱えてしまったけど伝えるつもりはなかった。ずっと秘めていることもただ見つめることさえ許されないのか。
「ごめんなさい」
謝るしかできない司に恭は大きく息を吐いた。
「謝られる意味が分かんない」
「……好きになって、ごめんなさい。一緒にいれて嬉しくなってしまって、ごめんなさい」
恭の歩みが早くなる。ほとんど走るように引きずられて司は息を整えることもできないままテトラポットの影へと連れ込まれた。
「なんなんですか、一体!」
叫ぶように恭は唸った。何が起きたのか、抱きすくめられ司は逞しい胸板に包まれたまま怒られている。
「ほんとに、あなたって人は、さあ、」
ギュ、ギュ、っと言葉に合わせて力をこめられた。汗と香水の入り混じった恭の匂いに司は震えた。こんな状況なのに近さに興奮する。
「小野田先生、」
震える声で呼ぶと困惑した恭が眉を寄せた。
「困らせないでよ。仕事なのに……あなたと花火大会に行けるって浮かれすぎないようにしていたのに、もう、そんな可愛い顔をされたらこらえきれなくなる」
「それって、どういう……」
恋には不慣れすぎて恭が何を怒っているのかがよくわからなかった。
「マジかよ。わかんない……? あなたが好きだって言ってること」
「え……」
茫然と見上げ言葉を失う司に、恭は困ったように微笑んだ。
「ずっと我慢をしてたけどもう無理だ。あなたが好きだ」
信じられない告白に驚きのあまり涙は止まった。「嘘」と呟く。こんな都合のいい夢なんてあるだろうか。
「嘘じゃないよ。バレないように隠していたけど……もういいよな」
同じ気持ちを抱えていた?
頭を抱えられ引き寄せられると唇がすぐ目の前にある。近くで見る恭の精悍な顔立ちに瞬きさえ忘れて見入ると、ふ、と息が届いた。
「……目、閉じて。それとも開けてキスする人?」
「あっ」
キス。
今まで想像の中でしかしたことのない、キス。それを恭と交わすのか。
ギュっと痛くなるほど閉じると、再び笑いが触れる。
「そこまで閉じなくてもいいけど、」
言葉とともに触れてくる唇は海風に吹かれてほんの少し乾燥している。きっと司も同じだ。チュと音を立てて離れていくと再び触れてくる。何度も。
息ができなくなって苦しい。思わず押しのけると恭は傷つくように「やだった?」と聞いた。
「じゃなくて、息が」
「息?」
怪訝そうに見つめられ、キスの仕方が分からないと教えるとさらに強く抱きしめられた。
「マジっすか。やばい。嬉しい」
グリグリと頭も抱え込まれるとせっかく整えた髪がボサボサに乱れた。
「ギュって全部閉じないで、ちょっとだけ唇を開けて……歯も食いしばらなくていいから、緩めて」
言われるとおりにするとまたキスをされた。今度はさっきと全然違う。ザラついた粘膜が唇を舐め潜り込もうとしていた。
「……んっ」
「怖がらないでね、舌、出して……そう」
チラリとのぞかせた舌先を絡めとられると温かな粘膜同士が触れ合った。湿った音が交わされて甘い味が広がっていく。
「んんっ、ふ、う……」
「鼻で息して、あと、離れたときにも呼吸して」
スリスリと鼻の頭をすり合わせながら甘く囁かれる。同僚じゃない近さとしぐさにキュンと胸がときめいた。
「キス、気持ちいい」
蕩けるように呟くと恭ののどがゴクリとなった。
「……じゃあ、もっとしよっか」
横たえられた砂浜はほんの少し湿っていて、お互いの浴衣の中にも入り込んでくる。だけどそんなことは全く気にならないほど、キスに夢中になっていた。見上げると恭の頭越しに眩しく光る花火が見えた。
「あ、ああっ、……んっ」
普段はチョークに汚れている指が今は司の肌を刺激する。解かれた帯が風に揺れて絡んでくる。身動きが取れないまま恭に施される愛撫に身を任せているとひときわ派手に花火が上がった。
「あっ、あっ、」
次々に上がる花火に照らされた2人の肌は赤や青に染められていく。
「好き、………好きです、小野田先生」
夢中になってしがみつきながらこぼれる思いを、恭はしっかりと受け止めてくれた。与えられる刺激にその気持ちはちゃんと伝わってきた。
重ねた手のひらに包まれた2人の欲望は互いを濡らし、熱を分け合った。夜空にひときわ大きな花が咲いた時、同時に体を震わせる。
荒い呼吸を整えると、2人分の体液に濡れる手のひらを恭はペロリと舐めた。
照らすものがなく静かな闇が訪れた砂浜からは少しずつ人々が移動を始めていた。ざわめきが遠くに消えていく。
「起きられますか?」
砂に汚れた浴衣を払って帯を締めると何事もなかったかのように恭は先生の顔に戻った。
「つかヤバイですよね。全然仕事しなかった」
「すみません」
発情した自分のせいだと首を垂れる司の頬を撫でると恭は柔らかなほほえみを浮かべた。
「またそうやってすぐに謝る。これはこれでいいんです。教師だって仕事より大切なものがあるでしょ」
俯いた司の手を取り、指を絡めあわせた。
「それよりこれからどうしますか? 俺のうち? それとも桐ケ谷先生のうち?」
意味が分からず首を傾げると耳元に囁かれた。
「せっかく両思いになったんだし、ね」
その意味が分かると司は全身を赤く染めた。
「はっ、あ、うん、えっ」
「どういう返事ですか、それ」
恭は面白そうに笑うと、絡め合わせた指に力をこめた。
「まあいいや。手を繋いで帰りましょう」
流れる人波に身を預けながら信じられない気持ちで並んで歩く。
もしかしたらこの中に生徒たちもいるかもしれないけれど、気にする余裕もなかった。それは恭も同じみたいでいつものように視線を巡らせない。ただ司の存在だけを感じている。
「生徒いませんかね」と聞くとそっけない返事だけが届く。
「さあ? いても邪魔させないけど」
とても教師とは思えないセリフに思わず吹き出してしまった。
「小野田先生も生徒みたいです」
「やめてよ」
心底嫌そうに眉を寄せて、そのままいたずらっ子のように囁いた。
「それとも桐ケ谷先生は生徒にあんなことされたいの?」
「なっ、そ、んな、ことっ」
海辺での淫らな行為を思い出して、司は顔を赤く染め上げる。
「うそ。俺だけですよね」
さらに力をこめられた手のひらに恭の想いが乗せられた。
「……はい」
そう返事をした司の気持ちも届いただろうか。
夜はまだ長い。
Fin
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