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夢と現実の間にいるような、そんな心地で海は目を覚ました。甘い夜を過ごした反動と、遠い日の夢を見たせいか、頭がぼんやりとして今の自分がどこにいるのかがよくわからない。
「おはよう」
「……!」
声をかけられて、はっと顔をあげる。そうすれば、志鶴が優しい眼差しで見つめてきていた。目があって、ようやく自分が、抱かれた男の腕のなかで目を覚ましたという状況にあることを知る。昨夜のセックスの記憶が少しだけ曖昧だ。味わったことのない深い深い絶頂の、そのあとのことをあまり覚えていない。よっぽどすごかったのか、と海は仄かに頬を染めながら、昨晩たくさん甘やかされた体の奥に意識をやる。
「おはようございます……」
「いい夢はみた?」
「……。そうですね、とても……懐かしい夢を」
志鶴が海の頬を撫でる。親指の腹で目じりをこすられて、海ははじめて自分が泣いていたのだと気付いた。
夢の中――名前の意味を初めて聞いた日の、母を思い出す。太陽を仰ぐ向日葵のように笑う母の真意など、簡単なことだった。それに気づかないくらいに、知らぬ間にひとり追い詰められていたらしい。ばかだな、と海は自嘲して、志鶴の胸に頬ずりをする。
たまには、誰かに甘えてみるのもいいかもしれない。
抱きしめられ、海は目を閉じる。裸の体で密着し合えば、心がほろほろとほどけてゆく。
「……志鶴さん」
「ん?」
「また、……志鶴さんの家に来てもいいですか?」
「いいよ。いつでもおいで」
優しく微笑んだ志鶴に、胸がきゅうーっとなる感覚を海は覚えた。心の奥からいろんなものがあふれてきて、たまらず、志鶴にぎゅっと抱き着いてしまう。
「……海。仕事は、何時から?」
「ん、……九時半くらいからです……まだ時間には余裕があります」
「そう」
「んっ⁉」
ぽふ、と仰向けにされて、海はぱちっと目を見開く。「少しだけ」、そう言って志鶴は海の体にキスをしてきて、海はびくんっ! と身じろいだ。
「あっ……、だめっ、志鶴さん……あぁっ……ぁんっ……あっ……」
志鶴の家にいる間はこうしてずっと、たっぷりと体を甘やかされるのだ。これからも、少し疲れてしまった日も、この場所に来れば。そう思うと、明日にかかっていた雲が晴れてゆくような気がした。
朝の日差しが白いシーツと二人の体を照らす。甘い声と僅かにベッドが軋む音で、また、今日という一日がはじまりを告げた。
Ⅰ 海の見える町 了
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