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【イン・ザ・ブルー】睦月なな
記憶の中の貴斗 は、大人しくて、いつも本を読んでいた。
『ねぇ、貴斗。何読んでるの?』
『んー?恋愛小説』
『恋愛小説!?何で、急に……?』
いつもは推理小説とかなのに……。
『恋する気持ちってどんな感じなのかなって思って。あーあ、僕もこの小説みたいに可愛い女の子に出会いたいな』
貴斗の言葉を聞いて、心の中のガラスにヒビが入る音がした。
この時、俺の気持ちは絶対に届かないのだと知った。
ーーー
「……っあ、あぁ……!!」
誰もいない水泳部の部室。
窓から差し込むオレンジの光が落ちるブルーのベンチの上で、俺は今日も組み敷かれている。
「遼太郎 ……もっと足開いて……そう……こうやって入れたら、深くていいかも……!」
両足を大きく開かれ、一番奥まで突かれる。
肉壁を擦りながら、抜き差しされる度、体が震え、快感の淵に突き落とされていく。
「た、たかと……」
思わず愛しい人の名前を呼ぶけど、その瞬間、ずんっと奥まで突かれ、声にならない悲鳴をあげる。
「俺は貴斗じゃねえって何回言ったら分かるんだよ……!」
「………っ!は……ぁん……、ごめん……ごめん……っ」
貴斗がいないことへの涙なのか、それとも無理やり中を擦られたことによる生理的な涙なのか、よく分からない。
ただこいつは嫌なのだ。「貴斗」と呼ばれるのが。
「……萎えた。もういい。シャワー浴びてくる」
相手は自分のモノを抜くと、俺にバスタオルを放り投げ、さっさと部室の隣のシャワールームに行ってしまった。
解放された体をベンチの上で伸ばす。
汗と精液がベンチの真ん中の隙間から漏れて、コンクリートの床を濡らしていく。
「ごめんな、海斗 ……」
天井の隅に取り付けられた古びた扇風機がカラカラと音を立てて、回り続けている。
「ごめんなさい、貴斗……」
大好きだったあの人に謝ったところで、届かない。
海斗の後でシャワーを浴び、二人で帰る。
不思議なことに、事を済ませた後は何事も無かったようにする。
別にそういう決まり事ではないけど、海斗はドライだからか、後からずるずると引きずらない。
コンビニでアイス買って、食いながら家に帰る。
「遼太郎、今日飯食べてけって」
「え?」
「おじさんもおばさんも帰ってこないんだろ?母さんが食ってけって」
「ありがとう」
貴斗と海斗とは昔からの幼なじみで、家も隣同士。
家族ぐるみの付き合いをしている。
そして、両親の帰りが遅いとこうやってご飯を頂くこともある。
海斗の家に着くと、おばさんが「海斗、遼くん、おかえりー」と声をかけてくれる。
「おばさん、お邪魔します。いつもすみません」
「いいのよー。早く手を洗ってらっしゃい」
「今日のご飯何ー?」と海斗がフライパンの中を覗き込む。
「こら、海斗。早く手を洗ってきなさい」
「はいはい」
こういう所は貴斗とは真逆だな。
昔から海斗は貴斗と違って、少しやんちゃ坊主な所がある。無邪気で可愛い弟みたいだ。
(けど、エッチする時は「男」って感じでなんと言うか……弟ではないな)
さっきの情事を思い出してしまい、顔に熱が集まった。
「おい、いつまで手洗ってんだよ」
「あ、ごめん……」
俺を押しのけるように、海斗は手を洗い始めた。
こういう強引なところは貴斗にはなかったな。
いつだって穏やかで優しい男。
凪のような男だ。
手を洗った後、リビングの奥にある畳の部屋に行く。
小さな仏壇には海斗に似た男が穏やかに微笑んでいる写真があった。
緑色の線香が細く煙をあげており、その横には金色の小さな杯にご飯がもられている。
(こんな量じゃ、絶対に貴斗は足らないんだろうな)
リン……と、おりんを鳴らし、手を合わせる。
(貴斗……)
貴斗は3年前、交通事故で死んだ。
俺の幼なじみで、俺の初恋の相手だ。
三人で同じスイミングスクールに通ってて、貴斗は俺よりも一つ上、海斗は貴斗の二つ下だ。
貴斗は高校一年生で全国大会のレギュラーに選ばれて、記録も残していた。
『遼太郎も僕の高校においでよ。水泳部入ろう』
『貴斗がいるなら……入ろうかな』
貴斗のいる高校に入ろう、水泳をまた一緒にやろう。
その一心で勉強して、高校にも合格した。
だけど、入学する前に貴斗は部活帰りにトラックにはねられて死んでしまった。
