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【共犯者】圭琴子

 今朝もご飯のお供は、特売の塩鮭だった。塩辛いばかりで、確かにご飯は進むが鮭の旨味も風味もあったものではない。真治(しんじ)は綺麗に骨を取って、最後にそれをお椀に入れて湯を注ぐ。(あぶら)の浮かぶ、塩辛い吸い物が出来上がった。それを飲み干して、ほうっと息をつく。味噌なんて高級品は買えなかったから、それが真治のいつもの味噌汁ならぬ骨汁なのだった。  そうして、一張羅のリクルートスーツに百均のネクタイを締める。就職活動をしている訳ではない。就職しても、新しいスーツを買うだけの金が貯まらなかったのだ。毎日の習慣で、六畳一間の片隅にある簡素な仏壇の中の、ふたつ並んだ写真に手を合わせる。 「お父さん、おはよう」  そう言ってりんを鳴らし、 「お母さん、行ってきます。アーメン」  そう言って十字を切った。  写真は笑顔の、日本人男性と英国人女性だった。和洋折衷なのは仏壇だけではない。真治自身が、和洋折衷だった。高塚真治(こうづかしんじ)という純日本風の名前だが、その容姿はどう見ても外国人だった。キャラメルブラウンの髪、ディープブルーの瞳、白い肌。彫りも深い。道にでも迷おうものなら、すぐに「May I help you?」と声をかけられる。証明書などを作る際には、必要以上に沢山の質問をされた。  美容師の卵の友人のカットモデルになる代わりに料金はタダだが、美容室を利用するのは圧倒的に女性が多く、今はミディアムボブだった。当然、中性的な顔立ちと相まって、女性と間違えられナンパされること山のごとし。  けして裕福な家庭ではなく、保険も契約していなかった両親が高校の卒業式を前にして事故で他界した時、真治は大学進学を諦めて、自分の力で生きていこうと決めた。だが高校は普通科だったので、手に職はない。唯一ひとと違ったことが、バイリンガルであるということだけだった。高卒だから給料は安いが、何とか都内のボロアパートに住み、翻訳を仕事にすることに成功した。  満員電車に乗って、会社に向かう途中……。ゲッ。まただ。真治はげんなりと俯いてから、顔を上げてハッキリとキッパリと大声で言った。 「貴方が撫でてるのは、僕のお尻です。僕は遅刻するので行けませんが、どなたか正義感の強い方、このひとを鉄道警察へ」  手首を掴んでぐいと上げる。痴漢には、慣れっこだった。慣れっこなのが悲しいが。こう言えば、何回かに一回の確率で、痴漢は事情聴取をされる。被害者である本人が居ないのでそれ以上の話にはならないだろうが、肝を冷やしてしばらく痴漢する気にはならないだろう。  エレベーターのない古い雑居ビルの三階が、真治の勤める会社だった。ジム代わりにつま先立ちで階段を上がり、タイムカードを押して挨拶をする。狭い室内には、十人足らずの社員がひしめき合っていた。いつもなら『挨拶だけは元気に』がモットーの所長が、明るく声をかけてくる所だが、今日は様子が違っていた。真治を待ち構えていたように、ガタタッと立ち上がり文字通り肩に飛び付いてくる。 「こ、高塚くん」 「は、はい」  緊張感が伝染して、思わず真治もどもっていた。 「君、今日、通訳の仕事やってくれんかね」 「僕が? 通訳!?」  素っ頓狂な声を出す。それは、真治がまだ一度も通訳をこなしたことがなく、翻訳の仕事しかやったことがないからだ。理由は、色々ある。日本で生まれ育った真治は英語の語彙力が豊富でないことや、極度のあがり症であることや、ビジネス英語が全くといっていいほど分からないことである。迷いなく断ろうと息を吸い込んだら、言葉にする前に電卓の文字盤を見せられた。 「え? 何ですか、この数字」 「今日の通訳の、報酬だよ」 「またまた」  てっきり冗談か、季節外れのエイプリルフールかと思って茶化す。ゼロが一桁、違ったからだ。もし本当だとしても、そこから会社に諸々引かれて、いつも通りの桁になるのだろう。だが所長は、目の前に電卓を突き付ける。 「この額では不満か? だったら、もう少し君の取り分を増やしても良い。もう、受けてしまったんだ」 「だったら、通訳の上手いひとに頼んでください」 「それが、二十代半ばの男性で、イギリス英語が話せてビジネス英会話が分からない者、という指定なんだ。