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今日はおやすみ

 金曜日に先輩の誘いを断ったことなんて頭の中から葬り去り、俺は捕まれていない方の手で顔を覆う。平凡が赤くなったところで、見た相手を残念な気持ちにさせるだけだ。  その上、今日の俺はオタクの格好なわけで。胸元にはスタイル抜群の美少女がプリントされているし、背中には『ひでよし命』なんて書かれているし。  最悪としか思えない状況で降って湧いたチャンスに、心の中で舌を打つ。せめてもう少しマシな格好だったら良かったのに……って考えてしまった自分を、俺は即座に否定した。  だって、チャンスだなんて思う方がおかしいのだ。たまたま出先で会って、たまたまお互いに予定がなくて、それなら遊びに行こうかって誘われただけだし。  先輩からするとこれは『お散歩』らしいから、遊びよりももっと気楽なものなわけだし。でも、尋音先輩がそうだったとしても、俺は違う。 「俺、行けないです」  拒否を告げた声は、自分でもわかるぐらい固かった。どうしても、残念だと思う気持ちが隠せなかった。 「どうして?」  理由を聞かないでほしいと願っても、先輩は聞いてしまう。だから、言いたくないと思っても答えなきゃいけない。 「服とか……ダサいし。ただでさえ先輩と俺が一緒にいるの変なのに、なんか先輩に申し訳ないって言うか……何て言うか」 「申し訳ないって何が?」 「何がって、何……だろう。わからないけど、悪いなって思う」  心底、自分が惨めだと思う。申し訳ないなんて言葉でごまかして、自分自身を卑下してしまうのだから。そうすることで、これ以上傷つかないようにしているのだから。 「尋音先輩すみません。俺、もう帰ります」  俯いて唇を噛みしめ、細く息を吐いて頭を落ち着かせる。きちんと先輩を見て断ろうと顔を上げたら、両頬が何かに包まれる。  その正体が先輩の手のひらだと気づくと同時に、額にコツン、と先輩のそれが合わさった。 「せ、せせせ、先輩?!」 「はい、大きく息を吸って」 「尋音先輩!近い!!」 「ゆっくり吐いて。また吸って……って、ミィちゃん聞いてる?」  人の往来がある場所で、男同士で額を合わせる。一見するとキスでもしてるんじゃないかと思うほど近い距離に、俺の心臓は破裂寸前だった。  先輩とは今までもそれなりに近い距離で話してきたし、耳元で囁かれたこともあったし、なんなら額にキスをされたこともあったけれど。でも、そのどれもがさりげなかったり、一瞬の出来事だったので意識する間もなく終わった。  けれど今回は違う。しっかりと頬を包まれ、しっかりと視線が合って、ここに先輩がいるんだってわかる。  睫毛の本数すら数えられそうな近さに、頭がくらくらしそうだ。 「先輩、近いですってば!」 「うん」 「うんじゃなくて!」 「じゃあ、ううん」 「でもなくて!」  奇声を上げるオタク姿の俺と、余裕が溢れるイケメンを見る周囲の視線が痛い。先輩で塞がった視界にそれは映らないけれど、背中やわき腹にひしひしと感じてしまう。  あたふたして、でも力任せに突き飛ばせなくて。行き場のない俺の手が先輩の背中を叩き、離れろと催促するけど離れてくれない。 「落ち着いた?」 「こんなの、余計に落ち着きません!!」 「でも、こうしていたら俺がミィちゃんに迫ってるみたいに見えるし。それなら変なのはミィちゃんじゃなく、俺の方だし?」  だし?って語尾を上げた先輩がやっと離れてくれる。手の放された頬に触れると、ひどく熱くて自分でびっくりした。 「ミィちゃんは何も気にしなくていいよ。なんなら、俺も同じ服を着る?」  先輩が俺と同じオタクTシャツを着る。美少女のプリントがされていて、背中に『ひでよし命』って書かれたTシャツを先輩が。  駄目だ。それだけは絶対に駄目。そんなことをさせたら、俺は先輩だけじゃなく先輩のご両親にも顔向けできない。会うことはないだろうけど、絶対に駄目だ。 「だ、大丈夫です!!間に合ってます!」 「残念。間に合っちゃってたんだ?」 「残念って?!」 「せっかくお揃いのチャンスだったのに。あ、でも制服でお揃いだから、いまさら?」  どこまでが本気で、どこからが冗談かわからないまま、俺は先輩に従うしかない。

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