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第5話
疲れ果ててベッドに横たわるアルの黒髪を、アランは優しく手で梳いていった。
…誰かを助けたかった、と彼に言ったのは事実だ。でも、それには少しだけ、不足があった。
正確には、Ωの誰かを、助けたかった。理由は自分が出来なかったことを償うための、ただの自己満足。
彼を助けたことに後悔はない。
彼の表情は読みにくいが、ふとした瞬間幼い笑みを浮かべることがある。
自分の助けたΩが生き、そして幸せそうに生活を送っていることは、何よりの喜びだ。
ただ、1つを除いては。
運命の番、というものがある。これは、遺伝子的に互いのフェロモンに強烈に引き合うΩとαの関係のことをいう。
普通に生活をしていて、会う確率はとてつもなく低い。αはα、ΩはΩの中で育つのが主で、さらにこの世界に1人いるかいないかの存在なのだ。
目の前の彼、アルは自分のそれだ。
一般には出会えたことを喜ぶべきであろうが、アランにはそれが出来ない理由がある。
床に転がった錠剤を見る。アルがヒートになって自分にすがってきたとき、反射的に多量に含んだものだ。
これは、α用の抑制剤。副作用として飲めば精子に悪影響をきたすことから、一般に用いる人はごくわずか。
自分はそれを、アルと接するとき常に少量含んでいた。彼が運命の番だとわかっていたのと、もともと精子のない自分に悪影響を与えることはまずないからだ。
αでありながら子種を持たない、そんな欠陥品の自分と運命の番だなんて、アルはなんて悲しい運命を背負ったのだろう。
だから、アランは自分をなんとか律し、彼と交わることをしなかった。
彼が共に暮らすことを受け入れてくれた時から、彼の纏う香など関係なく、どうしようもなく彼のことが好きだと思った。
アルは自分のエゴで助けられ、そのエゴを受け入れてそばにいてくれる。
そんな優しさも、さりげなく自分の中の寂しさを見抜いてその理由を探そうとしてくれている姿も、そこはかとなく愛おしい。
気だって、驚くほど合う。自分が興味本位で教えたことを、アルは真剣に聞いてくれるのだ。
普段無愛想な彼があの美しい2色の目をキラキラと輝いているのを見ると、自分にまで幸せが伝染する。
こんなにも愛おしく、運命で繋がれてさえいるのに、自分では彼を幸せにできないことが、悔しくて仕方がない。
つうっとほおを生温かい液体が伝い、何かと思ったら涙だった。拭った際に時計の日付が見え、その数字が自分には印象深くて。
そういえばもう、この世界で自分が死んだことになってから1年も経ったのか、と、目を瞑り過去のことを思い返す。
この世界には、男、女のそれぞれにα、β、Ωという第2性がある。そしてその性が社会的地位を左右することは、暗黙の了解だ。
社会を統制し、成功を約束されたα。主にαの下につき、普通の生活が保障されたβ。
そしてΩについて。
Ωはヒートという発情期を持ち、その厄介な体質から劣等種とされ差別の対象だ。
ただし男性、女性ともに妊娠可能なΩの人口は少なくない。だからΩの人口を減らすべく、国はある残酷な制度を定めた。
医療によるΩの延命、救命を禁じる、と。
はじめこそ反対運動が起こったものの、今ではそれも当たり前のように受け入れられ、Ωに対し医療を施すこと自体が今では罪になりつつある。
医療に関して、国には4つの大規模研究施設がある。そのうち3つは主にαが、1つはβが職員のほとんどを占める。
ごく稀に天才的な頭脳を持ったβが発展的な研究のためにα用の施設に行き、成果を上げてβの施設にその知識を持ち帰ることがある。
もう誰も、そのことに疑問を唱えない。αはもちろん、β、Ωでさえも。空気のように当たり前の、この世界に存在するルールなのだ。
アランは目の前の知り合いの遺体を確認しながら、その制度に疑問を抱いていた。
「…心音、呼吸停止。合わせて対光反射の消失、瞳孔の散大を確認。
21時30分。
ご臨終です」
言い終わった後のアランの気持ちを言葉で言い表すなら、空虚の二文字だった。
泣いたって彼が生き返るわけじゃない。自分が彼に何もしてやれなかった事実も変わらない。
ただ、現実があるだけだ。
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