何社にも断られて、切羽詰まっているらしい。君、今月分の家賃、危ないって言ってなかったかね」  所長は必死だ。よく見ると、目が血走っている。諸々を引いても真治の元にこの金額が残るということは、きっと大金が動いたんだろう。それに、家賃が危ないのは事実だった。少し興味がわいてくる。 「ビジネスじゃなくて、何を通訳すれば良いんですか」 「厳密に言うと、通訳じゃない。仕事の話をする先方が、二十代半ばのお孫さんを連れてくるから、雑談やカルチャーの話でもして、気分良くもてなして欲しいという注文だ」 「は、それで、この額ですか?」 「ああ。悪くないだろう!」  所長は電卓を下ろし、肩に手をかけ真治を前後にゆさゆさ揺する。 「君しか居ないんだ。君の、使命だと思って欲しい」 「はぁ……」  渋々といったていで承諾するが、内心金額の方に心惹かれつつあった。お金のある時の贅沢、牛丼が何杯食べられるだろうかとほくそ笑む。小指の先まで貧乏にどっぷり浸かった真治には、大金の使い方など分からず、牛丼換算でしか価値が分からないのであった。     *    *    *  夕方、指定された料亭に行くと、パリッとした新品の浴衣が用意されていた。真治には次元が違いすぎて分からないことだったが、超のつく高級料亭で、浴衣も高級草木染めの鮮やかな深緑なのだった。あっという間にくたびれたリクルートスーツを剥ぎ取られ、若い男性二人がかりで甲斐甲斐しく絹の帯を締められる。だがその行為より、少年たちの面差(おもざ)しが気になった。紅顔(こうがん)の美少年とはこのことか、と思うような美男子(びなんし)が二人。嫌な予感がした。 「(はじめ)様、お仕度出来ました」 「ああ。では、入って頂け」  時代劇でしか観たことがないような光景だった。美少年たちが部屋の両隅に正座し、静かに(ふすま)を開ける。奥の部屋には、一枚板の大きな座卓の前に、創と呼ばれた人物が座っていた。開けられた障子(しょうじ)の向こうには、月明かりに照らされた静かな湖面と山並みが見える。借景(しゃっけい)、というやつだ。日本庭園も(おもむき)があったが、もっとスケールの大きな日本流のもてなしだった。  創は、やはり真治には分からないが、天然本藍染の浴衣を着た、上品な雰囲気の男性だった。いかにもブルジョアっぽい、という感想を真治は(いだ)く。緩いオールバックには白髪(しらが)がチラホラ混じっているが、肌は健康的に日焼けして、若々しい印象だ。四十代半ばといった所か。眼力(がんりき)のある瞳は、だがやや垂れ目なことで、居丈高(いたけだか)ではなく柔らかく調和していた。 「初めまして。君は私の知り合いということにするから、創さんと呼んでくれたまえ」 「は、初めまして。高塚真治です」  今更になって、急にあがり症が発揮される。気後れしていると、ポンポンと隣の座布団を示された。 「まあ、座りなさい。私は取引先と話すから、君はお孫さんと気楽に世間話をしてくれればいい」 「はぁ……」  作法があるだろうと思ったが、変に知ったふりをするより楽かなと、部屋に入る前に訊いてみる。 「すみません。料亭とか初めて来たから、お作法が分からないんですが。このまま入って良いんですか?」  途端、創が機嫌よく笑む。 「素直だね。無知を恥と思わず訊けるひとは、なかなか居ない。本来なら面倒くさい手順が要るが、私しか見ていない。そのまま入って、隣に座り給え。先方も足を崩して座るから、君も無理に正座でなくていい」 「はい。失礼します」  真治は、かろうじて知っている『畳のへりを踏んではいけない』ということに気を付けて、創の隣までそろそろと進んで座った。取り敢えず正座。 「無理しなくていい」 「……はい」  訂正。真治はやっぱり胡坐をかく。 「幾つだね?」 「二十四です」 「そうか。私は四十六(しじゅうろく)だ。先方はもっと年上だ。年寄りのことは気にしないで、ジャパニメーションの話でもして、お孫さんをもてなしてあげて欲しい」 「は、はい。分かりました」  この違和感は何だろう、と真治は思う。ああ。そうか。初めて真治に会った日本人は、ほぼ百パーセント、「ハーフ?」「どこの国とのハーフ?」