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 入居したばかりの家は、知らない家の匂いがする。そんな新しい住居に客人を招くのは、なんとなく不思議な感覚がした。  扉の鍵を閉めようと、振り返る。そうすると、背後についてきていた海とぱち、と目が合った。しかし、その視線はふいっとすぐに逸らされてしまう。 「海?」  海は見るからに落ち着きのない様子だった。そわそわとしていて、口元や指先がせわしない。べつに変なことをするわけでもないのに、と志鶴はつい苦笑してしまう。 「そんな、緊張しなくても」 「えっ! あ……あはは……すみません……」  他人に甘え慣れていないからだろうか、「甘やかされる」という目的で志鶴の家に来た海は、いたく緊張している様子だった。しかし、その瞳はどこか物足りなそうで、じれったい。甘えたいのは山々なのに、やり方がわからないせいで、どうすればいいのかわからなくなっているのだろう。 「そんなに緊張していたら、意味ないじゃん」  志鶴はふっと笑って、海に詰め寄る。海はぴくんっと肩を震わせて、よろよろと後退した。しかしその背中は扉に阻まれて、あっという間に距離を詰められてしまう。志鶴がとんっと手を扉に突くと、海は「わ、わ、」と言葉とも鳴き声とも言えない声を漏らして慌てふためいた。 「しっ、志鶴さ、」  志鶴は扉の鍵を締め、そのまま戸惑う海を構わず抱き込める。海辺でしたときよりも、ずっと優しく。ぎゅうっと包み込むように抱きしめて、そっと彼の首元に顔を埋める。 「……っ」  柔らかな抱擁に海は動揺したらしい。しばらく、かち、と硬直してしまっていた。しかし、徐々に肩の力を抜いて、ゆっくりと志鶴の胸元に体をうずめてゆく。最後に、すり、と顔を首筋にこすりつけてきたので、志鶴はそっと頭を撫でてやった。 「……志鶴さんって……香水とかつけてます?」 「つけてないよ」 「でも……大人っぽい匂いがします……」 「ああ……たまにつけるから、その匂いがコートに移ってるのかも」  指で髪を梳いたり、うなじを撫でてやる。他愛のない話を、耳元で優しくしてやる。徐々に徐々に、海はうっとりとし始めて、志鶴の言葉に反応する声が、甘ったるいものになってきた。

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