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蝶々遊びの心得

 翌日の朝。いつもと同じ電車に乗り、いつもと同じ道を歩いて登校する。いつもと違うのは、朝からボスゴリラの取り巻き連中に囲まれないことだ。  妙に静かで、けれどやたらと視線を浴びて教室へと着いた。俺が教室の扉をくぐった瞬間、室内の空気が急に変わった気がするけど、一体これは何事なのだろう。 「柳!」    不思議に思いながらも自分の席へ向かうと、待っていましたとばかりに誰かが近づいてくる。茶色い髪を無造作にセットし、太めのフレームの眼鏡をかけたチャラ男……もとい、友人である由比京介だ。 「由比、おは……」 「お前!!いつの間に愛知先輩と付き合うことになった?!いつ、どこで知り合って、どうやって予約をとった?!」 「……は?付き合う?予約?愛知?え、何が?」  家の手伝いが忙しすぎて由比はおかしくなってしまったのだろうか。それとも、新しく開発した薬を勝手に試して、記憶が飛んでしまったのだろうか。意味不明なことばかりを叫ぶ親友が心配だ。  そうして首を傾げる俺の肩に、由比の手が乗る。 「愛知尋音先輩だよ!昨日お前と愛知先輩がエッチしてるところに香西さんの取り巻きがおしかけて、愛知先輩に追い払われたって今朝から噂になってる」 「……は?」 「しかもお前が先輩に乗り上げて、教室の窓が揺れるぐらい動いてたって。柳、お前どこでそんな激しい腰遣いを覚えたんだ?!」 「…………腰遣い?は?え?」  今朝食べたロールパンが丸まる入るぐらいの大口を開け、俺は固まってしまった。それを見た由比の眉間に皺が寄る。 「なんで愛知先輩なんだよ……いくらここが男子校だったとしても……いや、愛知先輩なら男でもアリかもだけど、でも相手がお前って……愛知先輩は普段ボケっとしてるくせに、外見にはこだわる人だって聞いてたのに」 「おい由比。お前、何気に俺のこと不細工だって言ってないか?」 「不細工とまでは言ってない。身内だからおまけして中の中、もしくは中の上の下の下ぐらいだとは思ってる」 「それは喜んでいいレベルなのか?」  つまり平凡だと言いたいのだろう。昨日会った蝶々の王子様に比べて、俺が劣っているということか。確かに見た目だけなら月とすっぽん、月とミドリガメぐらいだけれど。 「とにかく昨日の話を聞かせてもらう」  むんず、と俺の腕を掴んだ由比が大股で教室の中を横切る。近い方の後ろの扉から出ようとして、けれど急に由比の足が止まった。  突然の静止に引っ張られていた俺は気づかず、由比の背中に鼻頭を思い切りぶつけてしまった。絶妙に痛い。 「由比!止まるなら止まるって一言」 「あ、ち、せん……ぱい」 「おい!お前人の話を聞けよ!!」  俺の話を聞かない由比が首から上だけで振り返った。ギギギ、と軋む音が聞こえた気がするのは、その動きがあまりにも鈍かったからだ。 「やな、やななな、柳」 「なんだよ。俺は、やななな柳なんて名前でも芸名でもない」 「あれ。あれ、あれ」    小刻みに震えながら由比が指さす。そこには開いた扉の縁に右肩を預け、腕を組んで立つ蝶々の王子様。 「今から朝のお散歩?犬はよく見かけるけど、猫にも散歩って必用なの?」 「蝶々……じゃなくて、尋音先輩」 「うん、おはようミィちゃん。明日は俺と散歩に行こうね」  なんで。どうして。どんな理由で。全て同じ意味なのに、色々と考えてしまった俺の頭が停止した。隣では全機能を停止させた由比が昇天している。  凭れて立つ先輩はそれはそれは麗しく、その薄い唇から「ご機嫌よう」と言われても「はい」と答えてしまうぐらいに美しい。 「おはよう、ございます……あと、明日は雨……らしいです」  なんとか返事を返した俺に、尋音先輩が「それは残念」と、うっとりとした微笑みを浮かべる。

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