「お父さんとお母さん、どっちが外国人?」「名前と顔が合ってないね?」などの、ひどく個人的な質問をズケズケとしてくる。だが創は、歳を訊いただけだった。このひとは、真治が『半分外国人』だということを気にしていない。そう思うと、とても気が楽だった。スッと、あがり症が引いていく。 「創様。いらっしゃいました」 「ああ、お通ししろ。真治くん、食事は摂ってきたね?」 「あ、はい」  牛丼を。前借りで。とは、流石に真治は言えなかった。 「和食は作法が複雑だから、どうか手を付けずにいて欲しい。先方が帰ったあとに、食べて貰って構わないから」 「え? 食べて良いんですかっ?」  澄ましていたが、こういう所でお里が知れる。思わず声が弾んでしまい、創はクスクスと、嬉しそうな真治を眺めて笑った。バツが悪く、真治は赤面して黙り込む。 「君は、本当に素直だね……」  まだ続きがありそうな調子だったが、襖が開いて白髪(はくはつ)白髭(しろひげ)好々爺(こうこうや)と、ブロンドの青年が入ってきて、立ち消えて挨拶が始まった。「初めまして」「お会い出来て光栄です」のあと、自己紹介、握手。青年は、ロナルドというらしい。好奇心いっぱいに、 「ポケモリGOやってる? 日本にしか居ないポケモリが沢山居て、凄く楽しいよ。お爺様が日本に行くって言うから、着いてきちゃった」  と、朗らかに笑う。フレンドリーなひとで良かった、とひとまず真治はホッと息を吐く。 「ポケモリGOはやってないけど、子供の頃アニメは観てました。僕は、あのこが一番好きだな」 「「ニュウ!」」  声がそろって、ロナルドは嬉しそうに笑う。 「やっぱりね! 彼、最高にクールだよね!」 「二番は、ミンフィアかな」  この意見には、ロナルドは興味深そうに顎を撫でた。 「へぇ、そうなんだ。彼女は、戦いをやめさせるポケモリだよね。やっぱり日本人は、戦いを好まないからなのかな。ボクは、ビカチュウが二番」  家電(いえでん)もなく、古いガラケーを持ってるだけの真治は、アプリゲームの話は出来なかったが、子どもの頃テレビで観たポケモリはよく覚えていて、話が弾んだ。その間、創たちは食事をしながら何事かボソボソ話していた。真治はちょっと耳を澄ましてみたが、聞き慣れない単語が飛び交っていて、よく分からなかった。やがてロナルドとの会話は、真治の着ている浴衣の話になる。 「エキゾチックで素敵だね。『キモノ』って言うんでしょ?」 「ええと……『キモノ』の一種だけど、もっと簡素な、『ユカタ』っていう服なんだ」 「『ウカタ』?」 「『ユ・カ・タ』」 「『ウ・カ・タ』」  その不毛なやり取りに、真治は思わず口を覆って噴き出した。ロナルドも声を上げて笑っている。やがて、彼は祖父に明るく言った。 「お爺様。シンジが着ている『ウカタ』を、ボクも着てみたいのですが」 「ん? 我が儘はいかんぞ、ロナルド」  すかさず、創が口を挟む。 「ああ……それは、良いアイディアだ。今、用意させる。私と同じくらいの身長だから、私の藍染が着られるんじゃないかな」  そして、柏手(かしわで)を二度、打つ。静かに襖が開いて、先ほどの美少年たちが控えていた。 「ロナルドくんに、私の藍染を一式。そのままプレゼント出来るように、着付けを教えてあげなさい」 「かしこまりました」 「真治くん。隣の部屋で、着付けのしかたを通訳してくれるかな」 「わ、分かりました」  結局、通訳する羽目になった。大丈夫だろうか。真治はゴクリと喉を鳴らす。しばしあって用意が出来た旨を伝え、隣の部屋に入った。襖は閉められなかった。ジャケットだけを脱いで、Tシャツの上に着るらしい。難しい話は終わったのか、小休止なのか、創たちもニコニコと見守っている。ロナルドは見様見真似で『ウカタ』を羽織り、前を合わせた。だが、右前になっている。着付けの少年たちが右前の不吉さをクドクドと説明し始めるが、三途の川が流れていない国の人間に、それが伝わるとは思えなかった。不意に真治は、小さい頃父親に教えられた言葉を思い出す。 「あのね、ロナルド」 「うん?」 「キモノの襟は、必ず左が上なんだ」 「何でだ? どっちでも良いんじゃないのか?」  もっともな疑問だ。 「駄目なんだ。右利きのひとが多いだろ。