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蝶々遊びの心得
「今日はね、ミィちゃんに手紙を書いて来たよ」
呆然とする俺を無視し、尋音先輩が手渡してきたのは小さな紙。2つ折りにされたそれを開くと、綺麗な字で数字と文字が記されている。しかも筆ペンで。あまりにも達筆すぎて軽く引いてしまうぐらいだ。
「これ、先輩の字ですか??」
「まさか。使用人に書かせたんだけど、読みづらいかな?」
「いえ、すごく達筆すぎる上に使用人とか未知すぎて。もう何からツッコミを入れればいいか分からないですけど、とりえずお上手ですねって使用人さんにお伝えください」
見覚えのある『@』から始まるアルファベットに、先輩でもメッセージアプリしてるんだ……なんて、どうでもいいことを考えた。どうでもいいことを考えないと、俺の頭はオーバーワークで死んでしまうだろう。
「何かあっても、何かなくても連絡してくれて大丈夫だから。ワンコールでも残してくれたら、どこにいてもミィちゃんを見つけてあげる」
「はあ……それは、なんでかって理由を聞いてもいいんですかね?」
「番号を教える理由?それとも、俺がミィちゃんを探す理由?」
両方だと視線で訴える。その意味を正しく受け止めてくれた尋音先輩は、唇に指の背を当てて少しだけ考えた。教室に今世紀最高の芸術作品が生まれた瞬間だ。先輩なら絵にも銅像にもなれそうだ。
ああ、今日も尋音先輩の手は眩しいほどに綺麗だ。手だけじゃなく顔も髪も、周りの空気も綺麗だし、やっぱりキラキラしている。
そんなキラキラの中で、尋音先輩が俺に向けて言う。
「俺がミィちゃんの飼い主だから。迷子になった自分の猫を探すのは、飼い主として当然だと思うけど、違った?」
俺を始め、由比や他のクラスメイトまで呆気にとられた爆弾発言をした先輩は、唇に宛がっていた指を離した。それはどこかを彷徨うことなく、一直線に俺の髪へと伸びてくる。
前髪を掻き分け、露わになった額が外気に触れる。晒された素肌に、冷たく柔らかいものが押し付けられた。男のくせに唇がびっくりするぐらい柔らかいのは、先輩が王子様だからかもしれない。そうに決まっている。
昔、母さんがよくしてくれたそれ。まだ眠りたくないと駄々をこねる俺に、早く寝なさいの意味を込めて落とされたキスを、尋音先輩によって思い出すことになったのだけれど。
今この場ですべきことじゃない。
「暇だったり寂しくなったり、嫌なことがあったら昨日の部屋においで」
いやいやいや。ここはアメリカじゃなく日本で、気軽に親愛のキスなんてしない。ましてや男同士でそんなことをしたら、何を噂されるかわからない。
けれど尋音先輩を冷やかす人間はいなかった。蝶々の王子様からの親愛のキスに見惚れはしても、からかえる猛者は1人も出てこない。みんな打ち首にはなりたくないんだ。
またね、と残してこの場を後にした先輩の背中に羽が見えた気がして、目を強く擦る。それから数分後、やっと気を取り戻した由比によって、俺は屋上へと連れ出された。
いつもなら痛いから引っ張るなと騒ぐところを、俺は黙った。今、口を開いたら魂が抜け出てしまいそうだったからだ。蝶々のキスは、生気を奪う。
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