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【想いの先にあるものは】 みなみゆうき

「今日花火大会だろ?俺の部屋、花火が見えるんだ。良かったら家で飲みながら花火見ないか?」 休日出勤にも関わらず残業をしようとしていた俺を誘ってくれたのは、五つ年上の先輩で、嘗て俺が新入社員だった時、俺の教育係をしてくれていた人だ。 そんな部屋に住んでるなんてこんな所で言ったら行きたいと言い出す人が続出するんじゃないだろうかと考えながらパソコンから顔を上げると、普段は休日出勤でも平気で残業している人間が多いオフィスには俺と先輩の二人しかいなかった。 「こんな日にまで残業しようなんて考えるのはお前くらいなもんだぞ」 苦笑いしている先輩に俺も苦笑いで返す。 「特に予定もなかったんでいいんですよ。それに花火が始まってからのほうが電車も空いてるでしょうし」 今から帰るとちょうど花火を見に行く人達の移動の時間と重なってしまう。それはちょっと嫌だななどと考えていると。 「予定は今決まっただろ?さっさと片付けて帰ろう」 先輩はそう言って作成中だったデータを保存してさっさとパソコンをシャットダウンしてしまったのだ。 この人のこういう強引なところ結構好きだが、時々どうしていいのかわからない時がある。 「ほら、行くぞ」 ところが戸惑う俺を他所に、先輩は笑顔で俺の鞄を掴むとすぐに出口の方向へ歩き出してしまった。 俺は大慌てで先輩の後ろに付いていく事になってしまったのだった。 ◇◆◇◆ 「お前最近残業ばっかしてるらしいじゃないか。この間部長から聞いて心配してたんだ。もしかしたら今日もいるかなと思ってフロアを覗いて見れば案の定だし。今はもう同じ部署じゃないし、お前ももう一人前なんだからあんまりアレコレ言うつもりはないけど、無理だけはするなよ」 先輩の部屋に着くなり、花火の気分を盛り上げるためにと先輩の用意した浴衣に着替えさせられた俺は、グラスに注がれたビールをチビリチビリと飲みながら、少しだけ浮かれた気分を味わっていた。 嘗て同じ部署で俺の教育係だった先輩は、今は別の部署にいて順調に出世コースを歩んでいる。 最近話すこどころか顔を合わせる機会も滅多に無くなってしまったが、こうして先輩が俺を気にかけてくれていたことが単純に嬉しい。 そしてたぶん成り行きとはいえ、この花火大会というある意味特別な夏のイベントを一緒に過ごす相手に俺を選んでくれたのが嬉しかった。 俺はこの先輩の事がかなり好きだ。 正直にいえば、彼が教育係をしてくれていた時からかれこれ三年。ずっと彼のことが恋愛対象として好きなのだ。 先輩が部署を離れてからもその想いは少しも薄れる事なく、これまで好きになってきた人の中でも一番濃く、俺の心にその存在が染み着いてしまっている。 それを自覚してからというもの、叶う筈のないこの気持ちに何とか折り合いをつけながら、これ以上気持ちが大きくなってしまわないよう、適度な距離を保って先輩に接してきた。 でもこうして特別に心配してもらっているのかと思うようなことがあると、ちょっと勘違いしそうになっている浅ましい自分が嫌になる。 「……べつに無理してる訳じゃないですよ。やらなきゃいけないことをやってるだけで」 本当は家にひとりでいると、先輩の事ばかり考えてしまいそうになる自分が嫌で、課長から率先して仕事を回してもらっているのだが、それは先輩には絶対に言えない。 俺はまだほとんど手付かずでグラスに残っていたビールを一気に呷ると、自分の気持ちと一緒に飲み込んだ。 あまり酒が強いほうではないが、好きな人の家で好きな人と二人きりという夢のようなシチュエーションに、抑えきれない気持ちが溢れだしてしまいそうで怖かった。 「ちょっとピッチが早いんじゃないのか?そんな飲み方してたら花火が始まる前に潰れるぞ」 クスリと笑った先輩のその表情も好き過ぎて、俺はもう酒のせいで顔が火照るのか、ドキドキし過ぎて顔が赤くなってるのかわからなくなってきていて。 俺は飲めもしない酒をいつもよりも早いペースで一気に摂取してしまったせいで、すぐに意識をはっきり保てなくなってしまったのだった。 ◇◆◇◆ 唇に何かが触れたような感触と共に徐々に意識が浮上する。 あれ……?俺、何してたんだっけ? 眠る前の事を思い出そうとしたその時。わりと近い位置で花火の音が聞こえてきたことで、完全に目が覚めた。 薄らと目を開けると飛び込んで来たのは真っ暗な室内。そして先輩の整った顔。 不意に重なる唇がさっきよりもリアルに感じられて、これが夢ではないことをようやく実感した。 