『右利きのひとが、後ろから手を入れやすいように左前』って覚えるんだ」  それを聞いたロナルドは、爆笑した。腰を折って腹を押さえ、声もないほど大ウケしている。三途の川の何たるかを説明していた少年たちは、キョトンと目を見張って呆れていた。あんまり長く笑っているロナルドに、真治は何だか気恥ずかしくなった。 「ロナルド、笑い過ぎ」 「だって……日本人はシャイだって、聞いてきたけど……っはは、それなら絶対忘れないな、くくく……」  クスクス笑い続けるロナルドに、着付け方を通訳したが、ずっと笑っているものだから、真治は何回も「分かった?」と念を押した。そのたびに、ロナルドはサムズアップするが、果たしてどこまで分かっているかは神のみぞ知る。創たちの話し合いは、終盤だったようで、好々爺が孫から創に視線を戻して、笑顔で右手を差し出した。 「孫を楽しませてくれて、ありがとう。話を受けよう。我々は、友好関係を築けるだろう。ミスター・タカナシ」 「ああ、私からも感謝を。わざわざ日本まで来て頂いて」 「ロナルド、帰るぞ。脱ぎなさい」 「いや、その『ユカタ』は、プレゼントだ。ロナルドくん」  そう言うと創は、(ふところ)から懐紙(かいし)と万年筆を出して、筆記体でスラスラと何か書いた。真治は読み取る。Y……U……『YUKATA』か! ロナルドはようやく飲み込めたようで、「オー! 『ユ・カ・タ』」と言って、真治にウインクを送った。そして、別れの挨拶とお礼、ハグ。最初は握手だった関係が、ハグまで縮まったということだ。一礼して見送る。好々爺は、最後にこう残して帰っていった。 「ありがとう、ミスター・タカナシ。日本一の男。我々が手を組めば、世界屈指の財閥になれるだろう。幸運を」  ……ん? 真治は、少し考える。日本一? 財閥って言った? 真治くらい貧乏でも、小鳥遊(たかなし)財閥の名前は知っていた。日本のあらゆる産業に根を張り、日本をかげから動かしている、日本一の財閥。新宿南口にある楽しい事がギッシリ詰まった屋内型遊園地『新宿バードランド』には、日本中の子どもたちが一度は行ってみたいと羨望するという。真治も、小さい頃は年間パスポートを持っていた。その小鳥遊財閥では、去年の末に元総帥が現役を退き、若き長男にその座を明け渡したと、ニュースでやっていた。確か、四十代……創さん、が……? 真治は蒼くなってその顔を見た。 「バレたか……」  何故か創は、楽しそうに笑んでいる。 「『右利きのひとが、後ろから手を入れやすいように左前』、な」  創はくつくつと肩を揺らすが、真治は思わず平伏した。 「ご無礼を……働きました……」 「ああ……いい。頭を上げてくれ」  ガッカリしたようなため息が漏れた。 「君は素直だから、バレたらこうなるだろうと思っていた。小鳥遊財閥の総帥ではなく、ひとりの男として、真治を口説きたかったのに」 「それは……身体を差し出せということでしょうか……」  (うつ)ろに尋ねる真治に、創は応えず目を伏せて、手酌でお猪口(ちょこ)に日本酒を注いだ。ひと息にあおって……素早く真治の頭に腕を回し引き寄せ、口移しに酒を分ける。 「ふっ! んん……っ」  曖昧な抵抗があったが、やがて創の腕の中でのけ反って、されるがままに喉仏が上下する。創は何回も、日本酒を真治に注ぎ込んだ。いつの間にか姿勢は、『右利きのひとが、後ろから手を入れやすいように左前』の状態だった。創は真治の、季節外れの淡雪のように白い喉を舐め回す。 「『右利きの私が、後ろから手を入れやすいように左前』……こういうことだろう?」  大きな骨ばった右手が合わせ目から忍び込み、色付きを転がして不埒を働いた。 「あ……や、ぁ、」 「嫌だったら、ぶん殴って拒んで良いんだぞ。無理強いする気はない」  余裕のある態度が、大人を感じさせて、魅力的とも思える。創は、真治の薄い耳たぶを甘く噛んで、しゃぶった。 「あ、んぁ、はぁんっ」  思わず大きな声が出る。 「ここが、イイのか? 感度が良いな」  低音にゾクゾクして、真治は自分が分からなくなる。嫌だとは、思わなかった。だがこのまま流されてしまうのも、いけないような気がする。 「右耳のピアスの穴は、もう塞がっているね。どうして、かな」  真治は内心、舌を巻く。