不意に、彼との会話を思い出す。「海、好きですか？」という含みのある彼の問から連なった、あの会話を。何気ない会話のようにあの時は思ったが、彼の名前を見ると何か意味があったのではないか――そんなことを思ってしまう。もっとも、穿(うが)ちすぎという可能性もあるので、わざわざそんなことを訊くことなどできないが。 　志鶴はもらった名刺については敢えて何も言及せず、それを胸ポケットにしまう。「そして、「どうぞ」と何食わぬ顔で彼――海に声をかけてやった。 「おじゃまします」 　玄関先で靴を揃えてすっと立ち上がる様子は洗練されていて、まだ若いのに随分と社会人としてこなれているな、と思う。しかし、彼は、ぱち、と志鶴と目が合った瞬間に、へへ、と照れ笑いをしてすまし顔を崩してきた。途端に幼さが滲み出たその顔がなんだか可愛らしかったので、志鶴は思わず「なんか嬉しそうだね」と零してしまう。 「あっ――……いえ。なんというか……また、あなたと、……えっと、南丘さん？　とお会いできて嬉しくて」 「……そんなに俺のこと、気に入ってくれました？」 「えっ！　えーっと……まあ、はい、そうですね」 　若い人はみんな都会に行ってしまうんだ――そんな田所の言葉を思い出した。自分と年齢が近い人と知り合えたことが、彼は嬉しいのかもしれない。そわそわとした様子の彼を見つめながら、志鶴はそんなことを思う。