「……先輩、酔ってます?」 思わず聞くと。 「酔ってんのはお前のほうだろ。眠いならこのまま目を閉じてろよ」 吐息が触れるほど先輩がすぐ近くにいる事で、先程飲み込んだ筈の先輩への特別な想いが溢れて止まらなくなる。 「……もっとして」 「何を?」 「──キス。……好きだから」 「お前、酔うとキス魔だったのか?」 揶揄うような言葉と共に、俺の唇がチュッと音をたてて啄まれる。 本当は大好きな先輩にされているキスだから好きなのだが、それを口に出す勇気はなく、俺はただ曖昧に笑って誤魔化すことしか出来なかった。 そして今がチャンスとばかりに、覆い被さってくる先輩の首の後ろに腕を回すと自分から積極的に唇を合わせていった。 後で多少気まずい思いをしたとしても、酔った勢いというか、こういう酒癖の人間だったのだと思ってもらえれば、笑い話の範疇で済むかもしれない。 「先にしたのは先輩でしょ?」 キスの合間にそう呟くと、先輩のキスは益々激しいものに変わり全てを貪り尽くされるような勢いで唇が重ねられる。 懸命にそれに応えようとしていると、先輩の手が浴衣の袷から俺の胸の辺りに差し入れられた。 「ん…ッ……」 素肌を撫でられる感覚に、それまで俺の中でなんとか抑えきれていた欲望が急激に加速していく。 ──これ、マズいんじゃ……。 アルコールのせいで多少鈍くはなっているものの、好きな人から与えられる感覚を確実に拾おうとする敏感な身体が勝手に顕著な反応を見せ始めて困ってしまう。 「花火見るんじゃなかったんですか……?」 冗談にしては質の悪すぎる先輩の行動に、思わず恨みがましい目を向けると、先輩はなぜかニヤリと笑ってそのまま俺の身体を抱き起こした。 そして酔いのせいで上手く力の入らない俺を、まるで子供を抱っこするかのように縦抱きにして、ベランダのほうへと移動したのだ。 いくら高層階とはいえ、下手すれば外から見えるような位置に連れ出されたことにギョッとする。 「ここなら花火も見えるだろ?」 先輩は事も無げにそう言うと、俺を壁に押し付けるようにして再び俺の唇を塞ぎ、あっという間に浴衣の帯を解いてしまった。 「俺のも脱がせて?」 甘い声でねだられ、俺は期待で勝手に高まっていく自分を必死に抑えながら、震える手で先輩の浴衣を脱がせにかかった。 赤、緑、黄色。 色とりどりの光が、男らしく整った先輩の身体を暗闇の中に浮かび上がらせる。 堪らなくなってつい素肌に触れると、先輩は困ったように笑いながら、まるでイタズラを咎めるかのように俺の手を頭の上で纏め上げ、咬みつくようなキスをしかけてきた。 再び与えられた濃厚な交わりに、またもや俺の中でずっと秘め続けていた感情が溢れ出しそうになる。 すると。 「なぁ、さっき言ったこともう一回言えよ」 「え……?」 「キスが何だって?」 「…………。……好き」 「じゃあ、俺のことは?」 窓の外では大輪の花火が次から次へと鮮やかな光を放っては消えていく。 遅れて聞こえてくる大きな音が、壁に密着している俺の身体にビリビリとした振動を伝えてきたことで、少しだけ夢から醒めたような気持ちにさせられた。 どうして先輩がそんな事を聞いてくるのか、そしてどうしてこんな真似をするのか。俺にはハッキリとした真実は見えてこないままだ。 そう認識した途端。この想いを告げた先にあるものが急に恐ろしく感じられて、口を噤んでしまう。 ところが。 「俺はお前の事が好きだよ」 予想だにしていなかった突然の告白に、俺は暫し目を見開いたまま固まった。 「──まさかとは思うが気付いてなかったのか?」 憮然とした表情になった先輩に俺は無言で頷き返す。 「鈍い鈍いと思ってたが、まさかここまでとは……」 確かに他人の心の機微に疎いところがあることは認めるが、ただでさえ男同士という難しい状況で、そんなに簡単に自分の想いが叶うとは思えなかったのだから仕方ない。 先輩は大きな溜息を吐くと拘束していた俺の腕を解放し、真摯な表情で向き合った。 「俺はお前のことが好きだ。だからちゃんとその口で聞かせてくれ。──お前が俺と同じ気持ちでいてくれるのかどうかってことを」 俺はしっかりと先輩の瞳を見つめ返すと、つい先程まで一生口にすることもないと思っていた自分の想いを口にするために意を決して言葉を紡ぎ出す。 「あなたの事が好きです」 想いを告げたその先にあったのは──。 ──最愛の人の蕩けるような笑顔と、甘い口付けだった。

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