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ふわ、と長い髪を揺らしたその女性は、この田舎町にはあまり似合わない空気を醸し出している。きりっとした目鼻立ちをしていて、化粧が濃い。しかし笑顔が柔らかく、例えるならば向日葵のような、明るくてきらきらとした女性だった。
「あなた、この辺の人?」
「いえ……二か月くらい前に、東京から越して来ました」
「ああ、やっぱり! ちょっと雰囲気違うから」
彼女はピンヒールをカツカツと鳴らしながら志鶴に近づいてきた。近くで見ると、彼女は自分よりもずっと年上に見える。化粧で肌をきれいに見せているのもあるが、はつらつとしたその表情が、彼女を若く見せるのだろう。潮の匂いに混じる、彼女の強い香水のかおりは、不思議と不快には思えない。
「この海、綺麗でしょう」
彼女は海を眺めて、そう言った。志鶴もつられて、もう一度海へ目を遣る。
「若い頃、すっごく辛いことがあって。でも、この海に救ってもらったの。死んじゃおうかなって考えたりもしたけれど、この海を見ていたら……ぜんぶ、許してくれるような気がして」
「……許す、ですか。俺の知り合いもそんなことを言っていました」
「ほんと? みんな、感じることは一緒なのかな」
海に許してもらいたい――その感覚は、みんな抱くものなのだろうか。海 に続いてこの女性もそんなことを言うので、志鶴は少しばかり驚いた。志鶴自身は海に対してそんな気持ちを抱いたことがなかったからだ。
「人生の中で一度や二度、悪いことってするでしょう。そして、そのことをずーっと引きずって、悩むの。私は悪いことをしちゃったときは、この海にきて、許してもらっていた。この海を見ていると、自分自身のことが許せるような気がして。でも、ひとって色々あるからね。何度許されてもまた罪を重ねて、苦しんで生きていくんだと思う。だから私は、この海に何度でも助けてもらうの。それで本当に罪から救われたのかはわからないけれど、なんとか前を向いて生きていけるから、それでいいのかなって」
「――……そう、ですね」
ぼんやりと海を眺めながら、志鶴は彼女の言葉を聞き流していた。あまり、彼女の言っていることはわからない。救いを得ることができる罪など、罪と呼ぶのだろうか。本当に罪を抱えた人間は、救いなど求めるべきではない、そうではないのか。
「私ね、息子がいるの。でもその息子は……私を捨てた男の子供でね。堕ろすのが間に合わなくて、仕方なく産んだ子供だった。産まれる前は、お腹の中の子供が憎くて仕方なくて、産まれたら殺してやろうって思っていたの。あの男に暴力を振るわれたときみたいに。でもね、実際に産まれたら……殺せなくて。やっぱり可愛いなあって。そう思って、結局、大切に育てた。無事、大きくなったけど……息子のことが大切になればなるほどに、殺そうなんて考えていた自分が恐ろしくて……私はこの海に、許しを願ったの」
「……!」
思わず志鶴は、海を眺める彼女の横顔を凝視する。この話を、聞いたことがある。彼女は――
「……時間をかけて、私はようやく自分のことを許せるようになってきたけれど。でも、息子が高校を卒業したときに……墓場まで持っていこうと思っていたこの話を、ぜんぶ息子に話した。ぜんぶ。殺そうって思ったことまで、ぜんぶ。「隠しておくと、いつか知った時にショックをうけるでしょ」なんて息子には言ったけれど、それは嘘。黙っていることが、怖かっただけ。私を慕ってくれる息子への罪悪感に勝てなかった私の弱さ」
「……、」
「今はね、普通に息子と仲がいいけれど……本当は、知ってるの。今でも、私の息子は……私が告白したことで苦しみ続けているって。私が黙っていればよかったのに、私が言ったせいで、息子は……永遠に、苦しみ続けることになっちゃった」
不思議な気持ちになった。
彼女は、救われているのだろうか。海 に願った許しは得たのだろうか。出逢ったころの海が彼女の告白に苦しんでいたところを思えば、たぶん、彼女は救われていないと言えるだろう。しかし……今の海は、以前に比べればずっと前向きだ。志鶴の支えによって、少しずつ、歩き出すことができている。彼女の知らないところで、いつの間にか彼女の犯した罪は救いを得ている。
では、彼女は? 彼女自身は、救われているのだろうか。きっとここで、今の海のことを教えてあげれば、彼女はだいぶ救われるだろう。いつか、彼女は彼女自身を許すことができるかもしれない。しかし――志鶴は、その選択をするつもりはなかった。
「俺も、罪があるんです」
海に手を差し伸べたように、罪滅ぼしのために他人に善意を振るうことはあるかもしれない。しかし、他人を救うために善意を振るうつもりなど毛頭ない。
救世主になんてなるつもりはないのだ。彼女と同じように、罪を抱えたただの人間として生きるだけ。他人を救いたいと願うなんて、おこがましいにもほどがある。
「……俺、父親を殺したんです」
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