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蝶々の住処

 自分が貧しい暮らしをしていると思ったことはないけれど、ものすごい金持ちだとも思わない。  そもそも、金持ちの定義とは何だろうか。例えば家にプールがあって、門から玄関までは車で移動しなきゃ駄目で、庭にはドーベルマンもしくは毛のクソ長い大きな犬がいて。尋音先輩のイメージから、なんとなく洋風の城を想像しつつ先輩の隣を歩く。  俺の知っている外国の家訓的なものは、玄関で靴を脱がないってことだけだ。だから、それだけは絶対に間違わないと心に決め、ずんずんと進む。  歩いて、進む。なぜなら、自分でも忘れていた『車酔いが酷い』という嘘を、尋音先輩はしっかりと覚えてくれていたから。その場で苦し紛れに作った100%の嘘を、今もきっちりと信じてくれちゃっているからだ。 「距離的には歩けると思うんだけど、道がわからない」  先輩の家に向かうことを決めた俺たちが真っ先にぶつかった問題。それは、どうして行くか、だった。  俺の車酔いが酷いからタクシーで移動はできない。どうしようかと考える先輩に俺は住所を聞き、地図アプリで検索した。ここから尋音先輩の経路をほんの数分で叩き出した俺に、先輩は「魔法みたいだ」と笑ったけれど、これが魔法なら世の中は魔法使いで溢れていると思う。  あと、俺としては尋音先輩が自分の家の住所を覚えていたことの方が魔法よりも奇跡的だとも思う。 「ああ……駄目だ。死ぬほど緊張してきた」  先輩の家まではさほど遠くない。手土産はいらないと言われた上に、持っていた鞄を先輩に取り上げられてしまい、俺は手持ち無沙汰に両手を握っては広げてみる。けれど、どれだけ意識しないようにしても、ほとんど効を成さなかった。前に進めば進むほど、緊張で心臓がドキドキする。 「普通の家だから大丈夫。ミィちゃんが緊張する必要なんてない」  緊張の糸をこれでもかと張る俺に、先輩が緩く笑う。しかしながら、尋音先輩の『普通』は『普通』ではないことは既に経験済だ。むしろ、この人に普通なんて定義は存在しない。誰よりも普通から遠い先輩に、普通だなんて言われても説得力はなかった。 「尋音先輩の言う普通って、具体的にどんな普通ですか?やっぱり部屋中に薔薇が飾ってあって、ベッドは天蓋付きでお風呂は猫脚バスタブですか?メイドさんは外人さんですか?!執事は裾の長いスーツみたいな服を着て、懐中時計持ってるんですか?!」 「はは。ミィちゃんのイメージって面白いね。俺は薔薇の中で生活してるんだ?」 「笑いごとじゃないですから!俺にとっては一大事なんですよ!」 「薔薇が一大事って、ミィちゃんは花のアレルギーとかあるの?」 「え、花のアレルギーって花粉症的なやつですか?それなら違いますけど」 「じゃあ大丈夫だね。それに安心して、薔薇は飾ってなかったと思うよ」  肩を震わせて笑う先輩をなぜか俺が誘導し、たどり着いたのはタワーマンション。そんなはずがあるわけないとスマホを確認するけれど、何度見てもここで間違いない。 「先輩、まさか住所を間違って覚えてました?」 「いや?さすがに自分の住所ぐらいは言えるよ」 「でも……じゃあ故障かな?」  先月に新しい物に買い替えたばかりなのに、もう壊れてしまったのだろうか。到着を告げるアナウンスにアプリを一旦消して、またつけ直してみるけれど結果は同じだった。  目の前にあるのは城じゃなく、マンションだ。どう見てもお値段の高そうなマンションで、ここが賃貸なのか分譲なのかは分からないけれど、やっぱりマンションだ。  城ではないものを目に、もう一度アプリを起動してみる。またまた結果は同じ。 「……なんで?」  なぜ俺たちは城にたどり着かないんだろうか。

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