10 / 34

第10話

文緒(ふみお)? ばーか。アイツは、これくらいで妬くようなヤツじゃねーよ」 (いいや、妬きます! ぜったいに妬きますって!)  中村のセリフに、睦月は内心で思いきりツッコミを入れていた。  それと同時に、自分のイラストの担当者である田崎の端正な顔が脳裡を過る。  以前に、田崎がいる場で中村が睦月をほんの少しからかっただけで、田崎の機嫌は一気に急下降したのだ。それは、こちらの背筋が冷たくなるほどの不機嫌さだった。  そのあと、田崎は睦月に中村との関係を自ら仄めかしていたが、今思えば自分に対するけん制だったのかもしれない。 『自分のものだから、手を出すな』というオーラを、たしかに田崎はまとっていた。  あの時は、彼の壮絶な色気のある微笑に、ただ圧倒されてばかりだったが。  田崎は、この会社の仕事をする時の主な担当者だ。フリーな身の上の睦月としては、余計なことで田崎の機嫌を損ねて仕事を干されるわけにはいかない。 「やっぱり帰ります!」 「ちょっと待てよ。マジで聞きたいことがあるんだって。楢崎、文緒に余計なこと言うんじゃねーぞ。これは、文緒のためでもあるんだから」  睦月があわてて踵を返そうとするのを、肩に置いた手に力をこめて中村が引き止める。そして、楢崎に向かって窘めるが、楢崎は疑わしい眼差しを向けてくる。 「田崎のためって、この子をナンパすることが?」 「……お前ね」  自分のセリフにガックリと肩を落とした中村を楢崎は鼻で笑うと、睦月の顔をじっと見つめたあとにっこりと微笑む。  黙ったままだときつそうな印象が、笑っただけで人懐っこい印象に変化した。つられるようにして、睦月も笑顔を返す。  楢崎は笑顔のまま、ジーンズから名刺入れを取り出して中から1枚引き抜くと、両手で持って睦月に差し出した。 「イラストレーターの薗部先生ですよね? 楢崎といいます」  差し出された名刺には、「株式会社ハイテック企画開発室 第3企画チーム主任 楢崎竜哉(ならざきたつや)」とある。  睦月は恐縮しながら、同じようにして両手でそれを受け取った。 「えっと、すみません。今日、名刺持ってきてなくて……」  そう言うと、楢崎はからりと笑う。 「いいよ、気にしないで。田崎のとこの『ディープバスター』のキャラデザインしたの、薗部さんでしょ?」 「あ、はい」  楢崎が挙げたゲーム名は、睦月が初めて受けたこの会社の仕事だった。 「あれ、個人的にすげー好きでさ。ウチのチームからも何か仕事依頼するかもしれないから、とりあえず顔つなぎだと思ってくれていいよ」 「はい。ありがとうございます」  睦月が嬉しそうに頭を下げると、楢崎は満足そうにうなずく。 「自己紹介して、気がすんだか? 楢崎」  中村が茶々を入れるようにして聞くと、楢崎はじろっと中村を睨みつける。だが、すぐに何かいいことを思いついたように瞳がきらりと輝いた。 「俺も、一緒にお茶したいなぁ……」 「なっ……楢崎!?」 「薗部さんと、今後の仕事のことも話したいし?」  くるくると表情の変わるつり目が、猫みたいだと睦月は思った。  黙っていればかなりの美形で、おそらくは自分よりも年上なのだろうが、中村とやり取りしている楢崎は、ずいぶん子供っぽく見えた。 「楢崎、いいかげんにしろよ! 俺、マジでこの子と話があるんだって」  中村が半泣きで楢崎に訴える。楢崎はというと、そんな中村を意地の悪い眼差しを向けて「どうしようかなぁ」と言いながらも、なんだか楽しそうだ。  睦月は、そんな彼らを所在なさげに見ているだけだったが、できるなら知らないふりして、とっととこの場から立ち去りたかった。 「わかった! じゃあ、『はる』の定食3日分おごるから!」  やけくそのように中村が叫ぶと、楢崎の瞳がさらにきらりと輝きを増したように、睦月には見えた。 「マジで、3日分?」 「ああ。幕の内だろうが、ヒレカツ定食だろうが、好きなもん食わせてやるから」 「ラッキー! あ、中村。副主任の木村君にはうまく言っといてやるな」  スキップでもしかねない足取りで、楢崎は「ごゆっくり~」などと言いながら、その場から立ち去っていく。それを見送りながら、中村は疲れたような重いため息をついた。 「あの……いいんですか?」  何がいいのか悪いのかわからないながらも、睦月は声をかける。中村は睦月を見下ろしながら、困ったような笑みを浮かべた。 「何が?」 「えーと、その……楢崎さんに、お昼おごるって」 「ああでも言わないと、あいつは引き下がらないからな。基本的に、仲間外れが嫌いなんだよ。なんでもかんでもね。子供だろう? いい年して」  そう言って、苦虫をつぶした表情になる中村を見て、睦月は思わずぷっと吹き出していた。 「じゃあ、薗部くん。1階の喫茶店でお茶でもしようか」  クスクス笑う睦月に、中村がいたずらっぽくニッと笑顔を見せた。だがそれは、精悍で男らしいものだった。

ともだちにシェアしよう!