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第6話
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『ごめんね』
最近、睦月からのメッセージには、この4文字がよく見られるようになった。
祐太は、こっそりため息を吐く。
仕事が忙しいのだろうか。遊びに誘っても、断られてばかりいる。電話をかければ、3回に2回は留守電に切り替わる。たまに本人につながっても、
「今、打ち合わせ中だから」とか、
「今夜中に仕上げなきゃならない仕事があるから」
などと言われて、早々に通話を打ち切られてしまうのだ。
「なに、せつなーいため息ついてんのよ」
バシッと肩を強く叩かれて、狭い車内で祐太はハンドルに突っ伏しそうになった。
助手席で、石井彩華 が、ニンマリと底意地の悪そうな笑顔を浮かべている。
「いってーな」
顔をしかめて、わざとらしく叩かれた肩を痛そうにさすってみせるが、彩華はハン、と鼻で笑っている。
「色ボケしているヒマはないのよ。仕事中でしょうが」
「色ボケって……」
「どうせ、愛しの睦月さんのことでも考えてたんでしょ?」
「…………」
図星をさされて、祐太はムスッと黙り込む。
「あら、ビンゴ?」
「うるさいな。彩華さん、仕事中だろ? ほら、前見て、前」
「大丈夫よ。対象者、さっきホテルに入ったばかりじゃない」
「あのねぇ……」
文句を言おうとしたが、途中でやめてしまった。口では彩華にかなわないと、十分わかっていたからだ。
今日の祐太の仕事は、素行調査をする彩華の運転手だ。
本来なら、彩華は夫であり祐太の先輩社員でもある石井としか仕事を組まない。
しかし、二週間前にその石井が別の仕事で足を骨折して入院してしまった。仕方がないので、石井の代わりに祐太が彩華と組んで、彼女が携わっている進行中の仕事をすることになったのだ。
彩華の仕事は、素行調査のための潜入調査や尾行がメインだ。
昔、小劇団で女優をしていたことがあり、そのおかげなのか変装が得意なのである。
実際の彼女の年齢は32歳なのだが、下は20代前半のお嬢様から上は50代の主婦にまで化けられる。
(実際、このあいだのアレには、ホントにびっくりしたもんな……)
祐太は、先々週の金曜日のことを、思い出して内心で感嘆していた。
その日、彩華は見事に女子大生に変身してみせた。
大学生の娘の素行調査をその親から依頼されたため、対象者の通う大学に潜り込むためのものだったのだが、初めて彼女の変装を目の当たりにした祐太は、ただただ感心するばかりだった。
普段の彩華は、地味ないわばごく普通の年相応の見た目の女性だ。
それが、少し手を加えたメイクとカツラ──だけだと、あくまで彼女は主張していたが──であんなに変わるのだから、女って怖いなと祐太は素直にそう思う。
「なーに? 人の顔をジロジロ見ちゃってさ」
祐太の視線を感じたのか、彩華が横目で睨んできた。
「いや、べつに」
「なによ? 色ボケって言ったこと、まだ怒ってるの?」
「怒ってねーよ」
たしかに色ボケしてるしな、と祐太は胸の内で呟いて自嘲する。
今日は素行調査とはいえ、対象者が浮気をしていないかどうか調査するための尾行がメインなので、二人とも黒っぽい服装を身につけて車の中で待機している。夜間は、こういう服装の方が外でも車内からでも目立たないからだ。
「ねえ……」
対象者が表に現れないで手持無沙汰だからなのか、彩華が祐太に話しかけてくる。
「先週の金曜日、睦月さん事務所に来なかったわね」
いくらヒマだからといって、よりにもよって一番触れてほしくない話題を持ってくるなよと、祐太は内心で文句を言う。
だが、それを知ってか知らずか、彩華は睦月のことを話し続ける。
「先々週、初めて会ったときさぁ、途中で帰ったじゃない? 彼。だから、今度会った時は、もっとゆっくり話がしたいなって楽しみにしてたのに」