創には、全て見透かされているような気さえした。 「ん、一個だけ、持ってた、ピアス、なくしちゃった、から……っ」 「そうか」 「アッ」  声がひっくり返る。片手で胸を弄られ、片手が浴衣の裾を割る。着付けられたあとに、下着は脱ぐよう言われていたから、芯を持ち始めた自身を暴かれて真治は震える。相手は、小鳥遊財閥の総帥。自分なんか、小指の先……いや、視線のひとつで社会的に抹殺出来るだろう。だが、このまま関係を持つのは違うと思った。素面(しらふ)だったら、大人しくしていただろう。だが創に注がれた強い酒のお陰で、自分に素直になることが出来た。 「や……嫌だ!」  広い腕の中で、思い切り暴れる。上半身も下半身もはだけられて、空色の帯でかろうじて浴衣が引っかかっているような有様だったが、創は愛撫をやめてただ優しく真治の身体を支えた。 「僕は……確かに、男のひとが好きですけど……誰でも良いって訳じゃ……」  言っている内に、自分でも分からない心の動きで、自然と涙が溢れてくる。恋人が出来たことはなかった。いや、恋人だと思っていた出会いはあったが、その男にとって真治は、星の数ほどいる愛人のひとりだった。創は黙って、真治のキャラメルブラウンの髪を柔らかく撫でている。 「お金のある男のひとは……勝手、です。お金で、愛を買えると思ってる。僕は貧乏だけど……お金持ちの、玩具(おもちゃ)じゃ、ない……っ」  創は静かに、流れる涙に口付けた。 「ああ……悪かった。君の言うことはよく分かる。だが分かって欲しいのは、私は君を買おうとした訳じゃない。素直で綺麗な心に、惹かれたからだ……本当に、悪かった。私は出ていくから、食事を摂って帰りなさい。気を付けて」  そう言ってからも、指先と唇で名残惜しく涙に触れて、やがてゆっくりと真治の身体から手を引いていく。このひとは、真実を言っている。真治は思った。身体は昂ぶっている筈なのに、小鳥遊の権力を使えば幾らでも真治を手篭めに出来るのに、去ろうとしている。このひと、悪いひとじゃない。立ち上がろうとする創の(たもと)を、思わずギュッと掴んでいた。 「ん?」 「……本当に、僕が好き?」 「ああ」 「じゃあ……キスして」 「良いのか?」 「して……」  ゆっくりと、畳に押し倒される。まずうかがうようにそっと額に口付けられ、徐々におりていく。唇に向かって。長い時間をかけて、ようやく唇に触れた時は、思わずまつ毛が震えた。肉欲的な激しいキスではなく、優しく、何度も触れては表情を見る。真治も薄く瞳を開けて創の表情を見て、そろりと腕を上げ整えられたオールバックに手をかけた。愛撫もされていないのに、キスして目を合わせるだけで、身体が火照って我慢がきかなくなる。こんなことは初めてだった。 「んっ……」  愛情がなくてもセックスは出来るが、キスをすればある程度のひとと成りはわかる。散々遊ばれて、真治が達した結論だった。互いに求めているのは分かるのに、創はけっしてキス以上をしようとはしない。真治が、「キスして」とだけ言ったからだ。真治はたまらず、創の髪を乱して撫で上げた。 「シたい」 「嫌なんだろう? よく考えた方が良い」  真治が誘っても、創は揺るがない。呼び出されてはろくに話もせずにベッドにもつれ込んでいた、あの傷が癒えていく。 「創さん」 「ん?」 「……好き」 「嬉しいな」 「抱いて」 「本当に?」 「早く」  真治の方から、噛み付くように口付けた。そしてようやく、舌が入ってくる。腰が密着して擦り付けられると、二人とも弾けそうに脈打っていた。 「は……あ、」  中指と人差し指が、目の前で創の口内に含まれる。それだけで、期待に奥の方が疼いた。セックスをするのは、一年半ぶりだった。 「ん……」  後孔に、違和感を感じる。望んでいても、本来と逆に押し入られるのは、異物感が強くて瞳をきつく閉じた。だが、巧みに男性子宮の入り口を探り当てられ、突かれると嬌声が部屋に充満した。 「アッ、あ・ぁ・あっ」 「いい子だ。ここも、素直だな。力を抜け。欲しいだろう?」 「んっ……()れ、て」 「ああ。ほら」  火傷するのではと思うほど灼熱した硬いものが、宛がわれ、ゆっくりと入ってくる。真治は、創の髪をギュッと掴む。創が、クスリと笑った。 「真治。髪の毛が抜ける。