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「……その、手でするだけじゃ、ダメなのか?」
「は?」
「いや、その、どうしても我慢できなくなったら、俺がやってやるから家来いよ。見たいDVDとかあるなら持ってこりゃいいし、動画とかも家で見ればいいし。家族のいる家じゃ、そういうの気遣うだろ?」
さすがにそれ以上は無理だけど、ちょっとくらい協力してやることならできる。そりゃあまあ誰かを連れ込まれるのは困るけど、場所を貸すくらいならいいし。環の家がどんな家庭環境か知らないけど、さすがに家族にオープンってことはないだろうし、夜に出歩いていることを思えばあまりいい環境であるとも思えない。
その点一人暮らしの俺ん家なら、ある程度の自由は利くわけで。
なにより俺も一回アレな夜を超えてしまったから、多少のことには抵抗がなくなってしまったのが大きい。
「……なにそれ」
だけどそんな提案をした俺を、環は露骨に不愉快そうに睨んだ。
「なにそのいいお兄さんっぷり。俺、そこまで憐れまれるほど可哀想に見える?」
「いや、別に憐れんでるわけじゃ……」
「いいよ、変な気遣わなくて」
ひらひらと手を振って、環が鬱陶しそうにそっぽを向く。
「そりゃノーマルな人から見たら可哀想なんだろーよ。だったら関わんなきゃいいのに。どうせあんただって気持ち悪いとか思ってんでしょ?」
「バカ野郎! 放っておけないからここまで言ってんだろ!」
その言い様に本気でむかついて、思いきり怒鳴ってしまったら思った以上に声が響いて慌てた。驚きに目を丸めている環を前にすぐさま身を縮こまらせたけれど、発言は撤回しない。
「気持ち悪いとか思ってんなら、こんな提案してねぇよ。そんな風に思う相手を家に招く奴がどこにいる」
人が色々考えて言った言葉を勝手にネガティブに受け取りやがって。気持ち悪いとか可哀想とか思ってるんだったら、それこそこんな提案していないし、そこそこで切り上げてさっさと帰ってる。
そんな風に怒る俺の言葉を聞いても、環はまだ信じずに胡散臭げな視線を送ってくる。
「じゃあ下心でもあんの? それとも下世話な興味? 俺とヤりたくなった?」
「なんでお前は人の親切をそこまで曲解して受け取ろうとするんだ」
それともなんだ。俺がそんな怪しい男に見えるってのか。自慢じゃないけど『人畜無害』って言葉は俺のためにあるようなものだぞ。
『いい人』で終わるタイプの典型みたいな俺を前にして、よくもまあそう邪推出来るもんだ。
「ただの親切ほど薄気味悪いもんないでしょ。だったらまだ裏があった方が納得できる」
「ほんっと屈折した奴だな……」
頬杖をついたまま世を斜めに見ている環にため息が洩れる。
どんな生き方をしていれば、人の親切を気味悪いと思うようになってしまうんだ。
そりゃあ確かに俺たちの出会い方が普通ではなかったし、流されてそれなりのことはしてしまったし、だけどそれで終わっていた間柄だけど。
偶然でもここでもう一度会って、事情を知って、それで放っておけるほど俺の心は死んでいない。
「じゃあもうそれでいいよ。俺はお前に興味がある。だから困ったら家に来い。これでいいか?」
なんにせよ、こんな危なっかしい奴を変にうろつかせることは出来ない。
高校生だぞ? しかも綺麗な顔しててスタイルが良くて、とにかく見栄えがいいのに満たされない思いと体を抱えていて、あんなイベントのあるバーに行くような奴なんだ。その事情を、俺は知ってしまった。
だから理由はなんでもいいからこれで納得しろと半ば投げやりに提案すれば、環は本当に驚いたようにぱちくりまばたきをして俺を見つめた。真意を図ってるみたいだ。
「……別にそこまで疑うなら俺は別に」
「じゃあ今から行こ。もう帰るんでしょ?」
「へ?」
どうしても疑うのなら話を終わりだと切り出そうとした矢先、環はにっこり笑ってそう言った。
「我慢できなくなったらしてくれるんでしょ? じゃあ今してよ。じゃないと今から誰か適当な相手探しに行っちゃうよ?」
「……お前、結構あくどいな」
嫌がってるのかと思いきや、今すぐだと? さっさとアイスコーヒーを飲み干して立ち上がる環は、もうすっかり機嫌を直していて、むしろやけに楽しそうだ。
この顔は見たことがある。あの夜、ベッドで迫ってきた時にしていた顔だ。そして俺が断り切れなかった顔。
「小悪魔って言ってよ。俺、この性格で結構モテるんだよ?」
わざとらしいウィンクなんかしやがって、それがまた顔がいいだけにやけに決まっているからタチが悪い。そしてそんなものを人に見られたらひどい勘違いをされるに違いないから、俺も慌てて立ち上がって会計を済ませて店を出る。
さっきまで、家に帰ったら洗濯をしようか飯を食おうか、それともとりあえず寝てしまおうかなんて日常的なことで悩んでいたのに、とんでもないことになった。
「この前の優吾の手、すっごい気持ち良かったんだよね」
「……呼び捨てにすんなよ高校生」
褒めてるつもりなのかからかっているのか、気持ち早足で歩く俺の隣に悠々と並んだ環が体をくっつけながら囁いてくる。喜べる感想じゃないぞ、それは。
というか、こんなところでそんな話をするんじゃない、と真っ当に指摘したところでこいつのことだから聞かないだろうし、とりあえずさっきから気になっていたことに触れた。
てっきり大学生くらいだと思っていたし、その時だけの付き合いだと思っていたから言わなかったけれど、高校生に呼び捨てにされるのは引っかかる。しかも若干上から目線じゃないか。
心が狭いと言われようと気になるもんは気になるんだし、なにより話の方向性が気まずいから別方面へ変えたかったんだけど。
「じゃあ優吾『さん』はどう? 俺がしたの、気持ち良かった? またやってあげよっか。部屋代にさ」
「いらねーよ、そんなもん」
あっさりとさん付け、だけど敬意はまったく払わない言い方をしてきた環は、より嫌な方向へと話を進めやがった。
その件は本当にまずいことだから冗談で言ってほしくない。……いや、冗談じゃないのもまずいけど、とにかくそういう扱いは本当に困るんだ。そんな考えを持って家に来るんだったら、それこそ俺がそういう関係を強要してるみたいじゃないか。
あれは環が言うから仕方なくさせただけなのに。
「俺は別にそういうのを求めてお前を呼ぶんじゃないんだからな。それはきっちり覚えとけ」
「……俺のこと心配してくれてるんでしょ?」
「そうだよ。お前はなんか危なっかしいからな。だから、あくまで俺は親切心で言ったのであって、お前になんかしたいとかそういう考えは……」
「決めた。俺、優吾のこと落とそう」
とにかく誤解するなよと念を押す俺の言葉を聞いているのかいないのか、環はマイペースによくわからない決意を口にした。
「……は?」
「気にしないで。俺の目標だから」
さらりとものすごい宣言をしておいて気にするなとはまた無茶なことを言う。
でもそれきり環はなにを言っても笑ってはぐらかすばかりでまともに取り合わず、ひたすら上機嫌に足を進めるもんだから、俺は家主のくせして急いで後を追うばかりで。
とんでもなく厄介な奴に捕まってしまったと嘆かなくもないけれど、自分で招いた自覚もあるから、そこのところは深くつっこめず。
ともかくこいつに会ったことで、まったくもって普通だった俺の道が思いもよらぬ方へ反れたのは、残念ながら間違いないようだ。
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