結局、俺は水泳部どころか、どの部活にも入らなかった。
「おい、メシ食べねーの」
「あ、ごめん。食べるよ」
食卓にはご飯、唐揚げ、サラダが置かれている。おいしそうだ。
「遼くん、もう大学決めてるの?」
「……まぁ、一応」
歯切れが悪いのは、自分の進路に迷いがあるから。
「へぇ~どういう所に進むの?」
おばさんは興味深げに聞いてくる。
貴斗が生きてたら、もう大学生になってるはずだ。
貴斗はどんな大学生になってたのかな。
おばさんは今、どんな気持ちで俺の進路を聞いてくれてるのかな。
「教育系に進もうかなって思ってます」
「え!?遼くん、先生になるの!?小学校?中学?高校??」
「ま、まだ決まってないけど……本読むの好きだから、国語の先生とか良いかなって思ってて」
「すごーい!」
おばさんが小さく拍手をすると、ガチャンと乱暴に箸を置く音がした。
「ごちそーさま」
海斗はぶっきらぼうにそういうと、わざとかと言うくらい音を立てて、階段を上がって行った。
「ごめんね、遼くん。海斗ったら、最近ピリピリしてて」
「いや、大丈夫です」
「あの子、最近水泳のことで、少し悩んでるらしくて……」
「水泳?」
「もしかしたら、貴斗のことかもしれないけど……私には何にも話してくれないの。遼くん、何か知らない?」
「ごめんなさい、俺もあんまり、海斗と話してなくて……」
昔はよく「遼ちゃん」って呼んで懐いてくれたのに。
中学生になったあたりから、名前で呼ばれなくなり、貴斗が亡くなってからは……体を繋げる関係になった。
海斗は嫌じゃないのかな、こんな関係。
ーーー
『海斗、泳ぐの早くなったな』
『本当に!?兄ちゃんみたいにはやくなれるかな?』
『なれるよ。海斗は僕よりセンスがあるもん』
『俺、がんばる!!がんばって、オリンピック行く!』
にっこりと笑う兄の貴斗。
昔は兄貴に褒められるのが誇らしくて、嬉しかった。
だけど、いつからか兄の存在が疎ましくなった。
『貴斗くんの泳ぎはすごいな~』
『中学のインターハイで記録残したって!』
『弟もいるんだよね。すごいのかな?』
『うーん……弟くんは分かんないなぁ』
どの大会に行っても、どの学校の合同練習に行っても比べられる。
優秀で人当たりのいい兄に対する劣等感。
人一倍頑張っても、結局兄貴と比べられる。
おまけに……。
『貴斗!途中まで一緒に行こう』
『遼太郎。いいよ、一緒に行こうか』
『貴斗、今度の水泳大会っていつ?俺、応援しに行くよ!』
『ありがとう』
黒い瞳をキラキラさせながら、兄貴を見る遼太郎の姿は恋してるって感じで……なんだかムカついた。
俺だって遼太郎のことが好きなのに。
ハッキリ自覚したのは中学生の時。
そして、遼太郎を犯したのは高校一年の夏、貴斗の命日。
貴斗の部屋で遼太郎がオナニーをしていたのを見てしまった。
自分のアレを擦って、兄貴の名前の呼ぶ遼太郎。
切なげに眉を寄せ、俺よりも細い肩を震わせる姿は劣情を扇ぐ。
俺の姿を捉えた遼太郎の上気した顔は一瞬で真っ青になった。
『死んだ兄貴で抜くなんて、サイテー』
『……っ!』
あの時の遼太郎の傷ついた顔は今でも忘れられない。
『そんなに欲求不満なら相手してやるよ』
『か、海斗……!待って、お願い……、あっ』
母さんは寺に行ってて誰もいない。
昔よく遊んだ兄貴の部屋で、俺は遼太郎を……無理やり犯した。
それ以来、俺が声をかければ、遼太郎は俺の相手をする。
拒むことなく、素直に。
普通嫌がるだろ。だけど、部活終わり、休みの日、呼び出せばあいつは体を開く。
「貴斗……」
情事の時に挟む名前は俺の名前じゃなくて、兄貴の名前。
体は俺のモノになっても、心は離れ離れなのだ。
それが、とても苦しい。
ーーー
夏休みになった。
もう少しで、貴斗の命日だ。
貴斗が最後に読んでいた恋愛小説は変わったお話で、恋をすると魚になる女の人のお話。
ラストシーンは恋した人は妻のいる男性で、叶わぬ恋と知った女性は入水自殺をしたけど……最期までその男性を想ったばっかりに魚として一生海の中で生きることになってしまった。
(馬鹿な人……本当に死にたいんだったら、入水自殺じゃなくて、高いビルから飛び降りとかにしたら良かったのに)
貴斗の読んでいた本って、悲しい恋愛ものばっかり。
(可愛い女の子に好かれたいって言ってたけど、そんな楽しい感じの恋愛小説じゃないし。貴斗はどんな気持ちでこれを読んでたのかな)