今から禿げては、嫌だろう?」 「創さん」  そのジョークに、ふっと緊張していた身体の力が抜けた。瞬間、創が呼吸を合わせて深く押し入ってくる。 「あ……っ」 「痛くないか?」 「うん。創さん、好き……あ、ぁ」  ゆるゆると動かれて、激しい注挿だけが快感ではないことを、初めて知る。ゆっくりとギリギリまで引き抜かれて、ゆっくりと奥まで入る。たまらず、ディープブルーの瞳に再び涙が結晶した。 「()過ぎて泣いているのか? 本当に可愛いな、真治は」  間近に見上げる創の目尻には、年相応の優しい笑いじわが刻まれていた。そんな小さな発見さえも、愛おしい。真治は骨盤を上げて、結合部を擦り付けた。限界だった。 「んん、も……っ、イキ・たい」 「ああ。しっかり捕まっていろ」  途端、激しく揺すり上げられる。先ほどまでの優しさとは、真逆だった。前触れでぬるぬるの真治自身にも手がかかって、それだけで揺られて愛撫になる。前も後ろも攻められて、真治は理性を手放した。リズムを合わせて腰を動かし、高みを目指す。 「あ・あ――っ……!」  若い真治は、暴発気味に浴衣を濡らす。自然、きゅうきゅうと後孔が締まり上がって、創も熱い息を吐いた。 「っ……真治……イく……っ」 「あ・やぁっ!」  達したばかりの敏感な内部を掻き回されて、真治が泣き声を上げる。深く深く突き刺されて、奥に熱い(ほとばし)りを受けた。 「ふ、う……んっ」  優しく、口付けられた。セックスしたあと、(おす)は急に気持ちが冷める瞬間があるという。今まで、終わったら相手が離れていくのは、そういう本能だと思っていた。だけど創は、すぐに抜くこともなかったし、キスしてくれた。改めて真治は、愛情が強まるのを感じる。 「創さん……好き」 「私も愛している、真治」  愛しているだなんて言われたのは、初めてだった。このひとはロマンティストなんだろうな、と真治はもっと知りたくなる。素直に音にした。 「貴方のこと……もっと、知りたい」 「こんなおじさんで良いのか? 正直、もうこっちの方は枯れたと思っていた。君を満足させられたかどうか、不安だ」    真治は顎を上げて、創に口付ける。 「身体なんて、二の次です。本当に好きなひとなら……創さんとなら、キスだけでもいい」  入ったままの創自身が、質量を増した。 「あ」 「可愛いことを……では、今の内に、たっぷり満足させてやる」 「創さ……んン」  またゆっくりと注挿しながら、創は微笑んだ。 「君に嘘は、つけないな。若い頃は、十代の少年にしか興味がなく、一度抱いたら飽きていた。だが、今は違う。どうか……連れ合いになってくれ」 「恋人、ってこと……?」 「いや」 「ん?」 「生涯を、共に過ごしてくれということだ。……結婚して欲しい」  日本でも同性婚が認められて久しく、賞味の結婚が出来る時代だった。真治は嬉しかったが、吐息を乱しながら苦情を上げる。 「はい。でも、ン……今度は、最中じゃなくて、素面の時に改めて言って欲しいです」 「違いない」  創は、眩しく破顔した。年上のひとに言うには、失礼かもしれないけれど。 「創さん、可愛い……」  目くるめく快感に浸りながら、二人は互いを知ろうとポツポツと会話を交す。 「私が現役だというのは、内緒にしてくれ。じゃないと、愛人目当ての若いのがうるさくてな。君と私は、あくまでプラトニックな関係ということに」 「こんなに、おっきくしてるのに?」 「四十(しじゅう)の時以来だよ。欲情を感じたのは。本当に好きなら()つと噂には聞いていたが、まさかまた()ぐわうことが出来るとは思わなかった」 「僕も、もうセックスはしないと思って、ピアスを捨てたんです。創さん……愛してる」  真治が照れながら、そっと囁くと、創は力強く返すのだった。 「ああ、愛している、真治」  快感の波にさらわれてしまうまで、小さく笑い合っては内緒の話を繰り返す。秘密は共有され、二人はこれからの長い人生の共犯者になって、指を絡ませ熱い口付けを交すのだった。幸せな時も、困難な時も、富める時も、貧しき時も、健やかなる時も、病める時も。死が二人を分かつまで――。 End.

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