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第6話
提供された、αの中でもエリートの精子と卵子を人工授精させできた卵は、研究施設の中、代理母の胎内で育ち、生を受けた。
それもただのエリートというわけではなく、その2人の遺伝子の組み合わせは、計算上ではさらなる天才を生み出すと予想されている。
さらにその卵にさらに、成長後歴史的権威である研究者の脳に近づく様、遺伝子操作が施された。
その中の1人が、アラン・クロフォードである。
金色の美しい髪と深い青を宿した瞳。
聡明で美しい相貌の彼は、施された最新の教育をすぐに理解し、17の頃にはすでに自らの研究室を持つほどまでに成長した。
彼は同様に生を受けた他のαよりも遥かに速く研究の成果を上げ、また医師としての腕も相当なものである。
αであるのに傲らず誰にでも優しい彼は、施設の中で最もと言って良いほど好かれた。
しかし、彼はその異常なまでの発達の代償に、ある犠牲を払っている。それは、彼が自分を計測対象とした際に偶然気づいたことであり、アラン以外の人間は誰も知らない。
アランには生殖能力がない。
発情しないだとか、性的に不能であるわけではない。ただ、実験に使おうとした性的快楽を伴って自分が出した液体の中に、精子が含まれていなかった。
調べてみたところ、精巣で精子を作る機能自体がなぜか失われているらしかった。
自分に子孫を残す力がないと知った時、α、β、Ωなどの性別以前に、自分は人間として欠陥品だと感じた。
機能を持たないのにもかかわらずそれ相応に性的興奮を覚えることが、忌々しくてたまらない。
もともと第2性に偏見がない分、むしろ研究室の部下であり友人の、ノエルが自分より輝いて思える。
彼はβだが、研究熱心で才能もあり、その遺伝子を後世に残すこともできるから、自分よりずっと価値があるのではないか。
そんなことを頭の片隅に考えていた時期、アランは彼に出会ったのだ。
ガタガタと大きなノックの音がして、研究室内はざわついている。
「今日、荷物の運搬とかあったっけ?」
「…いや、なかったはず… 」
ノエルにそう問われ考えるが、特に大きな機械を注文した覚えもなく、来客の予定も思い当たらない。
「アランさん開けてきてよ 」
「…一応モニターを確認してからな…。」
苦笑しながらモニターを覗くと、アランは見慣れぬ光景に首を傾げた。
「…掃除用具?」
掃除用具を持ったアランと同じ歳くらいの男性が1人、モニターをウズウズとした様子で覗き込んでいる。
ややかわいらしい寄りの、至って平凡な顔立ちの男だ。
片手にはモップとコードレス掃除機、もう片手にはモップ用のバケツと雑巾、はたきなどを持っており、ともかく両手がいっぱいで、どうやってノックをしたのかと疑問に思うほどだ。
「え、清掃員の人は俺らがいない時にくるんじゃなかった?アランさん。」
「そうだと思うが… でもまあ、ここ最近俺が泊りがけだったから確かに… 」
アランはそう言って研究室の周りを見渡した。
研究に使う机の上は綺麗にしてある。空気清浄機も入っている。ごみも外に捨てるように指示しているが、何が問題かといえば、床である。
「そうだね…。」
ノエルの反応に続き、室内のメンバー全員がうんうんと頷く。
「各自、一旦休憩。
お待たせして申し訳ない。清掃お願いします。」
モニターを確認してからも色々やり取りをしたから、ノックをしてから5分以上も待たせてしまったと、侘びを述べながらアランはドアを開く。ちなみにアラン以外のメンバーは机の上に資料を置き、そのまま外へ出て行った。
アランの言葉を聞いた清掃員は目をこれでもかというほど丸くして驚いた。しばらくの沈黙の後、作り笑いを浮かべた彼がゆっくりと口を開く。
「…Ωの僕を待たせたくらいで、謝ることなんてないですよ?
