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追いかけっこをしよう

 よく考えてみれば、ここから下が見えるってことは下からここも丸見えなわけで。ということは、先に先輩が俺を見つける可能性もあるわけで。  屋上にいたら、逃げ場はない……わけで。 「なあ香西。もしここに尋音先輩が来たら、俺はどうやって逃げればいいと思う?」  万が一のことを考えて聞いてみると、空を見上げていたゴリラがこちらを向く。 「お前が尋音に勝てるわけないからな。そうなったら、おとなしく捕まるこった」 「えぇ……それは嫌だ。最悪、靴でも投げつけて目くらましするとかは?」 「あいつがそんな小細工に動揺するかよ。そうだな……涼しい顔して受け止めて、靴が飛んできたんだけどって笑うに1票だな」  香西が語る尋音先輩の話は、悪口のように聞こえるけれど嫌悪感を感じさせない。それが妙に気にかかって、俺は何の気なしに訊ねることにした。 「なあ香西。お前と尋音先輩って、実は仲が良いのか?なんだか先輩のことよく知ってるし」 「んなわけあるか。俺は昔から尋音が大嫌いだ」 「その割に詳しいし、気にしてるように見えるけど」 「別に……気にしてるわけじゃない」  ぐっと声を詰まらせた香西が明後日の方を向く。その後すぐにこちらを向きなおした顔は、不満そうで機嫌が悪いことがわかった。  傍若無人な香西。機嫌の良し悪しで怒鳴る香西。余計なことを言ったからって理由で俺を殴ろうとする香西……そんな図が頭に浮かんだ、のだけど。 「尋音にとっての俺は、何度か会ったことのある人間ってだけだ。好きも嫌いもなければ、幼馴染だって感覚もないだろうな」  ぽつり、と香西の口から2人の関係が出る。 「お前、尋音が愛知の家で何て呼ばれてるか知ってるか?」 「え?普通に名前じゃねぇの?あ、それとも尋音様とか?先輩の見た目なら坊ちゃまもあり得るか」 「そうじゃなくて。呼び名っつーか、あれはもう悪口だな」  はっ、と鼻で笑って香西が続ける。 「第一候補。あの家のやつらは、尋音のことを優秀な跡取りとしか思ってない。誰も一人の人間として扱ったりしない」  そう告げた香西の声は硬い。 「決められた時間に起きて、決められた物を食べ、決められた場所に連れて行かれて決められた家に帰る。尋音の生活はそれが一生続く」 「そこに先輩の意思は?」 「あるわけがない。尋音は言われたことを求められる以上の結果で応えて、それでも褒められることはない。テストで100点をとった時も、ピアノのコンクールで金賞をとった時も、運動会で1番になった時も。何でも1番になるように初めから決められてるからな」  それはどんな感覚なのだろう。  俺なんて、テストで80点以上とればお小遣いアップなのに。コンクールで金賞どころか、楽譜すら読めなくて笑われたのに。運動会で1番になったことはあるけれど、それだって小学校の頃の話だ。中学に上がった後は、せいぜい2番止まりだった気がする。  それでも俺の父さんも母さんも、よくやったって褒めてくれた。2番の旗を持った俺の写真を撮り、今でもリビングの片隅に飾ってくれている。  俺だけじゃなくて兄さんも姉さんも。うちの家には、家族の写真がたくさん飾ってある。俺はみんなに名前で呼ばれているし、陰で変な呼び名なんてつけられてもいない。  それが普通だと思っていた。今でも思っている。けれど尋音先輩は違う。  尋音先輩に関する話を聞くと普通っていうのが、よくわからなくなる。それと同時に、俺は周りから大事にされているんだなって思ってしまう。家族と友達からの愛情を感じるんだ。

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