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 電池交換を終了した海が店に戻ってくると、志鶴はひとつのショーケースを眺めていた。海が来たことには気づいていないようで、じっと時計を見つめている。海がそっと彼に近づいていって、とん、肩を叩けば、志鶴は驚いたように小さく声をあげた。海はそんな志鶴を可愛らしく思って、くすくすと笑う。 「驚かせてすみません。何か、気になるものがありましたか?」 「え、いや……」  志鶴が見ていたショーケースには、いくつかの懐中時計が並べられていた。新作から先代店主の幸次郎がどこからか入手したアンティークのものまで、様々だ。志鶴が見ていたと思われる時計は、その中のひとつの海外から輸入した高級時計である。金色の(ケース)の、文字盤に月の絵が覗く小窓(ムーンフェイズ)がついている時計だ。小窓から覗く月の絵は月齢を表しており、実際の月齢に合わせてイラストが変化するようになっている。デザイン性が優れているので、ショーケースに並べられている懐中時計の中でも特に目を引くだろう。 「ムーンフェイズが付いている時計ですね、おしゃれですよね」 「ムーンフェイズ?」 「この月の絵、大体一か月で一周するんですけど、これで月の満ち欠けがわかるんです。今は三日月が出ていますけど、実際の月の満ち欠けに合わせて満月になったりなくなったりするんですよ」 「へえ……全部、月なの?」 「?」 「太陽が出てきたりはしないのかなって?」 「ああ、そういうのもありますよ。午前午後がわかるやつですよね。それはサン&ムーンフェイズって機能で……あ、うちではあつかってなかったな……」  志鶴が見ていた時計はムーンフェイズがついているものだったが、彼は違うタイプの時計と勘違いしていたらしい。サン&ムーンフェイズという機能がついた、月と太陽のイラストが描かれた円盤が回ることによって午前と午後がわかるようになっているタイプの時計を、頭に浮かべていたようだ。なぜ彼は勘違いをしたのだろう、そう思ったところで、海はあるものを思い出す。 「そういえば志鶴さん、サン&ムーンフェイズの懐中時計持っていましたね」  引っ越してきたばかりの志鶴の片づけを手伝ったときに見た、錆びた懐中時計である。かなりぼろぼろだったが、あの時計は志鶴が言うように、サン&ムーンフェイズがついた懐中時計だった。志鶴が持っていたものは月のマークで止まってしまっていたが、あの懐中時計は有名なメーカーのもので、サン&ムーンフェイズの時計であると海も知っているものだった。  海はあの時計を懐かしく思い、微笑む。しかし、志鶴がそんな海に返した言葉は、「ああ、昔そういう時計を持っていた」だった。 「……?」  なぜ、過去形なのだろう。海は単純にそう思う。あの時計は壊れてしまっているようだったが、現在進行形で持っていることには変わりない。最近捨ててしまったのだろうか。それとも、あれとは別に持っていたのだろうか。どちらにしても、海の問いかけに対する答えとしては不自然である。 ――『時計って、止まったままではいけないものなんですか?』  ふと、あの日彼に問われた言葉を思い出す。あの時、海はどう答えればいいのか悩んだ。そう問いかけてきた志鶴が、壊れそうなほどに繊細に見えたからだ。あの時は結局、時計屋としての模範解答を返したが、彼が欲しかった言葉は違うものだということは、なんとなく感じ取っていた。  あの時、彼が欲しかった言葉はなんだったのだろう。  今更になって、そんなことを考える。ショーケースの中のムーンフェイズの懐中時計を見ている志鶴はどことなく寂しそうで、それこそ彼が「持っていた」という懐中時計を思い出しているような――そんな表情に見えた。 「……志鶴さん。訊きたいことがあるんですけど」 「ん?」  海はごくりと唾を飲む。  志鶴に対して、彼という人間に迫るようなことを問いかけたことはない。彼の過去を尋ねることもなかったし、彼自身への興味を悟られないようにしてきた。すべては、ふとした瞬間に彼の触れて欲しくないところに触れてしまって、彼との関係が終わってしまうことが怖かった……それだけの理由のため。  だから、言葉を発するのにひどく緊張した。もしもこれで、彼が自分を避けるようになったらどうしよう、と。 「――時計って、止まったままではいけないものだと思いますか」  

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