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 それから数週間後。  出張先から帰った俺が会社に電話で報告を済ませ、そのまま直帰していいという言葉をもらいしばらく帰っていなかった我が家へ向かっていた時だった。 「あ」  わいわいと騒ぎながら歩いていた制服の集団とすれ違ったタイミングでこちらに向けられた声が聞こえ、思わず足を止める。  明らかに今、俺に向かって言った言葉だよな。顔になにかついていたか、ひどい寝ぐせでもついていたか。  顔を触りながらその声を上げた学生を見たらあからさまに視線を逸らされ、なんだよと気分を害したのはほんの一瞬。その横顔を見て、一気に溢れてきた記憶に心底ぎょっとした。 「おまっ……え、せ、制服!?」  環、だ。  色んな意味で忘れようのない顔。今、思わずといった感じに声を上げて俺の足を止めてしまったことを後悔して隠れようとしているのは、間違いなくその顔だった。  あの特殊なバーで会って、流れでホテルに行くことになって、やっぱり流れでちょっとばかしいけない遊びをしてしまったけれど、結局連絡先もなにも聞かずに別れた相手。  あの時はしていなかった黒縁のメガネ程度じゃまだ驚かなかったけど、さすがにブレザー姿は予想外だった。  コスプレでもなんでもない、マジもんの高校生の制服。周りにいる友達らしき男の子たちは、足を止めた俺とあからさまに様子がおかしい環を不思議そうに見比べている。 「深海(ふかみ)? どした? 知り合い?」 「ごめん、俺ここで抜ける」  心配そうに声をかける友達に断って輪から抜けた環は、俺の肘を掴み足早にその場を離れる。隣に並べば環の方が幾分背が高く、なによりも足の長さが違うから引きずられるようにして後に続いた。 「おい、おい。もう友達見えないぞ」  さすがに引きずられたまま歩くのは恥ずかしいから、だいぶ離れたところで声をかけて足を止めさせる。すると環は少し気まずげに俺を見つめた。  大学生くらいかと思ってた。でも、この制服姿は明らかにそれよりもっと若い。 「お前、高校生……なのか?」 「俺はハタチです。じゃないと優吾が困るよ」  俺より若いだろうとは思っていたけれど、まさか思いっきり未成年だったとは。  当然驚きに声を上擦らせる俺に、環はそっぽを向いて無茶を言う。  それならなにか、その制服はコスプレかなにかなのか。それとも留年を繰り返したのか、なんてつっこみはするだけ野暮だ。  いや、まあ、うん。酒を勧めたわけでもないし、俺が飲ませたわけでもなく、その場に居合わせただけだけど、知らなかったとはいえ高校生とバーにいたのはまずいのかもしれない。  というか実際最後の一線は超えていないけれど、一緒にホテルに行っただけでもだいぶやばい。男同士ってのとは別の問題でやばい。  いやまて落ち着け。とりあえず立ち話するような内容じゃないだろうと近くの喫茶店に場所を移し、改めて向き合うことにした。  背が高いしスタイルがいいから大人っぽく見えるけど、確かにこう見ると高校生だ。特に今、ふてくされた顔で外を見ている顔はとてもガキっぽい。  ……危うく援助交際みたいなことになるところだった。いや、援助はしてないけども。 「高校生がバーなんかに入り浸ってんなよ」 「酒は飲んでないよ」 「そういうことじゃなくて」  名前を呼ばれていたし、慣れた感じからしてだいぶ常連風だった。周りは知らないのか、それともわかっていて迎え入れているのか。どちらにせよ、あそこの環は「ハタチ設定」なんだろう。そりゃそう言われれば確かにあの場ではそう見えたけど、それにしたって、決して高校生が入り浸っていい所じゃない。この際酒を飲んでるかよりも、あそこで出会った男たちとこいつが寝ているということが問題だ。  あの時だってマッチングしたのが俺じゃなかったら、ホテルに移った後にすることしてたんだろうし。 「なんで? じゃあどこで相手探したらいいの?」 「いやだって、危ないだろ。悪い大人だっているんだから。悪い奴に当たって、ひどい目に遭わされたらどうするんだ」 「そんなとこで大人ぶられても」  俺の真っ当な注意を鼻で笑う環は、運ばれてきたアイスコーヒーを受け取ると、長い脚をこれ見よがしに組み、片肘をついて俺を眇め見た。その表情が、妙に大人びて見える。 「じゃあ真っ当な大人の優吾は相手してくれんの? 健全な性欲処理のために安全なセックスしてくれる?」 「こ、こらっ」  特に声を潜めることもなく俺を試すように言うもんだから、慌てて周りを窺う。微妙な時間だからか周りに人はいないけれど、聞かれたい話でもないし、むしろ聞かれたら言い訳できない。 「多少危険な橋渡ってでも、相手見つけなきゃ気持ち良くなれないんだから仕方ないじゃん」 「いや、ほら、ちゃんとした恋人見つける、とか」  まったく声を潜めない環の代わりに俺が小声になっても仕方ないんだけど。それでもなんとか道を外れないように大人らしく提案をしてみたんだけど、環の心には響かなかったようだ。 「いって! なんだよ!」  というか、テーブルの下で思いっきり足を蹴られた。だけど蹴られた俺がきつい睨みを受けて。 「ああいう場所以外で、男が好きな奴と、どーやって知り合うんだよ」 「え、あ、それは……」 「好きになった相手が、男相手にイケる確率なんてどれだけ少ないと思ってんの? ほぼゼロだよゼロ。それでも当たって砕けろっつーの?」  例えばごく普通の恋愛のように、学校やらバイト先なんかの身近にいる相手から恋人を探すことは……できないんだろう。いや、好きになったところで結ばれる確率が低いのは確かだ。 「砕けた後は? 誰かフォローしてくれる? 性欲も散る? それとも男を好きになったらいつか報われる時まで禁欲してろっての? 冗談じゃない」 「いや、そこまでは」 「俺だってできるなら気持ち込みでセックスしたいけど、無理なんだからせめて体だけって思ってなにが悪いんだよ。こっちはヤりたい盛りなの」  俺はあまりそうではなかったけれど、まあ高校生の男なんてそれしか考えてなかったのは周りを見りゃわかったし、そうじゃなくても恋人が無性に欲しくなる年代だ。  それはわかる。だからなんとかして相手を探そうとしてるのもわかる。 「でも、やっぱ感心しねぇなぁ」 「うるっさい。好き勝手言ってろよ」  どんな事情があろうとも、やっぱり未成年がああいうバーに入り浸るのはよろしくないと思うんだ。  ぶっちゃけ世の中いい人間だけではないし、ああいう場所には必ず悪い輩が溜まるわけで。特に環がこの態度だから、どんな奴らに連れて行かれてなにされるかわかったもんじゃない。ひどい目に遭わされる可能性の方が高いって状態の高校生を放っておくのは、人としてどうしてもできない。  だからと言って、恋人を見つけてやるってのは無理な話だし、それなら俺にできることは……。

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