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蝶々ひらり、ひらひら蝶々

「俺、電車なんで先輩とは行けません」 「じゃあ今日は、ミィちゃんも俺と一緒に徒歩通学にしよう」 「先輩のは徒歩じゃないです。それは先輩だから許されることであって、俺は違います。俺と先輩は全然違う」  ふるふると首を振って、後ずさる。すると尋音先輩は俺が動いたと同じ分だけ、距離を詰めてくる。  すごく惨めだった。俺の知らない世界で、俺の知らないことを、俺の知らない相手と平然としてしまえる先輩が。それを俺に見られたところで、何も気にならないってことが。  自分は尋音先輩にとって『何をしても平気な相手』だって現実が惨めだった。 「俺が許されるなら、俺の飼い猫であるミィちゃんも許されるよ。その鈴だって、誰にも咎められなかっただろうし」  尋音先輩の白い指先の指す先にあるのは、シャツの中に隠れた鈴だ。 「これだって先輩が着けたからです。俺の意見なんて関係なしに」 「嫌なら外せばいいのに。もちろん、きっついお仕置きするけどね」 「勝手に着けたくせに、外したらお仕置きするって理不尽じゃないですか?理不尽っていうか、傲慢だ」  鈴を指さしていた先輩が、思案するかのように唇にそれを動かした。赤色と桃色の中間のような色合いの口唇。それを撫でるその頭の中で、何を考えているのか想像すらしたくない。したくないのに、先輩は言葉にしてしまう。 「ごめんね。俺にとってはこれが通常だから、傲慢だって言われても分からない。ミィちゃんは、一体何が気に入らないんだろう」  ほら。やっぱり俺と先輩の間には、大きくて高い壁がある。俺はそれを越えようとは思わないし、越えられるとも思っていない。  でも先輩は違う。越えたくなったら越えるし、越えたくなければ無視する。それが俺と先輩の違いだ。俺にとってはできないことで、先輩にとってはしないこと。その意味の違いは大きい。 「俺と尋音先輩は、全然違う」  だからもう気まぐれで俺に構うな。俺の何が先輩の琴線に触れたのかは知らないけれど、平凡ながらも平和で穏やか……とは言えないけど、とにかく今の俺の生活を壊そうとするな。  そんな強い意志を持って見つめた瞳を、先輩が真っ直ぐに受け止める。そのヘーゼルに彩られた色は、何を考えているのか見せようとしない。目は口ほどに物を言うって言葉は、先輩の場合は全く当てはまらないらしい。この人は目よりも口の方が分かりやすい。 「まあ、今日のところは仕方ないか。猫って気まぐれな生き物だしね」  緩く笑った先輩はそれ以上追及してくることなく、顔の高さまで上げた手を振って微笑んだ。そして踵を返して校舎へと戻っていく。待ち構えていたかのように、先輩の隣には『その人』が寄り添っていた。  今日から1ヶ月の間だけ先輩の恋人になる、ずっと順番を待っていた期間限定の恋人だ。  その彼が尋音先輩に何かを話しかけ、視線を向けた先輩が応じる。いつも見せる控えめな微笑み、ゆっくりとした頷き。先輩が『その人』に向けたものを、俺は離れて眺める。  見たわけじゃない。見つめたのでもなければ、見守るつもりもなくて、単純に眺めていただけだ。何事にも動じない先輩と、そんな先輩に必死に話しかける『期間限定の恋人』との違いを痛感しただけだ。 『好きにすればいい』  尋音先輩が言ったその台詞は、家に帰ってベッドに入ってからもずっと頭の片隅にこびりついていた。好きにしていいなら、俺はあの蝶々王子から逃げたい。  それなのに逃げられない。

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