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第15話
車窓越しに覗く雲ひとつない秋空が、アルの目にはどうしようもなく寂しげに映った。
「エレンさんはよかったんですか?」
無言で運転するヨルに、アルは助手席から話しかける。
今回の案件は、期間が長いと同時に危険に晒される可能性が高いから、もしもに備えて俺を連れて行けと最後までエレンは言っていた。
それを無視して置いてきたのはどうしてだろうか、不思議で。ヨルだって1週間も番に会えないのは辛いことだろうに。
「あいつを危険な目に遭わせたくないからな。
それに、あいつがいたら、クライアントより優先しちまう。」
「運命の番だから?」
言ってから、言わなければよかったと後悔した。こんな仕事に関係ない話、するものではない。
やめておけばいいものを、昨日からアランのことを考えていたせいか、そのことを考えずにはいられないのだった。
「まあ、それもあるんだろうな。
普段喧嘩ばっかりしてても、俺はあいつのことを絶対危険に晒したくないし、あいつも俺のことを誰よりも考えてる。」
誰よりも、互いのことを。
そんな言葉が心に刺さってちくりと痛む。
車内は再び沈黙に包まれ、不意にヨルが車の窓を開けた。
仄かに金木犀の香の混じった乾いた風が、アルのほおを吹き付ける。冷たい。
今度は車が加速されると、さらに風が入り込んで、その冷たさと砂埃に思わず目を瞑る。
「ヨル、スピード上げすぎ。もうちょっと手加減して。」
トランシーバーがいきなり音を立てた。後ろから別の車でついてきているヴィクターからの苦情だ。
「アル、それじゃあ間に合わないだろって伝えとけ。」
「えっ… 」
車のスピードは下がるどころか余計に上がっていく。アルはやれやれと言われた通りに行動した。
「お前とエレンが喧嘩してたからだろう!!!」
…もっともなご意見である。あの痴話喧嘩(失礼)がなければあと30分は早く出られた。
「ちょっと聞こえてんのか?てかなんで加速してんだっ!?アル!?」
なんで加速してるんだ、はアルのセリフだ。行く前にはエレンとヨルの間で板挟みになり、今度はヨルとヴィクターの間で板挟み。
とんだ厄日である。
しばらく返答に困っていると、諦めたのか無線からの音は止んだ。
やがて車はアトライアとシャウラの間にある確認ゲートに到達する。
「目的と身分証を。」
3人はそれぞれの身分証を取り出し、ヨルは嘘の目的を伝えた。
多くの場合◯◯に警護を依頼されて…などと本来の目的のあらましを伝えるのだが、今回はそれさえもまずいようで。
ゲートをくぐる際、アルはこれまで以上に心臓がうるさくて苦しかった。
自分はとんでもない危険に足を踏み入れてしまったのかもしれない。そんな恐怖と、
彼に会えるかもしれない、というわずかな期待のせいである。
アトライアの道は、シャウラとは違い綺麗に舗装されていて走りやすい。車は指定の速度を守ってまっすぐに進んでいく。
「アル。」
低く、しっかりとした、どこか威圧感のある声に呼ばれ、アルは変にかしこまった。
「はい。」
「お前は若手の中で飛び抜けて優秀だ。これを知って怯えるよりは、しっかり備えられるやつだと思うから、やっぱりお前には伝えるよ。
今回の件は、国が敵に回っている。つまり、アルクトゥールス と敵対することになる。
一時も気をぬくな。周囲に気を配れ。どんな手を使ってくるかわからない。」
激しい動悸が身体を襲った。今回の依頼に感じていた恐怖が確かなものになった瞬間である。
アルクトゥールス。治安維持のための特権を与えられた、国の組織だ。
デネボラ は民間組織にしてはかなり国から優遇されているが、国が直接所持する組織と対立するには分が悪い。
「…心して、かかります。」
そう声を絞り出すのが精一杯だった。今回の学会が行われる施設はもう間近だ。
クライアントの発表自体は最終日に行われる。
それまでは近く(と言っても車で10分ほどの距離)のホテルで準備を行ったり、他の発表を聞いたりするそうだ。もちろんその間も警護が必要となる。
クライアントが泊まるホテルの駐車場で車は停まった。
「アルは505、ヴィクターは403に向かってくれ。それぞれつくことになるクライアントはもう中にいる。
ノックする際は、2回連続のノックを3回。何かあったらすぐに報告すること。」
「「了解」です」
エントランスでヴィクターとアルは指示を受け、お互い違う部屋へと向かっていった。
俺は1つやることがあるからと、ヨルはホテルから出て、ちがう建物へと向かっていく。
エレベーターが一階、二階、と階を重ねるごとに、アルは自分の身体の変化を感じていた。
理由は、もうわかっている。
この建物の中のある一点から放たれる、そこはかとなく甘い香りのせいだ。
その香はアルが足を止めた先、505号室の前で1番強くなった。
3年前、アルが離れることを決意した理由、彼の表情に差すあの翳りを思い出す。
やっぱり無理を言ってでも断ればよかったかもしれない、とアルはノックをためらった。
自分が一緒にいることはきっと彼を困らせてしまう。
しかしここまで来たらもうアルがやるしかない。
それに、今回は助けられてただ養われるような関係ではない。
アルが、彼を守るために、派遣されてきたのだ。
彼は色々な意味でアルの大切な人。
彼を守ることができるなら、命に代えたっていい。どうせ彼がいなければ無くなっていた命だ。
そんな強い意志で警護に当たることができるのだから、むしろ心強いかもしれない。
色々な感情が一気に押し寄せて、アルの胸をざわつかせた。
ごくりと息を飲み込んだアルは、震える手で指示通りにノックする。
ガチャリ。
勢いよくドアが開かれた。
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