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第7話

多分きっと、正弘さんが初恋だ。 幼稚園の先生だとか小学校の時クラスで一番可愛かった子だとか、それこそごっこ遊びみたいな恋人同士だった女の子を除いて、本当に恋をしたのはきっと正弘さんが初めてだ。 正弘さんが浴びているシャワーの音が止まって、風呂場のドアが開く音に俺はゆらゆらと遠くを彷徨っていた意識をハッと取り戻した。 あたりは静寂に包まれて、開け放たれた窓から差し込む月明かりと穏やかな風がレースカーテンを揺らしている。そのカーテンが窓の外を露わにした瞬間、俺は目を見開いた。 眼前に広がる黄色の花々。 それは見慣れたものでありながら、こんな間近で見ることもなかなかない菜の花だった。マンションの一室に面した庭だから大した広さはないはずなのに、その時の俺には地平線の彼方まで広がる菜の花畑に見えた。 「…すげ…」 脳裏によぎるのは、当然菜の花畑で幸せそうに笑う俺と母の写真だった。青空の下の菜の花とは違い、夜空の下の菜の花は静かに光を帯びた神秘的な光景だった。 そういえば、この庭に何が植えられているのか知らなかった。高層マンションなのにわざわざ庭付きの一階を選ぶなんて変わった人だなくらいにしか。 いつのまに咲いたんだろう。最近、そう、写真集の撮影が始まってからは周りに目を向けることがなかったように思う。 俺はシャツを引っ掛けて窓枠に手をかけた。こんな都会で星はなかなか見られないが、月の光を浴びた花が星よりも輝いていた。 そっと菜の花に手を伸ばす。 と、その瞬間カシャっとシャッター音が響いた。 「良い表情(かお)だ。綺麗だよ。」 肩にタオルをかけ、構えたカメラを少し下ろした正弘さんはニッと不敵に微笑んだ。 こんな、衣装もメイクもヘアセットもしていない生身の俺が、綺麗?スタイリストさんが懸命に作り上げたモデルの俺よりも? 俺はちょっと腑に落ちなくて、正弘さんから視線を外して菜の花に触れた。 「いつから咲いてたの?」 「昨日かな。小さい庭だけど綺麗だろ?」 「うん。…全然気付かなかった。」 「お前撮影に夢中だったもんなぁ。」 他愛のない話をしながら、正弘さんは時折シャッターを切っている。どんなに撮ったところでそれこそこんな生身の俺の写真なんて写真集には載せられないだろう。それでも正弘さんは撮るのをやめなかったし、俺も止めることはしなかった。 「…正弘さん、好き。」 一世一代の告白とはとても言えない、シャッター音にも紛れてしまいそうなささやかな声だった。それでも正弘さんには届いていたようで、正弘さんは再びカメラを下ろした。 「バーカ、大事な姉貴の大事な一人息子と一線超えた俺の覚悟と愛の深さを察しろ。」

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