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第4話

「どうかしましたか?」  訝しんだ声で、祐太が問いかけてくる。睦月は咄嗟にうつむいて、首をふるふると横に振った。 「なんでもない。打ち合わせ、長引いちゃって……」  喉の奥に、何かが詰まったみたいに苦しい。  今すぐ、ここから逃げ出してしまいたい。  だけど、足がすくんで動けない。 「むつ──」 「あーっ! この人がむつきさん?」  祐太の声を遮って、華やいだ声が届いた。睦月が顔を上げると、祐太の脇からひょいとさっきの女性が顔を出す。  そばで見ると、瞳が猫のように好奇心に満ちた光で、キラキラしていた。だが、少しも嫌な印象として映らない。純粋に可愛らしいと睦月は思った。  だから、余計に胸が苦しくなる。 「何やってんすか?! アヤカさん」  祐太が、アヤカと呼んだ女性をあきれたように見下ろす。だが、けっして心から嫌がっているようには見えなかった。 「えー? だって、祐太のバカみたいにでかい身体のせいで、噂の『むつきさん』が見えなかったんだもん」  アヤカはムッとして、祐太を睨んだ。そういった表情は、どこか艶のようなものを感じる。 「バカだけ、余計っす」 「ばーか、ばーか、馬鹿」  まるでじゃれ合いのようなやり取りに、睦月の嫉妬心は激しく煽られていく。  胸の奥で嵐が吹き荒れるようだ。  もう、こんな気持ちは二度と味わいたくなかったのに。  アヤカは、しばらく祐太と揶揄のセリフを言い合っていたが、睦月と視線が合うと、身体を向き合わせてにっこりと笑った。それにつられるように睦月も笑顔を作ったが、頬がひきつれてしまう。  こうして向けられる笑顔も、本当に可愛らしくて魅力的だ。  かなわない。  どうしたって、かなわない。 「こんにちは。むつき……さん?」  小首を傾げて、笑顔のままで彼女から話しかけられた。睦月は無言でうなずく。 「はじめまして。彩華っていいます。彩るに、中華の華で彩華。よろしく」  彩華はそう言って、睦月の手を取って半ば無理やりに握手した。睦月はぼう然として、それを受け入れるだけしかできなかった。 「はじめまして、薗部です。睦月は、1月の……暦の睦月です」  何も言わないのはあまりにも失礼なので、睦月はとりあえず自己紹介した。そんな自分がどこか滑稽に思えて、苦い笑みが睦月の顔に浮かび上がる。 「きゃーっ! ホンモノなんだぁ!」  彩華は睦月の手を握りしめたまま、なぜかはしゃいでいる。その後ろで、祐太がどこかムスッとしていた。 「ハイハイ。彩華さん、もういいでしょう? いいかげんに、睦月さんの手を離してください」  不機嫌な声音でそう言うと、祐太は彩華と睦月のつないだ手を引き離した。 「なによー。いいじゃない、祐太のケチ」  いーっと、彩華が祐太に舌を出しながら、悪態を吐く。睦月の胸がズキズキとした痛みで疼きだした。  もう、我慢の限界だった。 「あ……僕、用事を思い出した。今日は、もう帰るよ」  苦しい言い訳を口にして、睦月は俯いたままで彩華におざなりな会釈をすると、踵を返した。 「睦月さん、待っ──」 「じゃあね!」  祐太が呼びかけるのを振り切るようにして、すぐそばの階段を小走りに下りていく。  古いビルに響く足音が自分のものしか聞こえてこないことに、目頭が熱くなった。階段を踏みしめるたびに、泥沼へと沈んでいきそうな気分になる。  脳裡にさっきまでの祐太と彩華のやり取りが細切れに浮かんでは、消えていく。  わかっていた。  この世には、男と女の二種類の生き物がいて、恋を語ったり愛を育むのは、この二対の生き物でするべきことが普通のことなのだと。  わかっていたつもりだった。  でも、実はぜんぜんわかっていなかった。  その普通のことがまかり通る中で、自分の恋愛感情は、どうしてもはじき出されてしまう。  前の恋愛で懲りたはずなのに、また同じことを繰り返そうとしていた。  親友を好きになって、恋人にまでなって。  でも結局、他の女性に寝取られた。  精も根も疲れ果ててしまうくらい嫉妬して、いがみ合って、憎み合って。  最後には、いまさら親友にすら戻れないほどに、壊れてしまっていた。  さっきも、そうだ。  あの時と同じような感情に支配されそうになった自分が、厭わしいと睦月は己を嫌悪する。  駅前のロータリーまでたどり着くと、睦月は息を整えながら「トクラサービスカンパニー」のある小さなビルを振り返った。  祐太は、追いかけてはこなかった。  でも、それは当り前なのかもしれない。  ちょっと遊びに付き合うなら、男の睦月(じぶん)より、女である彩華との方が楽しいに違いないのだから。  頭ではそう理解していても、胸の奥に棘が刺さったような痛みは消えてなくならない。  睦月がそのまま立ち尽くしていると、ジーンズのポケットに入れていたスマートフォンが震えた。メッセージアプリの着信で、相手は祐太だった。

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