「話って、……いったい、何の!?」
「え? イロイロ」
「あのさぁ、睦月さんだって仕事があるんだよ。最近、忙しくなったから、そう毎週はウチに寄れないの。わかる?」
「あっそ。なによ、強がっちゃってさ」
「…………」
はあ、とため息をついて、祐太はぐったりとハンドルにもたれかかった。
「ね。もしかして、ふられちゃったの?」
「ふられてないですよ!」
即座に言い返して、祐太ははっと我に返って彩華を見た。彼女の眼が面白いものを見るように、三日月の形に細められる。
「ふーん。祐太ってば、マジなんだ?」
「…………」
「でも、わかるわー。睦月さんって、女のあたしよか細いしー。綺麗な顔で、こう……なんていうか、雰囲気が可愛いもんねー」
「……からかわないでよ」
半ばベソをかきそうな弱々しい声で、祐太が反論する。
ただでさえ、睦月に会えなくて連絡も取りにくくなってへこんでいるというのに。
彩華の毒気のある揶揄に、やり返す元気はあまりなかった。
「先々週、睦月さんひとりで先に帰ったでしょ?」
「はあ……」
まだ続けるのかと、祐太はうんざりしておざなりな返事をする。
「なんで、追いかけなかったの? 彼のこと」
「え? なんで?」
思いがけない問いかけに、祐太はつい聞き返してしまった。
それを聞いた彩華は、あきれたといわんばかりに目を眇めてこちらを睨んでいる。そして、やれやれと頭に手をやり、首を横に振った。
「あんたさぁ……」
「なんすか?」
「ホントに、気がつかなかったの?」
「だから、何を?」
「祐太のニブチン」
スパッと切り捨てるように言われて、祐太はますますわからなくなって困惑する。
「なにそれ? ニブチンって?」
「鈍いヤツにニブチンと言って、どこが悪いのよ」
「鈍いって……俺が?」
「あんた以外に誰がいる!」
ビシッと指をさされて断言されてしまい、祐太はムッとするのを通り越して、逆に戸惑ってしまう。
自分ではそんなに鈍くはないと思っていただけに、先々週に何があったのかを懸命に思い出してみた。
あの日の睦月は、いつもより遅い時間に事務所に現れた。
前々から社長の徳倉から話を聞いて睦月に興味を持っていた彩華が、無理矢理彼に自己紹介をして、おまけに手なんか握ったものだから、軽い嫉妬心と独占欲がわいた。
彩華と睦月をなんとか引き離そうと躍起になっていたら、彩華がやり返してきた。
その時、睦月が急に「用事を思い出した」と言って、帰ってしまったのだ。
睦月が最近、仕事のスケジュールが詰まっていたのは知っていた。
だから、本当は引き止めたかったのだが、そうしなかった。我慢する代わりに、すぐに彼にメッセージを送ったのだ。
睦月からは、すぐに返事が来た。
『ごめんね』と、たったの4文字だけが。
そうだ。
祐太は思い出した。
あの時からだった。睦月からの返信が、その言葉ばかりになったのは。
「──祐太、伏せて!」
突然、彩華が緊張した声で命令した。咄嗟に、祐太はでかい身体を縮こませながら、ハンドルに顔を伏せる。
車を止めていた場所から少し離れた場所にあるラブホテルから、年齢のちぐはぐな組み合わせの男女が出てきた。同じようにして助手席に伏せていた彩華が、一眼レフカメラを取り出して、フロントガラスギリギリで構えて静かにシャッターを切る。
「……撮れた?」
祐太が伏せたまま、彩華に問いかける。
「どっちの顔も、クッキリね」
ニンマリして、彩華が端的に答えた。
「で、どうすんの? 尾行するの?」
祐太は対象者が通り過ぎたのを確認して、ゆっくり起き上がる。エンジンキーを回そうとして、彩華に視線を向ける。
「そうね。おそらく、このまま対象者は帰宅するとは思う。とりあえず、エンジンかけるのは、あと1分待って」
「了解」
先ほどとは違ってわくわくしながら、祐太は指示通りに1分待った。
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