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第3話

ずっと闇の社会で生きてきたアルにとって、アランとの生活は驚きの連続だった。 正直Ωとαが一緒に生活するなど続かないと思っていたのだが、全くそんなことはない。むしろ過去に両親と暮らしていた時よりも、アルは今幸せだ。 彼は自分を人として扱う。無理に抱こうとしたりしない。そればかりか、欲情すらする気配がなかった。 ここまで何もされないでいると、今まで自分が幾多ものαを魅了してきたため、驚きすら覚えてくる。 そして何故だかアルには、ここが自分の居場所なのだという気がしてならない。今まで抱えてきた自分の空っぽの部分が、彼といると不思議となくなってしまうからだ。 アランの仕事がないときは、2人で買い物に行ったり、外で食事をしたりした。 彼の仕事は、アルを救ったことからもわかるように医者らしい。研究医、と呼ばれる部類の。 しかし、近くのβの集まる研究所で働いているのが疑問点である。 αである彼がなぜβ用の職場で働くのか。αはαとしているαに与えられた恵まれた環境にいるのが常識なのに。 アランについては謎だらけだ。アランはアルと2人きりの時以外、いつもβに姿を似せている。 茶色いウィッグをかぶり、目にはカラーコンタクト、肌はファンデーションでやや黒目に、そしてその美しい立体感をわざと隠すために顔が平坦に見える化粧を施す。 この世のものとは思えないほどの美貌はそこまでしても隠し切ることはできないが、彼が人間だと信じられる程度の容姿にはしてくれた。 そしてアルもまた、彼に渡されたカラーコンタクトで、彼と2人の時以外は、その2色の瞳を自らの髪と同じ、黒に装っている。 家事は仕事をしていないアルの当番だが、慣れるまではアランが丁寧に教えてくれた。 そしてアランは様々な知識を教えてくれる。 彼は聡明だ。 今まで生きていて必要としたこともなかった、花の名前や文字の読み書きなどをアルにたくさん教えてくれる。その時間もまた、日々の楽しみの1つで。 必要としてこなかった知識でも、学べば世界が変わって見える。 花という言葉しか知らずに外に出るより、咲いている花々を一つ一つ違うものとしてみれば、世界の色は違って見えた。 そんな幸せな生活だが、アルには1つ悩みがあった。 それは、彼からする甘やかな香りである。 今までどんなαにも、半年に一度の発情期以外で引き寄せられたことはなかったのに、彼といるといつも媚薬を飲んだ後のように体が熱くてたまらない。 だから1人で処理することが増えたが、もしヒートが来てしまった時自分はどうなるのだろうと、漠然と不安を抱えている。 周期的にはそろそろだ。 アルのヒートは群を抜いて軽い方で、娼館ではただ抑制剤を処方され、1人で部屋にこもっていた。 客の相手をしなくていいぶんむしろ好きな時間だったかもしれない。 だからこそαに惹かれてやまないという状況に陥るのが怖かった。 そろそろ彼がここに来る。それは離れていても、ある程度の距離まで来るとすぐにわかる。 たとえ買い物ではぐれてしまっても、すぐに見つけることができた。 この自分に熱をもたらす甘い香りのせいで。 「アル、ただいま。」 「おかえりなさい。」 何故だろう。何故こんなにも惹きつけられるのだろう。本当に不思議で、混乱してしまう。 「調子はどう?」 「問題ありません。」 彼が近づくことによる昂りに気付かれないように、アルは彼が帰ってくると一定の距離を保つ。 アランという男は本当に謎だ。罪を犯してまでΩを助け、本来誇るべきαであることを隠そうとする。しかもその行為を全て、自分のエゴだと話す。 もちろんそれを尋ねることはしない。人にはそれぞれの事情がある。それにアルに聞き出す権利もない。 アルだって、復讐に染まりαを殺そうと図ったことなど話していないのだ。 しかし彼のその深い青に宿る孤独には、寄り添いたいと思う。それが今自分の生きている意味であり、果たすべき責任である気がするからだ。 化粧を落とし、ウィッグとコンタクトを取れば、その人と呼ぶには美しすぎる相貌が露わになる。 「いつもありがとう。いただくよ。」 そして彼は食卓につき、アルに感謝を述べてからあるの作った料理を口にした。 その形の良い薄紅の唇に自分の料理した肉の塊が吸い込まれていくのに、向かいに座っているアルは見惚れてしまう。 肉を切り分けるためにナイフを持ち俯くと、糸のように細い金色の前髪が重力に従ってしなやかに落ちていく。 背筋はスッと伸びていて、それ故に長い首が余計に映える。 真っ白な首筋にかかる肩までの髪は、サラサラと音がしそうなほど美しく散り、その間から覗く細いラインは、なんとも色っぽい。 口が開くだけで、少し首を傾げてその口に物を入れるだけで、目が釘付けになってしまう。 仕草の全てが、写真を撮ったら一枚の絵になりそうなほど繊細で美麗で、このような存在がいることさえも完全には信じきれないほどだ。 「今日はどんなふうに過ごしていた?」 不意にアランの食事の手が止まり、俯き加減の前髪越しに、深い青がアルをじっとみた。 仕草だけでこんなに惹きつけられ、ドキドキするのだ。 その眼で見つめられたら危険な気がして、アルは彼と目を合わせないようにそっと目を伏せる。 「いつも通り、家事を。」 ひどくぶっきらぼうに答えてしまうのもいつものことで、アランは全く気にする様子もない。 「そうか。今日は少し面白いものを持ってきた。あとで一緒に見よう。」 よしよしとアランがアルの頭を優しく撫でていく。 …そんな風にしないでほしい、と思った。近づくたびにその甘やかな香りに惹かれてしまうから。 αはα同士結婚して、幸せな未来を築くものだ。わざわざΩが生まれる可能性をともなってまでΩといる者などいない。 そもそも娼館に来た客のように扱われたのなら、こんな気持ちは芽生えなかった。アランのアルに対する扱いは、常に優しく、自分が彼と同じ立場なのではないかと錯覚するほどなのだ。 「…子供じゃないんだから。」 温もりをもらえて嬉しいのにそんな悪態を吐いてしまうのは明らかな子供である。しかも彼が哀しげにするのをわかって尚言ってしまう。 「子供だからこうしてるんじゃない。大切だからだ。」 そうやさしく言われて仕舞えば、もう何も言い返せず、 アルは彼の香りとその温もりに身を任せ、身体の中心に集まる熱に、ただ耐えるしかないのだった。

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