ぐるぐる考え事をしていたら、アイスが食べたくなった。
俺は本をカバンに入れて、コンビニでアイスを買いに行くことにした。
アイスバーを買った帰り道、学校の前を通る。
水色のフェンス越しに見えるのはプールだ。
今日は水泳部の練習ないのかな。
やけに静かだ。
なんとなく、本当になんとなく校門を抜けて、プールの近くまでくる。
(不用心だな。鍵かかってないじゃん)
プールに続く扉には鍵がかかっていなかった。
海斗に呼ばれて、よく脱衣室にはいくけど、授業以外でプールに来ることがないから新鮮だ。
サンダルを脱いで、プールサイドに腰掛け、足を浸す。
本当だったら、貴斗と海斗と水泳部に入って、昔みたいに楽しく過ごしていたのに。
「何で死んじゃうんだよ……貴斗」
こんな風に言っても、貴斗は「ごめんね」って笑いながら謝るんだ。
なんであんなに優しい人が死ななきゃいけなかったんだよ。
なんで貴斗なの。
なんで、なんで、なんで。
「貴斗……好きだよ」
真っ青な空と真っ青なプールとの境界線がなくなって、俺は真っ逆さまに落ちた。
服を着たまま水の中に入ると意外と重いんだ。
このまま浮き上がらなくてもいいかもしれない。
俺は魚にならないし、ちゃんと死ねるもん。
……貴斗に会えるかな。
そんなことを考えながら、水面を見ていると、何かが飛び込んでくる音と大量の水泡が目の前を覆う。
何かに抱き寄せられられた。
目の前には、貴斗とは違う鋭い目。
海斗……。
驚いた瞬間、俺の体は水面へ持ち上げられ、体の中に入った水を吐き出した。
「何やってんだよ……!!」
「海斗……何で……」
「自主練しに来たんだ。脱衣室から戻ってきたら、お前がそのままプールに飛び込んだからびっくりして……。お前、まさか死のうとしたんじゃないだろうな」
その指摘に俺は目を反らせる。
海斗は俺の顔を両手でつつみ、自分の方へ向かせた。
「何で、お前は死んだやつのことばかり見るの……?何で、目の前にいる俺のこと、見てくれないんだよ……」
海斗の頬を流れる涙はポタリと水面に落ちる。
「お前まで死んだら、俺、一人ぼっちじゃんか……」
「海斗……海斗、ごめんね……」
俺は海斗の体を抱きしめる。
体は俺よりも大きい。けれど、幼い感じがするのは海斗のこと、小さい頃から知ってるからだ。
「遼太郎……俺、お前のこと、好き。今、振り向いてもらえなくてもいい。兄貴のこと、忘れろとは言わない。俺のことを見てもらえるように頑張るから。お願い、お願いだから、死なないで……」
「海斗……」
「遼太郎が死んじゃうかもって思ったら、心の中に留めておけなくて。返事は今じゃなくても」
いいから、という海斗の言葉を俺は唇を重ねて遮った。
「……すぐには切り替えられないけど、海斗の気持ちに応えられるように努力するよ。だから、もう少し、待ってて」
我ながら、調子のいい返事。
「……うん」
海斗は素直に頷いた。
そうだ。海斗は元々素直な子なんだ。
ーーー
遼太郎がプールに飛び込んだ時、俺の頭の中で誰かが「逃がすな!」と叫んだ。
もう二度と、大切な人を失いたくなかった。
兄貴と比べられるのは嫌だったけど、それでも兄貴のことは尊敬してた。
「海斗は、貴斗のお墓参り、今年は行く?」
「今年は行こうかな。報告したいこともあるし」
帰り道、遼太郎とアイスを食べながら帰った。
貴斗が死んでから、墓参りには行ったことは無かった。
遼太郎は毎年命日には墓参りにいってるけど。
「報告?」
「そう、報告」
遼太郎は何の報告か気づいたらしく、頬が赤くなった。
「そ、そういえば、貴斗が読んでた本を今日読んでたんだけど、悲しい恋物語でね。貴斗が持ってた本って部屋の本棚だけ?」
「多分。リビングにも置いてあったかもしれないけど、何で?」
「貴斗が読んでた恋愛小説、全部報われない恋ばっかりでさ。貴斗が生きてた時、『小説の中に出てくるかわいい女の子に好かれたい』って言ってたから、どんな小説なのかなって思って」
兄貴、遼太郎はとことん鈍いな。
「兄貴がどんな本を読んでたなんか知らないよ。興味無いし」
「そっか……」
兄貴が何で報われない恋の話ばっかり読んでたのかだって?
そんなの、兄貴もお前に報われない恋をしてたからに決まってんじゃん。
【終】
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