あ、入りますね。」
彼の話に違和感を覚えた。
Ωの僕を待たせたくらいで…と彼は言ったが、時間と第2性は関係ない。5分は誰にでも同様の時間なのだ。それに違う価値を与えることなどあり得ない。
しかしそういえばアランは研究室で生まれ育ち、ほとんど外に出たことがない。故に第2性による差別などは知識として以外は知らず、記憶に残る限りΩと話したのは初めてだ。
Ωとはこうも腰を低くして生きなければならないのかと、疑問に思う。目の前の彼はどう見ても自分と同じ種族なのに。
彼は機器に注意しつつも手際よく清掃を終え、床は先ほどとは見違えるほどに綺麗になった。
「ありがとう。綺麗になった。
…どうした?」
いきなり立ち止まった彼の目は、アランの机の上に釘付けになっていた。
トントンと肩を叩くと、彼は右上を向いて何か考えるように空をあおいでから、アランに向かって微笑みかけた。
先ほどの無理したように笑った笑みより、ずっと自然な笑みで。
「…臨床実験、いい結果ですね。おめでとうございます。」
耳を疑った。この薬はかなり最新のもので、今やっと臨床段階だ。この病について相当調べているか、その道の権威でない限り辿り着くことはないだろう。
「あの… 」
戸惑いを隠せず、なんと返していいかわからない。アランの様子を見て彼はすみません、と意味のわからない謝罪を告げた。
「僕の家系は、この遺伝病があるんです。2年前、突然の心臓発作で姉を亡くしました。父もそのずっと前に…。
姉はβだったから、いろいろ調べて、この薬がもう少し早く試すことができたらと思っていたんですよ。それだけです。」
「では、君も…?」
ある日いきなり正体不明の心臓発作を起こす病。遺伝子にある配列が含まれていることが原因だと、アランが突き止めたものだ。
遺伝病だとしたら、彼もその病を持っている可能性が高い。
「ええ。でも僕はΩなので。
失礼しました。」
それからしばらく、アランの頭の中には切なく笑って出ていった彼の表情が、まとわりついて離れなかった。そんなことがあったのが一年前。
今、彼の遺体を前に再び考える。
子孫を残せない分、アランは人の命を救うことに何よりも生きがいを感じてきた。でも今自分が行なっているそれは、自分にしかできないことなのかとふと思う。
薬の開発も、手術に使う医療機器の開発や手術の手法の研究も、たくさん携わってきた。しかし、それはいつか自分でない人が成し遂げる成果かもしれない。
もしも、罪に手を染めたとしても、彼のような人を救えるなら、それは、今自分にしかできないことに近い気がする。
ならば、その道を歩みたい。
現在の問題は、Ωが劣等種として扱われている、と言うことだ。そしてそれはヒートのせいであると断言してもいいだろう。
現在の抑制剤では、残念ながらほとんど発情自体を抑えることはできない。
と言うのも現在の抑制剤の働きは放出されるフェロモンを抑えることがメインで、ヒートによる発情を抑えることに重きが置かれていないからだ。
そして、アランは薄々気づいていた。現在行われている先端の研究を用いれば、十分発情自体を抑えることも可能なのだ。
おそらく抑制剤の研究をβの研究施設に任せ、フェロモンの放出を抑えることのみに焦点を置かせているのは、意図的に行われていることだ。
劣等種と言う存在を作ることで社会の均衡が保たれる、という上層部の考えだろう。この国はその社会構造に慣れすぎた。
ここから脱け出そう、と強く思う。
今の理不尽な考え方を、少しでも壊せるように。
首都アトライアの中央、国の大脳とも呼ぶべき、選りすぐりの研究者が集い最先端の研究が行われている大規模研究施設がある。
国内で最も大きく、そして研究者なら誰でも憧れる、知能の宝庫シリウス。その内部は今、大騒動だった。
遺伝子治療の権威、アラン・クロフォードが、昨晩謎の死を遂げ、数時間後に彼の遺体が消失した。もちろん検死は済んでいるため生き返ったことなど常識では考えられない。
彼の死だけでも大事件であり、そのうえ遺体がなんらかの形で消えたとなっては、国の上層部に隠蔽する他ないほどの出来事である。
彼の葬儀は大々的に、罪人として処刑された身寄りのないΩの遺体を代替として行われた。
どこの誰とも知らぬ彼は、全く別の人の功績により多くの人に感謝を述べられながら送られ、何を思うのだろう。
誰にも知る由はない。
完全に施設内の外には出ないよう隠蔽された事件。警察に届けることもできない。
施設の上層部がある裏組織に事件の捜査を依頼したらしいと、施設内にはそんな噂が流れているが、それが本当かどうかも、誰もわかっていなかった。
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